《小話》 過去には色々あったものです。
宣言通りの小話です
ツヴィックナーグル領は大半を山林と凹凸の多い荒地に覆われています。主な産業は鉱業と林業で、防衛の要でもあるので、街は城壁によって囲われ、日常的に多くの兵士たちが行き交います。物見やぐらなども領地中のあちこちに配置され、いつでも有事に備えているのです。
敵が攻めてきたとなれば、兵士たちの連絡網によって、真っ先におじいさまの元に知らせが飛び、同時に領民たちの避難が始まり、城壁の門は閉められます。騎士団所属の騎士たちは馬に乗って、ギルシュの騎狼軍団と前線で相対します。それで取りこぼしがあれば、国から預かった兵士たち、それと町の住民たちで結成した義勇兵が相手をします。
これはツヴィックナーグル家がコプランツに領地をたまわってから、すでに数百年も続いている態勢です。ギルシュとの戦いはそれほどまでに長く続いてきたのです。
そして私が覚えている限り、最後にギルシュが攻めてきたのは私が十歳前後の頃。ギルシュの先代国王の逝去に伴った王位継承争いによる政情不安がもたらした、ギルシュの民の収奪です。非常に迅速な連絡網でも、対応が追いつかないほどすばやい襲撃で、国境付近の村が焼かれました。私は確かにこの目で見たのです。焼けていく村と、奪われる女と子どもたち、抵抗する男たちに容赦なく振り落とされた刃も。……その直後、私は、ごくごく近くで見ていました。
私自身も、あの収奪の場にいたのです。
「私は、どこかがおかしいのかもしれない。こんな光景を見ても、ちっとも悲しいとも思えなくて、邪魔なものは邪魔だからという理由で躊躇いなく行動できちゃった。……これって、普通じゃないと思うの。なんとなくだけど、全然違う気がするの」
「……へえ? だったら、普通ってなんだろな。俺も普通じゃないのかもな」
私は白銀の狼に乗ったその人に向かって笑いました。
「そうかもね。あなたがこの光景にただ慣れていったというんだったら、私とあなたは同類なのかもね。元々そう言う感じだった?」
「まあ、そうだな。必要だから、という理由で済ませられたからな。あんたもその口か?」
「そんなとこ。初めて人を殺したからといって、血の気が引く兵士たちを大勢見てきたけれど、どうにもそんなふうにはならないみたい。身体が震えるなんてこともなかった。ま、血が飛んでくるのはどうにも嫌だったというだけ。あーあ、手や腕にこびりついちゃって……」
「顔にも飛んでいるな」
「あー……落とさなくちゃ」
「いいんじゃないか。美人になった」
「血のりが似合う美人って何……。あとさ、お兄さん、口説くつもりならこんなかわいくないお子様より、他を当たったらどうなの。敵かと思って、うっかり襲っちゃいそうになる」
周囲には土と血にまみれた死体が転がっていました。その輪の中央にいたのは、血まみれの短剣を持った私。ベージュのドレスを赤ワイン色にしてしまった私でした。
襲われたのを、返り討ち。状況はまさにその一言で片づけられますが、そう片付けちゃいけない気もする。たかだか十年ぽっちの人生でも、自分が異常なのだと嫌でもわかりました。
数人ではきかなかった敵。死体の数は数十にも及びます。全部、私が殺したのです。
コプランツ王国にこんな血みどろ令嬢がいたとは。しかもこんな身近に。私だったよ。
「俺はこいつらの仲間じゃないぞ。しがない一旅人だからなぁ。今日来たのは、家族に頼まれてこの辺りの様子を見てくるように言われただけだ。……と、懇切丁寧に説明していたのを、問答無用で襲ってきたのはどこの誰かだが……おお、こんなところにいたな」
「あなたの存在が紛らわしかったせい」
「一刀両断かよ……。だが、その気の強さは俺好みだがな」
「はあ? なんなの、さっきからなれなれしい。どういうつもりなの」
男はひらりと狼から飛び降りて、私を見下ろしました。太陽を背にした男の顔ははっきりと見えませんでした。
「あんたは俺と同じ匂いがする。意外とどうにか仲良くやっていけるんじゃないかとは思うぞ。数年後、あんたがまだ一人だったら、俺がさらいにいくのもいいかもしれないな」
「え、やだよ」
