平穏はするめの噛みごたえのごとく
女子寮の監督生室はいまだ主を決めていない。誰も使わないでこのまま放っておくのはもったいない!
そんなわけでこの女子寮の中でもっとも上等なこの部屋を秘密基地として占拠してしまっているのが、私たちであります。別にテオドーラ(これも敬称つけるのがいやになった)達のように自分たち以外は締め出そうとかは考えていないのですが、別段積極的に喧伝することもないだろうし、一応表向きには寮監のドルテは私たちの無断使用を「気づいていない」体を装わなくてはなりませんからね。なので使用人口はここで打ち止めです。
「ねえ、最近ちょっと気づいたのだけれど」
例によってのお茶会です。参加者は私とカティアとイレーネ。あと弟。
本日のお供は弟手製のクッキー(私が料理する隣で作ってたやつ)とマフィン(いつの間にか作ってた)。
素朴なクッキーに赤いジャムを乗せて、パクリと口に入れて、一息ついてからの私の発言から始まった。
「テオドーラと顔を合わせることが極端に少なくなっている気がするの」
と、いうのも。同じ授業を取っているのに、意図していなくとも真逆の席に座っていたり、以前は学院内をえらそーに闊歩していたのをよく目撃していたのに、それがなくなっている。それどころかすれ違うことさえない。避けられているのかしら。その割にびんびんに今にみてろオーラを感じているのが謎なのだけれど。せっかくなのでどんとこいやと鼓舞してやりたいのに。
私以外の皆は示し合わせたようにアイコンタクトを交わした。え、なんなの、通じ合っちゃってるのこの三人。私も仲間に入れてよさみしいじゃないか。
「えーと、それはね」
発言者はイレーネに決まったらしく、彼女が話し始める。
「学院長辺りのお偉方からのお達しがあったのよ。フランカとテオドーラ様にはお互いに接近禁止命令が出されているのよ」
なにそれ。本人一切知らないのだけれど。
「だって、その命令が下されたのは、二人〈以外の〉全員なのよ。互いが近づきすぎないように、他の誰かがフォローするって内容だったから。とりわけ、私やカティア、ヴィル君のようにフランカに近い人、あとはテオドーラ様の取り巻き連中にはよくよく言い聞かされているのよ」
「えー? 別に本人に言えばすむことじゃないの? それぐらいだったら従うつもりはあるし」
基本的に私だってルールぐらいは守る。たまにルールが私についてこないだけなのです。
「フランカとしてはそういうつもりでも、もうすでにフランカは学院の要注意人物に指定されているのよ。『不用意に近づくな、危険!』みたいな」
猛獣扱いですか。
「だって実績あるじゃないの。やらかしちゃったでしょ?」
うん、やらかした。良家の子女としてはあるまじきガキ大将的発想をご披露しちゃったよ。
「だから触らぬフランカに祟りなしって感じで、直接本人に言わないことになったの」
「今ぺろっとしゃべっちゃっているけどね」
「答えないほうがかえってまずいかと思って。下手に嘘通じないってわかっているもの。それにフランカだってこんなささいなことは気にしないでしょ」
「しないね」
うんうんと頷いておきます。
「ちなみにテオドーラ様に関しては、本人が命令されるのを嫌うから。学院長が直接言いでもしない限り、ご実家の権勢に怯えて何も言えないというところ。その学院長にしてもいつもいらっしゃるわけではないから」
「なるほど」
学院長は……たしか今は王弟殿下だったっけ。なんだかいつも忙しくしてる印象しかないけど。
学院に来たら常に小走り、スケジュールは分単位。ものすごーく几帳面そうな人で、どじっこ眼鏡君なハンスと違って、理知的眼鏡様でいらっしゃる。ちなみに眼鏡様が私のことを大層気にいっておられない。見かけるたびにくどくどくどくどお説教してくれる。はいはい、肉は澄ました顔でお上品に食べればいいんでしょー。でも意外と私、この人嫌いじゃないんだよねえ。なんというか、愛すべき人というか? いつか「心のオカン」と呼んでみようかしら怒られるかしら。
「あ、そうそう。学院長で思いだしたのだけれど、次にいらっしゃるのは十日後になるんですって。そこからまた数日滞在されて、領地の視察にいかれるのだとか。先生たちがやたらバタバタしていると思って聞いてみたのだけれど、毎回毎回アラ隠しに必死になっているのがわかるわよね」
領地の視察か。ふーん……。そのうち会いにいかなくちゃと思っていたけれど、ねえ。
「アラ隠し」というのは、王弟殿下の学院滞在中に、殿下に見つからないように、普段気を抜いているところを必死に繕う行為のことを言う。殿下はとても厳しい人で、服装やら姿勢やら授業内容やらに細かくケチつけるのだ。王弟殿下自身が国内随一の教養人であるからなおさら具合が悪い。先生陣の「手抜き」にも気づくし、生徒の怠慢にも気づいてしまう。
眼鏡がキランと光った時は王弟殿下の伝家の宝刀『慇懃無礼容赦無』が抜かれ、「あなた、やる気あるんですか」と切り捨て御免されます。王族にソレ言われるのはキツイよね。
そんなわけで学院長滞在は別名「魔王の襲来」。いやむしろこここそが魔王の城なのに、と思うとウケるよね。
「どうせバレるのにねえ」
普段から気をつけているのでない限り、数日あればたいていボロが出ちゃうでしょ。そーゆーもんだ。
「そうですね」
のほほんと構えているカティアは見ての通り深窓の令嬢だし、何か言われたことなどないのでしょう。
擬態が得意なイレーネは王弟殿下と従者の組み合わせを見ても、「あら、お二人はとても信頼なさっているのですね」とでも言いながら、堂々と眺められそうです。
弟は私と同じで開き直り型です。つくづく動じない姉弟ですよ。
「はい、姉さん。紅茶のお代わりどうぞ」
「ありがとう」
「お二人は?」
「ありがとうございます、でも大丈夫です」
「ええ、私も」
なにげないことですが、こういう時にうちのヴィルはマメな男だよなと思います。その気遣いをなぜ他の女子に向けられぬのか。最近、「姉さん大好きヴィル君」の噂が流れているようで不安です。意地悪な小姑にはならないので、誰かこの子にも目を向けてやって!
