夢見る彼女と夢見ない私。
王子様はいつも私を励ましてくれる。
君は何も間違っていない。僕だけは君の味方だ。
いずれ君を迎えに行く。僕にとって必要なんだ。
一体どこにいらっしゃるのかしら。
私を早く迎えに来て。
ここは辛い。苦しい。
最近着るドレスはいつもベタベタしている。何度も何度も着替えても、鏡で確かめても、侍女に訊ねても納得できない。鼻を突き抜けるような匂いもまとわりてついている気がしてたまらない。
仕方なく、制服を着るしかなかった。地味すぎて嫌なのに。
学院の噂はすぐに外に出ていく。
両親や姉から手紙が来ていた。尊敬すべき叔母からも。
皆、私を責めている。
クノーベル家の恥さらし。
公爵子息も篭絡できなかった女。
今後の将来に汚点を残した令嬢。
父はどうやら私に見切りをつけて、純粋に政略の道具にするつもりらしかった。
相手はもう決められていた。死にかけの老人の後妻だそうだ。もうすぐ私は退学させられる。
こうなったのも何もかも全部、フランカ・ツヴィックナーグルのせい。
彼女が逆らうからいけないのだ。
今も我が物顔で学院を闊歩して。
私の味方は王子様しかいないのに。
ああ、早く彼に会いたい。彼のためならなんだってする。
だから彼の言うとおり、フランカ・ツヴィックナーグルを襲わせたのにそこから何の音沙汰がない。
案外、役立たずな連中だったらしい。クノーベルから連れてきた侍女のレベルが低かったのかしら? こんなことの手配ができないだなんて。
考えても仕方がないので、そのままベッドに横たわって眠る。
夢では、王子様が私に愛を囁いてくれた。
君こそ王妃にふさわしい。
結婚してくれ!
その顔はどうしてだか鮮明としない。そう、彼の顔を見たことがないから。
それでもいい。私にはあなたしかいない。
ここから連れ出して。泥沼に沈み込むような人生は嫌。
だったら。
急に微笑みかけていてくれていたはずの王子様の顔が歪んでいく。
「あなたは目を覚まさなくちゃいけない。そうでしょう、学院の女王様? いえ、お嬢さんと呼んだ方がいいのかしら」
パン、と頬に熱いものが走る。
一気に眠りから覚醒した私は、信じられない思いで、暗闇の中で爛々と光る二つの目を凝視していた。
ドクドクと心臓の音がうるさい。
弧を描く唇がにいと笑っている。
夜に現れた彼女はまるで敏捷な獣のように彼女にのしかかり、いまにも喉笛に噛み付きそうなほどほど身をかがめている。知っている顔……のはずだった。けれども自分が信じられなかった。
どうしてこんな「化物」を従属できるだなどと考えたのだろう。
自分は下手を打ったのだ。こんな化物だったら、依頼された男たちは撃退されてしまったに違いない。ここに来たということは、きっと復讐しに来たのだ。
ああ、叔母からの手紙にも書いてあった。
ツヴィックナーグル家を敵に回すだなどと愚かなことです――
化物は人ではないから、人の法など知らない。何をされたって不思議じゃない。そんなことにも考えつかないほど狭い世界に住んでいた。
怖い。怖い怖い怖い怖い!
「テオドーラ。あなたがしていたのはそういうことだったのよ」
ふっと空気が和らいだ。相手が意図的に雰囲気を変えたのだ。
「突然あった今までの世界がひっくり返るほどの強い衝撃にそのまま飲み込まれて、もう二度と同じところには戻れない。そんな傷をあなたはつけようとしていた。命令しただけじゃ、この怖さを実感できないでしょうから、再現してみたの。ねえ、ご存知かしら、お嬢さん? 自分で行動を起こしたときは、それがそのまま自分に返ってくることも覚悟すべきでしょ? あなたがこのまま襲われることも覚悟しなければならなかった。善意だって悪意だって、そんなもの。でも、「無邪気」なお嬢さんだったあなたはその重みもわからなかった。だからこんな「理不尽」な目にあって。でもしょうがないって諦めてよ? だって、自分で招いた結果だもの。後悔なんてしちゃいけない」
それが悪役の矜持ってやつだものね。
私はベッドに縫い付けられたまま動けなかった。
彼女はこんこんと言い聞かせるだけで、この異常な状況にもにっこりと微笑みさえしてみせる。
「ああ、声とか出しちゃダメね。ビックリしてうっかり手元が狂っちゃったら派手に赤い華が咲いちゃいそうだし。さすがに同級生はまずいものね。うん、まずいね。だから、私の言うことが理解できたら一回頷くだけでいいから。あ、ちなみに私が何を言おうともあなたに拒否権はないから。はい、理解できたら首肯」
首に当たる冷たいものを意識しながら私は頷く。
はい、よくできました。
彼女は満足そうな顔になる。
「あなた、私を襲わせようとしたでしょ?」
首肯。
「それは王子様の指示かしら?」
首肯。
「王子様に会ったことある」
無言。
「ない?」
首肯。
「王子様が、好き?」
