女王さまに跪け。
学院から王都に向けて出発して、しばし。
ごとごとと馬車に揺られている間に、空が白んできました。開けられた窓から清々しい朝の気配が入ってきています。清々しすぎて寒気を感じているぐらいですよ。私は一度脱いだ外套を潔く着直しました。
それから目の前に座って震えている拉致被害者に向けて一言。
「テオは毛布は足りてる?」
「わたくしに話しかけないで!」
まるで威嚇する猫。これが貴族に飼われているような優雅な毛並みの猫だったら高慢ちきもいいところだけれど、今は野に放たれているので、若干憐れに思わないでもありません。
「いや、風邪を引かれても困るから聞いたんだけど」
「風邪なんて引きません!」
さっきから話しかけても万事この調子なのですが、そろそろ順応性を見せてください。予想外の理不尽に見舞われても、怒ってばかりじゃ先に進めないですよ。……って、言ってあげたほうがいいのかなあ。
「くちゅんっ」
あーあ。言わんこっちゃない。……というか、ゴージャスな顔面から出たとは思えないほどの可愛いくしゃみだな。
仕方がないので手元にあった毛布を投げると、テオドーラは頭から毛布をかぶって毛布おばけになりましたとさ。
「な、なにをするの、フランカ・ツヴィックナーグル!」
「だから今の私はフラーなんだって。で、テオドーラはテオ。ルールは守ろうよ。でないと……」
私はそこで言葉を切って、無言のまま窓の外を見た。おぉ、朝日がまぶしいぜ。
「…………ちょっと」
そろそろ王都につくかなあ。久しぶりに会えるから嬉しいなあ。
「意味ありげに黙るのはやめなさいよっ!」
「フラー」
「やめて!」
「フラー」
「……」
「フラー」
「……ふ、ふら」
窓の外を見たままの私と、私を自分の方へ向かせたいテオドーラの攻防は、別の声で遮られた。
「……なぜ僕だけ本名で呼ばれることになっているのかな」
私の隣にいたミノムシがもぞもぞと動いていました。ミノムシよ、今はミノムシから羽化しなくてもいいんじゃないかと思います。
「ダッテカッコイイジャナイデスカ」
「心がこもってないよね」
「じゃあ、自分でこれがいいっていうの、決めてください。何でもいいですよ。リリアナでもフランシスカでもマリーベルでも」
「……なぜすべて女の名前なのかな」
「さあ」
さっきから起きていたくせにちっとも反応しなかったから、嫌がらせしたくなったのかもしれませんね。
この時私とミノムシは出発してから初めてまともに意思疎通しました。ほら、どこからかパルノフ先生が担いできた時にはすでにこのミノムシ状態だったからさ。
「……レオンと名乗ることにする」
「わかった。レオンね」
あと、あなたの「役どころ」は「若いツバメ」だから。
そう付け足せば、ミノムシはクレオーン王子へと華麗なる羽化を果たしました。フードを取り去り、不愉快そうに眉根をひそめています。その髪色は銀ではなく、私よりも薄い茶色でした。一応、目立たないようにはしてきたようですね。……ま、そんなささいな努力も顔面で台無しなんだけど。
「どういうつもりか聞いても?」
「これから一緒になる連れの性別が女だから。若いツバメってぐらいにしておかないと不自然すぎるかなと思って」
悪気はある。私は逃げも隠れもしないよ。
絶世の美少年というやつは取り扱いにも注意しなければならないのです。野放しにしておくとどっかの誰かに目をつけられて大変になるからね。
あっ、と私はここであることに気づいて、ぽん、と手を叩きました。
「ここで設定を詰めましょう。レオンはこれから来る私たちの『ご主人さま』の愛人で、私とテオは主人の小間使いの二人組ね。それで、実はレオンは主人に隠れて、テオと夜な夜な逢引きをする仲ってことでどうよ?」
「なんだか安っぽい三流芝居の筋みたいだね。つまらないよ」
そうかなぁー。巷にはこういう芝居も小説も溢れていると思うんだけど。
