先生と生徒、禁断の関係(笑)
フランカはパルノフ先生と絡むとガラが悪くなります。
私がもろもろの事情をある程度かいつまんで、「お願い」したのはパルノフ先生です。
「……というわけです。可愛い生徒を助けてください」
「本当にイイ度胸していますね、フランカ様」
「ええ、よく言われますよ、ちゃっかりしているって」
私はニコニコしながら、手の中の冊子を弄びます。ページがめくれて肌色が見えるチラリズム。
「先生にしっかりとお願いするんですもの、手土産ぐらいは持参しなくてはと思いまして。以前、とても『お気に召して』いたでしょう?」
こういった場合、先に弱みを見せたほうが負けですからね。先制攻撃は必須です。脅しじゃアリマセン。
「……フランカ様の令嬢言葉は好きませんね。とても、わざとらしい。以前からとても気に障っているのですよ。どうにかしてくれませんか」
「あらまあ。これが素ですのよ~。オホホ。先生はこういうのはお嫌いでいらっしゃるの?」
「フランカ様限定です」
「ある意味、特別枠ですわね」
表面上は互いに微笑みながらも、会話の内容は大層えげつない。けれどもこれが通常戦闘モードだったりするのですよ。
しかし、今日は事情が違いますから、嫌味の応酬はサワリだけで終わります。
ふいにパルノフ先生は後頭部の黒髪をわしわしとかき乱し、「あー面倒だ」とぶつくさ言いたげな顔になります。……私が思うに、この男は本来普段見せている「慇懃な先生」とは真逆の生き物じゃないでしょうか。
「それで何をお願いしたいのですか、フランカ様。あなたがわざわざこんなところまでいらっしゃって『お願い』することは今までありませんでしたから、先生びっくりしているのですが」
「こんなところ」とは、私とパルノフ先生がいる職員寮の談話室のことです。窓から見える建物を囲む青々とした生垣が周囲の視線をシャットアウトしてくれて、さらに談話室にはほかに誰もいないので、密談し放題の隠れスポット。軽いサンドイッチ(お手製)をつまみながら傍目にはほのぼのとしているわけです、私たち。
今日の「世界情勢」の授業のあと、ここに先生を呼び出した次第。
先生もここが根城であるので、待ち伏せして付き合わせることも可能であります。
もしものときの必殺技は「今日の授業はとても面白かったので、もっと深い話を聞きたくて……」と他の先生に言いふらすこと。すると皆簡単に居場所を教えてくれるわけですよ。いやー、普段からの行いって大事だよね。
そういうわけで、本日の獲物はのこのこと狩人の元へとやってきたところで。
「だって、先生なら私よりも多くのことをご存じだと思って」
「含みのある言い方ですね」
「そうなるのも仕方がありません。見るからに先生って怪しげな雰囲気ではありませんか。この学院唯一の外国人教師で、しかも以前の経歴は世界中旅をしていた事以外、不明。目つきも他の教師たちと比べると異質です。表向きは貴族出身である生徒たちにへりくだっていますが、実際はそんなこともないでしょう。先生というよりもむしろ、うちの領地にいる騎士たちに近いのではありません? そうですねあとは……先生とルヴィッチ先生はほぼ同時期に学院に着任されたようですが、どちらも学院の教師陣より一際若いですよね。ルヴィッチ先生はこの国の貴族出身ですから、まだわかります。でも先生は違いますよね。先生が何者であれ、何らかの事情があってこちらにいらっしゃったはず。ああ、もちろん、そこを詮索するつもりはありませんけれど。ただ、私は先生がお持ちの『手段』を活用したいだけ。先生は『鼻』が利くでしょう? 私が以前起こした騒動のときもいらっしゃるぐらいには」
自分の鼻先に人差し指を乗せ、おどけながら告げました。
「だから私の求める情報を開示してください、先生」
目だけは真剣に相手の瞳を見据えます。黄金の輝きは、私をまっすぐ見返してきました。
相手はツヴィックナーグル家とも縁が深いギルシュ人です。
昔から小競り合いが多かった。ほんの数年前にもギルシュは国境越えをしてきて、騎士団内にも死傷者が出ているのです。
誰もかも疑うわけではありませんが、貴族の子弟が通う学院にいるギルシュ人に警戒心を抱かないわけがありません。最初はただの勘。でもその勘はよくあたる。案の定、先ほど言った通りの違和感がずらずらと出てきましたよ。鳥の糞騒動の時もわざわざ出てきたということは何が起こっているのか自分で確かめたかったからでしょうが、結局私にさらなる疑念を抱かせただけでしたね。いくらでも利用してくださって構いませんよ、と言わんばかりじゃないですか。
「最近学院内でもおかしなことが多いので、平穏のためにも応じた方が先生も楽じゃありません?」
「フランカ様なら、解決できると?」
「保証はできませんが、全力は尽くしますよ。これでもツヴィックナーグル家の娘ですから」
「ツヴィックナーグル家、ですか……」
パルノフ先生はふうと息を吐き出しました。
「ギルシュにとっては因縁深い名ですね。コプランツ王国最強の盾の一族の直系の娘が私の教え子になるとは昔の私には思いもしませんでしたが」
「それは私だって同じですよ」
パルノフ先生に「お願い事」をするつもりはさらさらなかったのに、どう考えても一番この学院の情報を握っているのは目の前の男だという結論になってしまった。一生の不覚。
先生はサンドイッチの皿に片手を伸ばしました。ハムとサラダとチーズを挟んだだけの簡単なサンドイッチですが、どうやら先生のお気に召したようですよ。ふっふっふ、いい傾向です。
「それで私がフランカ様に協力したとして、何かほかに見返りがあるのですか?」
お、話にのってきましたね。
そういうと思ってましたよ。好きでもない生徒のために無償で何かしようとか、そんな善意の心を持ち合わせていないのはとっくにお見通しだ! ちゃんと考えてありますよ!
