救世主ルディガー様
パルノフ先生の話を適当に切り上げた私は、寮への道を歩いていました。
先生の手前かっこつけてみましたが、これからの方策とか何も考えておりません。
できれば卒業するまで王子様が姿を現さないことを祈りたい。現時点でもう無理だってことがわかっていても。
先生の言葉が正しければ、王子様は私に接触してくるはずですからね。むしろ、もうしているかも。
一体誰でしょうか。先生曰く、同じ人間とは思えないほどの美形だそうです。そりゃすごい。
話をする同級生、下級生の顔が次々と浮かびます。女装している可能性もあるので、一応女生徒も。
ですがピンと来るわけでもなく。私の第六感はお昼寝中です。
職員寮から男子寮へ至る道に差し掛かりました。男子寮から校舎、女子寮へと向かうのが一番の近道なので、そのまま男子寮への道を選びます。
男子寮の建物が見えてきました。相変わらずデカイ。ちょっとした離宮だわ。これと比べると女子寮はただの宿屋ですね。収容人数の差が規模の大きさに。
ルディガー様はあの人数を監督しているのか……。
改めて考えてみれば、けっこうな苦労があるのかも。
彼の影響力というものは、家の権力ばかりでないからなのが厄介なんですよね、本当は。
なぜ学院は彼に監督生という役割を与えたのでしょうかね。やっぱり家柄ですかね。
しかし家柄だけで学院の男子生徒を監督できるかというと……あれ。意外と有能? おかしいな。
だったらなぜテオドーラ様に手を出した? 彼女どう見てもロクデナシ子だったでしょうに。
証拠はありませんが。……私を襲わせたのってテオドーラ様じゃないのかなぁ、って思うんです。
普通に考えて、一番恨みを買っている自覚ありますし。
だがアオミトリ騒動を起こしたことに後悔はない。彼女だという証拠が出れば容赦しません。
私の名誉ばかりじゃない。学院の名誉までも傷つけた犯人を許さない。
これに味を占める前に叩いておかないと。
それに、先生の話のもっていき方からして、テオドーラ様に王子様が関わっているのでしょうね。
王子様はロクデナシ男とか。この国の将来が心配です。
ひとまず明日テオドーラ様の様子を伺ってみましょうかね。今日は彼女を見かけなかったんで。
そんなことをつらつらと考えながら歩いていれば、とんでもないものに出会ってしまいました。
木立の合間から見える黒を基調とした男子の制服が二つ、三つ。
その下で体を丸めているいじめられっ子。
「現場」に遭遇してしまいました。
男子生徒のほうはあまりみない顔ですが、いじめられっ子の顔は知っています。見習いのハンスです。
彼見習いなんで、職員寮、男子寮、女子寮といろんなところをたらい回し……じゃなくてお手伝いしていると聞いています。つまりは目を付けられやすいということで。
はじめて会った時も壁際に追い詰められて恐喝行為の被害者になっていたっけ。初遭遇が泣き顔でした。
彼、目を丸くしてましたねえ。えぇ、今のどうやったんですかっ!って。
私はこう言いました。拾った小石を投げてみたら偶然相手のお尻に当たったのだと。
さすがに足を高く上げた全力投石フォームでいじめっ子の尾てい骨目掛けて投げたとは言いません。
ああいう手合いっていくら私が言葉で注意しても聞きやしないので実力行使したほうが早いんですよねえ。
今回は複数人。……誰から餌食にしましょうかね。
理不尽な暴力はよくないもの(棒読み)。
と、思っていたら。
「お前たち、何をやっているんだ」
なんということでしょう。そこへ現れた救世主の姿が。彼の名前はルディガー・ネリウス。次期公爵閣下であらせられます。なんでまた。
「見習いごときに構う暇があるとは余裕だな」
ルディガー様はそう言いながら男子生徒たちを睥睨しました。
「お前たちには貴族だという自覚がないのか。この光景を人が見ればどうとらえるか考えてみろ」
正論だ。私は生まれて初めて彼の誠実を見た気がする。
「これはルディガー様。我々はただ愚かな使用人に罰を与えていただけなのに、どうしてこのようなことをおっしゃるのですか」
「以前はルディガー様も一緒にやっていたじゃないですか」
「これしきのことは大したことではありませんよ」
「黙れ」
強い口調で言い切ったルディガー様は彼らをどかし、ハンスを立たせました。かわいそうに、ハンスは萎縮しきってぶるぶると震えています。土のついたお仕着せがなんとも哀れを誘います。怪我もしているようですし、手当てが必要でしょうね。
「早く行け」
ルディガー様が背中を押すと、まえのめりになったハンスがどうにかその場に留まり、やっと歩き始めました。
「今日のところはお前たちも行け。そのうち話をする」
彼らは舌打ちしながらも言うとおりにしました。これは近々、揉めそうな気配ですね。
ルディガー様の求心力が以前より弱くなっている表れでしょう。原因はたぶん私。あの騒動でみっともない格好になっていましたからね。
ただそれ以上に、彼の変化が気になります。……まさか、心を入れ替えることにしたとか?
テオドーラ様と別れて、恋は盲目状態から回復したとか!?
……謎だわぁ。
ゆっくりと顔を道の先に戻して、また歩きます。
すると、前方の道にルディガー様が現れました。
厳しい視線が間違いなく私に向けられ、あぁこれは気づかれていたなと理解。気配を隠していなかったし
仕方ないな。
「ごきげんよう」
一応挨拶すれば、「あぁ」と無愛想な答えが返ってきました。
こっちは「一応」でもちゃんと挨拶したのに、なんて投げやりに言うんだ……!