「僕ならもう少し設定を詰めるよ。フラーはレオンとテオとの仲を知っていながらも、自分もレオンに恋い焦がれているものだから、二人への理解を示しながらも内心では嫉妬に燃えている。そしてある時、テオがしてしまったちょっとしたミスを主人に告げ口して、テオを追い出してしまうんだよ。こうしてフラーは悲しむレオンを慰めて、しれっと秘密の恋人の座をテオから奪い取るというわけだね」
うわあ、なんて泥沼展開。
「ちなみに結末としては、フラーとレオンは秘密結婚して、手に手を取って逃亡し、落ち着いた先で幸せな暮らしを送る。テオは……まあ、親切な人に助けてもらって、なんとかするんだろうね」
うわあ、なんて投げやりな結末。しかもテオに関しては適当すぎる。
そもそも私に嫉妬深い略奪女をやらせる時点でその芝居は駄作決定ではないでしょーか。
一方のテオはその間、ずっと王子さまに見惚れていました。いや、まだこの人が王子さまですよーって紹介したわけじゃないから、単純に美しすぎる顔に頬を赤らめ、身体をもじもじさせているだけだと思いますが。
クレオーンもクレオーンで、私と話しながらもテオに向かってにっこり。おい、パルノフ先生ばりに胡散臭い顔してるの気づいてます?
もうここまで来たら、あれだあれ。こんなのがこの国の王子さまと今を時めく権勢家のご令嬢だとすれば、この国の将来は真っ暗に違いない。
「……あのレオン様は一体、どういう」
「え、ああ? 僕はこの国の王子なんだよ」
「まぁ、なんてこと。わたくし、テオドーラと申します。ぜひ仲良くさせていただきたいですわ」
テオドーラ様。あなたちょろ過ぎません? よく簡単に自称王子を信じられますね!? こっちがびっくりだよ!
そんなことを思っていたら、テオドーラが私に向かってくい、と顎をしゃくりました。目はこう言っています。――わたくしのために隣の席を空けなさい。
やだよ。
毛布の情け、それとほぼ拉致されている最中であることをもしれっと忘れているお嬢さまの我が儘には付き合いきれません。
そうこうするうちに王都近くで馬車が止まり、目的の人物が入ってきました。
まず目に飛び込んでくるのは、胸の谷間。深いです。
次に飛び込んでくるのは、ぽってりとした赤い唇。色っぽいです。
そして極めつけは、泣きぼくろのある濃い紫の瞳。吸い込まれそうです。
金髪に紫の眼をしたあだっぽい美女が、私を含めたその場にいた三人を見回して、あら、とかすかな声を上げました。
「フランカちゃん。見た目だけは上等な下僕たちを連れてきたじゃないの」
「まあね。娼婦や男娼でもまあまあの値がつくんじゃない?」
「それは身売りの時? それとも売り出す時?」
「身売りの時に決まっているじゃないの。技術仕込まれているわけでもないし。素人さんとして売り出すにしても、中途半端に慣れれば値崩れするかもね。その前にどこかのお大尽に身請けでもされれば……って、ジャヌ姉さんは身請けされるつもりはないの?」
わたしは故郷を同じくする同胞に笑いかけると、わたしの笑みよりも何重に武装した完璧の微笑みが返ってきた。相変わらずお美しいですね。
「あら? 私に見合う男なんてこの世に存在しないじゃないの」
まあ、フランカちゃんになら身請けされてあげるわぁ、ってさ。
完璧な返答ですね。
ジャヌ姉さんがテオドーラの隣にすとんと座ると、二人の経験値がもろに出ている気がします。もちろん、ジャヌ姉さんの方が完成形です。
彼女は胸に手を当てて、略式の礼を取りました。
「ごきげんよう、皆様。私はジャヌ。……コプランツ王国一の高級娼婦ですわ」
自分で王国一って断言するところがとても素晴らしいですね、ジャヌ姉さん。
「今回は、私が四人の中で最上位ということになっております。というわけで、そこの下僕ども―――跪きなさい」
さすがジャヌ姉さん。誰を相手にしてもぶれないね!