……首肯。
「そう。よかったわ。なおさらちょうどいいわね」
彼女は後ろを振り向いた。そこに誰かがいるのかもしれない。
「ま、障害もなきにしもあらずだけれど。これからどうにかすれば、どうにかなるでしょ。幸いにも、人としての最後の一線は越えていなさそうだし。話してみてわかったけれど、この子、たぶん世間知らずで夢見がちなアホの子みたい。え? 何、私も似たようなものだって。いや、私の話はいいの、今は別に。と、いうわけで、決定だから。連れて行くから。は、甘すぎ? 何言ってるの、ここでテオドーラを矯正しといた方が私にとって都合がいいじゃないの。あなたこそ、王子様を捕獲しておいたのでしょうね! あれいなくちゃ、何も始まらないでしょ。一番やっかいな奴を野放しにするほど甘くないわ!」
ふん、と鼻を鳴らし、彼女は私に目を向けた。
「じゃ、結論から言うわ、テオドーラ・クノーベル。あなたを王子様に会わせてあげる。嬉しいでしょ?」
王子様に会える……。
嬉しいことのはずなのに、彼女から言われると全然嬉しくともなんともなかった。
それとも夜の暗闇の中で、感覚が麻痺しているのかもしれない。
「んー、反応が薄い。ま、いいか。じゃ、ひとまずおやすみなさい」
勝手に自己完結した彼女が私の口元にハンカチのようなものを当てた。
すうっと意識がどこかへと飛んでいった。
※
あの男が私を甘いと言った。
どうして敵を徹底的に潰さないのかと。
先生、私は全然甘くありませんよ。
そもそも彼女は私の敵に値しなかったんです。
だって、ちょっと脅しただけでふるふる震えるだけの「お嬢さん」を敵にするなんて、つまらないでしょう? 最初は好敵手、と期待したんですけれど、残念でしたってやつです。期待はずれということもありますよ。
ちなみに彼女にほんのちょっとの温情をかけてやるのも、さっき言ったとおり、私のためです。
彼女、王子様が好きなんですよ。しかも有力なクノーベル家の娘。有力なお妃候補の一人になりますよ、きっと。老人と王子様だったら王子様に可能性をかけるおうちでしょう、クノーベル家だって。
今って国王派と王妃派に派閥が分かれているじゃないですか。そこにぽんと王子様が入ってくる。で、たぶんもめる。王子様がどちらの立場を取るにせよ……たぶん、国王派とみなされるんだろうけれども、まあ、そこにうちの家を飛び込ませたくないわけで。お妃選びとか揉め事の中でも最大級に揉めますよ、きっと。
王子様に地盤がないのだから、他国から迎えるということはたぶんない。
だからどちらの派閥もお妃を差し出してくるはず。
バランスを取るなら王妃派から。
王権を強くしたいなら国王派から。
王妃派の筆頭はクノーベル家。最有力候補はテオドーラってところでしょうか。
国王派の筆頭はアダルシャン公爵だけれど、娘はいない。となると次に有力になるのがシュテルツェル家……カティア。あそこの家は子煩悩だけれども、私人としてではなく、公人として娘を差し出すことを決断するかもしれない。
もちろんそこに属していない貴族もいます。軍人を輩出する貴族は政治には介入したがらないし、遠くで領地を持っている者ならなおさらだ。私やイレーネはたぶんこの辺り。
だから、王子様に興味を持たれるのは困る。非常に困る。家の事情から見ても、私は嫁ぐわけにはいかない。そもそも個人的に嫌。
つまりあれだ。テオドーラは私の盾にしておきたいわけ。好きなんだから本人だって異論ないはず。
カティアだって、妃選びに振り回されたくないだろうし。
でもさすがに今のまま王妃にさせるわけにはいかないので、親切にも私がお節介を焼いてやろうってわけだ。
安心したまえよ、テオドーラ。
これから人生観ががらっと変わる体験をうんざりするほど味あわせますよ!
プライドバッキバキにへし折ったその先にあるものこそ、真の誇り……になればいいよね、うん。
ちなみに私が世話焼いたっていい方向に向かっていかないこともあるでしょう。それならそれでいいんですよ。これが小娘の精一杯ってやつですからね。それ以上のことは知りません。
先生、説明してあげたのに、なぜ大笑いするんです。
同士よとか言わないでくださいよ。同類にされるのは嫌です。
笑いすぎて、「荷物」を落とさないでくださいよ。今よく眠っているんですから。
即効性のある眠り薬で、一応長時間保つはずですが、万が一ってこともあるんですよ?
あと、役割も忘れないでください。私も、最善を尽くすつもりなので。
先生は先生の最善を。
ではお元気で。またどこかでお会いしましょう。
次戻って来れるかわかりませんから、一応言っておきます。
ごきげんよう、先生。
一体どーなるんだーって感じになりますが、次回以降は少し時間軸を戻してちょっとした日常回を続けようと思います。ご容赦くださいませ。