幼女愛好者だ。いますぐ逃げよう。いや、数年後だったら違うのか。
「俺はあんたに世界の色んな景色を見せてやるぞ? いろんな人にも出会える。あんたのささいな齟齬なんて吹き飛ばしてくれるぐらいの、圧倒的な風景が待ち受けている。……あんたは、本来、縛られるのに向かないんだよ。自由でいることを望む。物事にも執着したがらない。いざとなれば、何でも捨てられるだろう。……まあ、時間はたっぷりある。いつか答えを聞かせてくれ」
男は手で私の頬をごしごしと拭き、死体一人一人の顔を確認していきました。その中の一つに、嫌そうに顔を歪ませました。
「うわ、こいつ従兄弟だ。……あー、報告しないとなー。めんどくせー。あ、本人証明のために耳そぎ落とすからな。あんたは何も見なかったことで頼む」
そう言って、ざくざくと耳を切っていく男に、私はあきれ顔を作ります。
「いいけどさ。本人確認のために耳そぎ落とすって……」
「大事なことだぞ? ほら、ここにあるほくろとか、耳飾りの穴の位置とかはわりと知られているから、十分有効なんだよ。ついでに塩漬けにしておくか。塩、どっかの民家にはストックしてあるだろ? それ拝借しておくか」
「あー、勝手にして頂戴。私は何も見てないし、聞いてないー。こんなところでギルシュ人としゃべっているわけがないー……」
第一、山で遊んでいたらうっかり国境近くに来てしまって、しかもギルシュ人が襲っているところに出くわすなんて思いもよらなかったし、そこで自分も捕まり、変態ヤロウに手を出されそうになって、賊を皆殺しとか、自分でも話したくないもん。村人は皆逃げるか、私が来るまでに殺されてしまったので、目撃者は皆無。誰が賊をやっつけたのかとかは、全部、目の前の男に押し付けてしまえばいい。少なくとも、私の投げナイフにも槍にもまったく崩れなかったのだから、強いのは確かだし。我ながら名案です。
「……普通って何なのか、わからなくなってきた」
「あんたらしくいられれば、それがあんたの普通にはなるんじゃないか」
「私らしく、ねえ……」
とりあえず目の前の男は答えをくれないということはわかった気がする。
「まあ、いいわ。私、兵士が来る前に帰るわ。ではね、どっかの誰かさん」
さっさと山に戻ろうとしたのに、男は狼を伴いながら歩いてついてきます。
「……自分の名前ぐらい言っていけばどうだ? さらいにいけないだろ」
「来なくていいんじゃない? 子どもに手を出そうとする大人って最低だよね」
「俺だって、手を出そうとする子どもぐらい選ぶがな? と、いうより、子どもに欲情する趣味はない。あんたはもうちょい育て」
「いやもう、これ以上横に伸びるのは、ねえ?」
そろそろぽっちゃり具合がやばいんです。く、菓子の食べ過ぎか!
「微妙に話題をそらそうとしたよな、今?」
さて、何のことだか。
私はそっぽを向きました。
その横ではやがて男が乗っていた狼と同じ色合いの子狼がつぶらな瞳で私を見上げていました。しかも私にすり寄って、きゅんきゅんと鼻を鳴らすのです。
さびしいから、構って。
そんなことを言っているような気がする。たぶん。
わかった、構ってあげよう、と私はその子を抱き上げました。そして思ったままを口にしたのです。
「あ、この子、私にくださいな」
「だったら名前を教えろ」
「フランカ。フランカ・ツヴィックナーグル」
「そういう時は即答するんだな」
そう言いつつも、男は呆気なく私にその子狼を譲りました。……本当にあっけないな。うん、まあいいや。
私はうちにもらわれてきた子狼のくりくりの目をじっと見つめる。
「この子の名前はミーチャかな」
「もう名前を決めたのか」
「なんとなく?」
僕の名前はミーチャなんだよ、と訴えかけてきた気がする。なんとなく。
「だが、いい名前じゃないか? こいつもいい主人を見つけられて幸せだろ。大事にしろよ? 狼の中でも希少種なんだからな」
「希少種なんてことはどうでもいいよ。この子が私がいいって言ったの」
僕を一緒に連れていって、と訴えかけてきた気がします。なんとなく。……なんとなく、ってなんだろう。
自分でも自分が理解不能すぎるな。




