ぶちゅーにむちゅー。
私、王子様という生き物をこの目で見るのは初めてなのでよくわかりませんが。
いくらなんでも初対面でぶちゅーとかますのはいかがなものでしょう。
そんなことをしても自分なら許されるってこと?
こんな美しい僕にキスされるんだぞ、嬉しくないのかってこと?
なんにせよ、当事者の私にとっては迷惑千万な話。
ああ、その傲慢さよ。
……一秒後に後悔しても知らんぞ。
唇が離れた瞬間に「殺してやりたい」と物騒な言葉が心中を雷のように走り抜けた私は、次の行動を迷いませんでした。
王子様に腹パン。唸れ私の拳。
「ぐうっ!」
綺麗に入りました。さらに朗報。反応を見るにどうもあまり武芸に秀でていらっしゃるようでない。
ほほぅ、どうやら彼はわざわざ私の前で仰向けの子羊ちゃんになってくれるようですよ。存分に解体……じゃなかった毛刈りいたしますよ。
だって、彼。クレオーンって言っただけだもの。
クレオーン「王子」って言ってないもの。身分明かしていない以上、彼はただの「クレオーン」君ですよ。以前聞いたクレオーンとは同名のクレオーン君なのです。ホントホント。だから無礼に対して報復しちゃうのも当然というわけで。
パン、と王子様の玉のようなお肌が真っ赤になるような鬼畜な所業を繰り出そうとしていた私の右手が、急に横からぐいと掴まれました。反射的に左手で応戦しますが、恐ろしい力で上にねじりあげられて、私はほぼつま先立ち状態に。ついでに両足の間に絶妙に膝も入れられて、まんじりたりとも動けません。
その相手を見て、私はふん、と鼻で笑いました。
「先生の謎がまた一つ深まりましたね。……思ったよりも鍛えていらっしゃるようで」
私の求める筋肉と方向性が違うけれど。
盛り上がる筋肉っつーよりは、しなやかな筋肉?
あれだ、ゴリラとカモシカ。ほらね、違いは明らか。
だから私は彼の筋肉評価を良とする。カモシカ好き女子なら優だろうけれど、残念ながら私はゴリラ好き女子です。
な ぜ か 被害者の方を止めているパルノフ先生は何を考えているのかよくわからん真顔でぐいぐいと私の顔を覗き込んできました。うざったい。
「あんた呑気だな。あんなことされといて。……ああ、初めてじゃなかったとか」
「ええ、まあ」
「……はあっ!?」
先生が顎をガバっと開けて、驚愕を表現します。今日のリアクション大賞でした。
脇で目を丸くしていた王子様もなんだか話の続きを聞きたげ。
なんだなんだ。今日に限って人気者だな、私。
なに、そんなに男っ気がないと思われていたの? うん、正解です。
つまり、私のキスというものはそういう種類のものじゃないわけです。
「うちの弟、小さい頃はキス魔だったんですよー。だから物心ついた頃にはとっくに終わってます」
キス魔は私一人限定ですが。
反抗期に入ったのか、急にキスしだすのをやめて私にも距離を取った時期もあったんです。
それも数年で終わって、また姉さん姉さん言い始めたけれど、その時にはキス魔も卒業してました。
「たかだか皮膚接触の話ですよ? そんなに怒ることでもありません。まあ、出会い頭にやられてしまうと本能的に手足が出てしまいますけれど。いくらなんても失礼すぎますからね。なので先生、離していただけません? なんだか遠巻きに見られているので」
《スクープ! 橋の上での痴話喧嘩。彼女が選ぶのはどっち?》
大方、同世代の間男と年上の恋人とでも思われているんだな。
うわーチョーモテモテヨー(棒読み)。
なんだかむなしくなってきたな。
「そうだな」
先生は言葉少なに言ってから私の手足を解放しました。
そのついでにとばかりに唇を親指の腹でゴシゴシと拭われたのは一体どういうわけなのか知りたくないと思います。
王子様はこのやりとりの間にそろっと距離を取ろうとしてました。逃がさん。
「ぐえっ」
襟首掴んでみました。身長差で死にそうになってます。
「クレオーン『君』、まだ話は終わってないわ」
「何? 僕がどうして音がしたのに、川に飛び込んでいなかったってこと? それは」
「どうせその場にいた全員がグルとかだったんでしょ。どーでもいい」
「は?」
王子様が呆気に取られたように後ろを振り向きました。襟首掴まれていたので、またもぐえっといったけれど。
え、なに、違うの。
「どうしてわかったの?」
何、その変な質問は。
「だって、そうだとしか考えられなかったんだもの」
単純思考なんですー。
王子様は髪も濡れておらず、すぐ後に私の前に出てきた。でも橋の手すりに立っていたのは彼本人。
と、いうことは橋から落とされたのは人間の重さぐらいの重石だったんでしょう。
そしてそれを誰かが見とがめないはずがなく、それがなかったということは全員グル。少なくとも、前列あたりで粘っていた人たちは重石を投げ入れる瞬間を観衆から隠さなくちゃいけないから絶対グル。
強いて言うなら、重石というのも橋の上から目立つから同じくらいの背格好の人間だと推測できますよ。
でもなー、ちょっとわからないのが、それを私一人のためにやっちゃってるってこと。
私に印象付けるためのお膳立て。お芝居? だったら彼は俳優兼演出家?
そういえば、母親は大女優だったらしいね。
レガーナ・タークかぁ。ブロマイド、うちのおじい様が後生大事に持っているんだよなぁ。
あれは確かに美人だ。目の前の王子様にも面影があるけれど、母親の方が華やぎがある気がする。
目の前の王子様には素直さがないというか、なんだか妙にせせこましいっていうか、ぶっちゃけ小物臭がするというか。
なんだろう、まかり間違っても将来的に国王陛下って呼びたくない。
ふむ。
私は散らばった思考をまとめあげていく。
ほか二人はというと、
「クレオーン。歯ぁ食いしばれや」
ゴン。王子様の脳天で星が瞬く。
「くっ……。なんなんだよ、ティムル。そんなにカンに障ったか。君、以前は僕を止めなかったじゃないか」
「お前があれほど暴走するとは思わなかった。うぬぼれもいい加減にしろ」
「なんだよ。僕は自分を有効活用しているだけだよ。彼女を手に入れておきたいからね」
「それはどういう意味で?」
「……どういう意味だろうね」
クレオーンはぽそりと呟いた。
金色の眼をした男の顔が険しくなっていく。
「振られろ」
「どんな意味で?」
「色んな意味で」
「だったら君が手に入れるの?」
「この先のことは誰にもわからないものだろ?」
それから、彼は王子様の耳元に何事かを囁いた。
その言葉は思考を終えていた私にも聞こえない。
……つーか、お二人さん、お話聞こえてますよ。地獄耳の持ち主がここにいるんですよ。
まあいいや。
すべきことは決まった。
あとは、実行あるのみ。
※
王子様は確かに聞いた。
彼女がどんな将来、どんな男を選ぼうとも、きっと気持ちは変わらないだろう、と。
それはどんな気持ちなのか。
訊ねるのも馬鹿馬鹿しいので放っておく。彼は自分自身のことで手一杯なのだから――。
例によってサブタイ詐欺でした