「……ヴィル。つかぬことをお聞きしますが」
「え、急にかしこまってどうしたの」
「あなた、一年生の女の子に告白されたのをフッたのですってね。それもこっぴどく」
――理由? そりゃ、君が姉さんじゃないからだよ。
顔が広いイレーネからその話を聞いたとき、あまりにひどすぎる理由に私は卒倒したくなった。だったらあんたは一生独身なのか! せっかく綺麗な顔に生まれてきたんならもっと有効活用せいやぁ!
胸倉つかんで今一度問いかけたい。姉を断るダシに使うなと。
「別段学院で伴侶を探すわけでもない私はいいけれど、ヴィルは今のうちから奥さんを決めた方がいいわよ。いい子からどんどん売れていっちゃうわよ。内面知っても引かないでくれる人だといいわね。あ、一応だけど、カティアにイレーネ。うちの弟はどう?」
この際だから聞いちゃおう。この二人なら友達だから、安心して弟を託せるし。
ま、冗談のようなものだからあんまり期待してないけど。
「ご、ごめんなさい……。いくらフランカの頼みでもそれだけは無理です……」
え、泣きだすレベルで駄目なの! そんなに生理的に受け付けないの!?
ぎょっとしながらもすかさず差し出したハンカチで涙を拭ってもらった。うわぁ、女の子泣かせちゃったよ……。
カティアは私のハンカチを口元にあて、すんすんと嗅いでいた。なんだろう、泣いていると思ったら恍惚の表情を浮かべ始めているのだけれど。
「私も無理そうよ」
イレーネは普通に断ってきた。
「なんか縁談が決まりそうで……」
……。
え。
はああああっ?
私とカティアは大いに驚いた。そんな話聞いてない。あ、今聞いたか。じゃなくて!
「学院やめちゃうの、イレーネ!」
「一緒に卒業しましょう、イレーネ!」
二人から食いかかられたイレーネは若干引き気味になりながらも、調子を整えるために紅茶を一口。
「まさか。ここまで来たら卒業してもしなくても変わらないもの。卒業してから結婚するに決まっているじゃない。それにうちの意向を汲んでもらえるおうちだから融通が利くの」
そっか。ならひとまず安心だよね。
「で、どこの誰なの。イレーネの趣味を受け入れてくれる寛大で稀有な男は」
「それはわたしも気になっていました……!」
少しの間、考え込むイレーネ。一つ一つ指で特徴を数え上げていく。
「子爵家嫡男、一つ下、幼馴染……」
なるほど、気心知れてる仲ってわけね。愛はなくとも信頼関係は期待できるんじゃない? 一つ下ならこの学院にいるってことか。
「雰囲気美形、中肉中背、茶髪に近い黒髪、青い目……」
ほうほう。外見的特徴はそんな感じね。
「ナルシスト気味、女好き、デリカシーがない、成績もあんまりよくない……」
あれ? あれれ。
「元お姉さまを愛でる会所属……」
やめて。嘘だと言って。
隣でヴィルが「ああ、あいつ」とか言っちゃってる。え、わかったの?
私いまだに廊下で「お姉さま」と挨拶されてるけど、まだ全員の顔覚えきれてないのよ?
待て。思いだすんだ、彼の外見的特徴を。するとぽんと思い浮かぶ顔がある。
――会長のしごきに耐え切れずにその場で吐いてしまった俺を優しく背中さすって介抱してくださった上に、汚れた口元を自らのハンカチで拭ってくださったお姉様は、俺の理想のお姉様です!
愛でる会解散宣言でそう言っていた。ヤツか!
確かヤツはあれからもやらかした。ある時、おねーさまーと周囲の注目を浴びるような大声で呼び止めながら薔薇の花束持ってやってきた挙句、「お姉様はこの薔薇のように、情熱的な方だ……」と歯の浮くようなセリフを言ってのけた。隣に弟いたのに。殺気飛ばした弟に動じなかったヤツは大物だと私は半ば本気で思っています。
ま、あれは一種のパフォーマンスのようなものだろうと思っていましたが……イレーネがそれをどう思っているのかはまた別の話で。というか、あんな男が相手でいいの、イレーネ。政略の意味合いの強い結婚じゃないなら、断るのも一つの手だと思うけど?
そんなことを言いかけた私に、イレーネは続ける。
「私の弟に禁断の恋をしている……」
その瞳は夜空の綺羅星のような輝きを放っていたのはいうまでもない。
それでいいのかイレーネ。趣味に生きすぎていいのかイレーネ。
このイレーネの幼馴染くんはそのうち出てくると思います。