「どこへ行こうとしていた」
「寮に帰るつもりだったんです」
「ここは男子寮だが」
「そうですね。ただ、こちらの前を突っ切った方が早く着きますから。直に暗くなりますし、早く帰らなければ」
本当だ。なので人を犯罪者かのように見るのはやめていただけますかしら?
「嘘でないだろうな」
「まったくもって、嘘ではありません。では」
「おいっ」
聞こえませんよー。私を呼び止めようとする声は空耳なんですー。
見たな見ただろ? みたいな応酬になるのはまっぴらゴメン!
これ以上の揉め事は自分でどうにかしてくれ、男ならなおさらに!
ルディガー様は追いかけてこなかったので、ほっと一息。
前方に前のめりになりかけた背中が見えます。
「ハンス」
べったりと土のついた顔がこちらを向きました。あーあ、瓶底眼鏡もちょっと歪んじゃっていますよ。
「こ、ここここれは! えーっと! 転びました!」
ハンス、私まだ何も言っていない。
いかにもワケありです!って宣言しなくとも。
もう……なんだかしょうがないなあ。
ポケットからハンカチを出して、ハンスの手に押し付けてやりました。
「せめてどこかで顔を洗ってから戻ること。あとちゃんと手当てしておきなさいね」
びっくりしたように硬直したその背中をトントン、と軽く叩いてから追い越します。
私はここでは生徒でハンスは使用人だから、あからさまに私が擁護するわけにはいきませんので、今やれることはこれぐらいでしょう。ついでにそっとアドリネかドルテにそれとなく言っておきましょうかね。
しかし、ハンス少年よ。
いじめられっ子から脱却するためには君自身が立ち上がるしかないのだぞ。
助けるのはとても簡単なことでしょう。でも結局は対症療法でしかなく、根本的な解決は自分自身が強くなること。それぐらいしかないのです。
寮に戻れば玄関ホールでアドリネが待っていました。
この学院の侍女というのは複数人の令嬢を受け持つことも多いのですが、アドリネはほとんど私専属です。
理由は、まあ察してください。……私、そこまで問題児ではないつもりですが。
問題があるのはむしろ……。すん、とかすかな臭いを嗅ぎとりました。血の匂い。
無茶をするのはどちらの方でしょうねえ。
一見すれば一部の隙もないお仕着せ姿だというのに、彼女から血の匂いがしました。
ときどき気がつくのですが、私は面と向かって口にしたことはありません。それはアドリネの領分を侵すことになってしまいそうだから、彼女の個人的なことは何も知らないし、聞こうと思いません。
彼女との付き合いも今年で最後になります。知らないままで済んだのなら、別に知る必要もなかったということで。それでいいじゃないか、と思うわけですよ。
「アドリネ。食事の後に便箋と封筒を持ってきてもらえる? おじい様に手紙を書くから」
女生徒同士がぺちゃくちゃおしゃべりしている中、もきゅもきゅと魚のフライとサラダを咀嚼して、そのまま部屋に戻ってくると、アドリネが白い便箋と封筒を持ってきました。
「いつも通り、こちらでよろしかったですか。私の趣味で恐縮なのですが」
「別にこだわりとかないもの。書けるならなんでも」
ほかのご令嬢とかそのあたりに妙なこだわりがあるよね。
色とか、透かし模様とか、紙の端っこの方に小さな絵が入っていたりとか。
どこどこの店のこういうお手紙セットが流行っているのよって女の子たちはよく口にします。
カティアとかはしっかりチェックして、可愛い便箋を選んでいそうですね。
私の場合は実用と価格での利点をとって普通の白地の便箋と封筒を使っています。
さすがに封蝋にする印章ぐらいは実家で使っているそこそこのものですけれど。
ある程度買いだめしているアドリネに便箋と封筒代分の代金を渡したあと、蛍石の照明の下でおじい様への手紙をしたためます。
私は定期的におじい様に手紙を送っています。おじい様はほとんど領地にいますから、学期中はほとんど会えません。手紙は時間はかかるもののきちんと返事が返ってきます。ヴィルも送っているんじゃないですかね。どんな内容か知りませんが。
私自身が書く事と言えば、ちょっとした日常の出来事ですかね。それもあんまり長くない。
ほんとうにめんどくさい時には短くなります。「元気です。心配無用。また手紙送る」、とか。ほぼ短文のみになる結果に。おじい様もおじい様で「うむ」としか書いてこないからもはや文ですらないのですけどね。
そして今日私が羽ペンを手にとったのはわけがある。
さらさらと用件だけ書くと、封をして、アドリネに渡しました。
――至急、肉をおくられたし。私は今日も元気です。ごきげんよう、またいずれ。
ちゃんと頼みごとをしただけ、まだ中身はあると思うの。
渡された方は軽く嘆息しました。
「……街に行けばもっとよい紙質の手紙セットがございますよ。流行に乗ることもおつとめです」
つまりは自分でもうちょっとマシなデザインのものを買ってこいと。
自分で選べと。
それはもはや令嬢としての義務だとな!
……フッ、よろしい。
明後日は二週間に一度のお休みでしたっけ。
だったら行こうじゃないか、街に!
次回、街に行きます。
そして作者は今のうちにせっせと特大フラグを打ち立てようとする次第です。