「はい、いくつか提案がありますよ。先生がもたらしてくれる情報次第ですが」
「価値を決めるのはフランカ様ですか」
「今回はそうなってしまいますね。先生が『すでに』知っている情報で構いませんから。ですがこれでも払いはいいと思いますよ?」
先生は最後のサンドイッチをしっかり食べ終わってから口を開きます。
うわ、めっちゃ不穏な笑みを浮かべてる。先生の皮剥がれかけてますよって言うべき?
「具体的には?」
「無難だとお金ですかね」
「……持っているんですか」
疑問形になるのはわかります。令嬢って普通自分で買い物などしませんからね。
ま、私の場合は学院が休みのときなどでも普通に街に出て、お菓子とか買っちゃいますが。
これでも多少の収入源があって、自分の自由にできるお金ぐらいはあるのです。
「まあ、そこそこです」
「それはそれは。……要りませんね。こんな生活していると逆にお金が余ってくるので」
学院の職員寮だと衣食住すべてが満たされ、しかも教師としてのお給金もいいでしょうし。
じゃ、次だ次。
「だったらお酒で。ツヴィックナーグルの領地の幻の地酒。飲めば大熊を素手で倒せるほどの効力があるらしいですよ」
祖父の実体験であります。
「それは……もはや酒と言えないような」
「だめですか。美味しいですよ?」
「だめですね」
なんだと。経験上、男が酒に釣られないなんてことはなかったのに……!
うちの騎士団だと酒提供すればめちゃくちゃ感謝されて、胴上げされる勢いだというのに……!
ひょっとすると、先生は下戸ですか! 飲めない人ですか! なんてもったいない!
あぁ……パルノフ先生ってとってもかわいそう(笑)なやつだったんですね……!
「フランカ様。なんです、その哀れみのこもった眼差しは」
「いえいえ~」
怒らせる前に次なる提案を。
「だったら、『女』はいかがでしょう」
「は?」
おっと、先生のご機嫌ゲージがみるみるうちに下がっていきます。眉間に皺が寄ってますよ!
端的に言いすぎてしまったので、さらに説明しなくては。
「私が厳選した綺麗なお姉さんとのめくるめく官能的な一夜を提供するということですね」
これでどうでしょう!
綺麗なお姉さんに釣られない人はいませんよっ!
王都で一番人気の高級娼婦であるジャヌ姉さんは私と同郷で、昔から私をとても可愛がってくれました。
今はすでにお客を選べて、彼女と一夜を過ごす値段は天井知らずに上がっていますが、私の紹介ならばきっとサービスしてくれるはず!
パルノフ先生は独身だし、なんの気兼ねもないですよね! さあ、さっさと釣られちゃってください!
あ、言い方が率直すぎというのは考えるのはナシで。
だって下世話な話ですが、パルノフ先生は秘密を守るでしょうし。生徒に女を紹介してもらったとか、到底言えませんからね。
「却下」
……先生。
「仮にも貴族の令嬢が言うことではないでしょう」
先生が、まともなこと言ってるや。
フツーに却下食らいました。……まあ、考えてみればこれに飛びつく方も非常識だな、うん。
「それに、先生には可愛い婚約者がいますからね」
「……へえ」
「妬きましたか?」
「どちらかというと笑えます」
ちらっとこちらを見るパルノフ先生に、真顔で返す私です。
慇懃無礼でペラいお世辞をだらだら流している先生から「可愛い」とかいう可愛らしい言葉を聞くとはと思っているだけです。ウケる。いや、ウケたらあかんがな。失礼すぎる……が。だんだんにやけてくるのは不可抗力です。
「……笑う要素はどこにもなかったはずですがね」
「ええまあ。こちらの問題ですよ。婚約者とやらがいらっしゃるなら、この案もダメですね。で、これで金と酒と女が全部却下ということですね」
なんてめんどくさい男なんだ、パルノフ。
というか、この三つに釣られないとか、ほんとーに男なのだろうか。
それとも私の提示の仕方が悪かったとか? どっちにしろ、先生が考えていることは以前からよくわからなかったからな。考えるだけムダかもしれない。
ああ、でもそんな男でも婚約者がいるのか。うん、上手く付き合ってくれ、婚約者。先生こっち住み込みだから、物理的距離どころか心理的距離も長そうだけど!
「贅沢な男ですねー」
とうとう声に出ちゃった。
「私が求めるものを聞いた方が早いと思うのですが」
「そうですね。まったく参考にする気はありませんがパルノフ先生は何をご希望されます?」
「……」
「何か?」
「ほんっとに! 可愛げがないな、あんた……!」
あ。崩れた。それとも剥がれた?
予想していただけにずずっと紅茶を口に含みます。私、紅茶はストレート一筋ですの。
「先生……。まあ、落ち着いてくださいよ」
「誰のせいだと!」
「私のせいですね。でも先生はすでに皮剥がれかけていたものでしたし……」
ぶっちゃけ、気持ち悪かったんで……。とは言わない。代わりに紅茶のおかわりをついであげた。
「はー」
先生は一息で飲み干した。
「これでも先生らしくやろうとしていたものを、むりやり引き剥がすとは……」
「職員寮だからよくありません? メルボルト先生あたりにそんな感じの口調でしゃべったら……」
イレーネが滾るシチュエーションだと思います。
ひっそりと教えてあげよう。なんて友達思いなんだろう、私。
「頼むからそれはやめてくれ」
「察しがいいですね。まさかの以心伝心ですかね」
「嬉しくなさそうに言うな」
「いたっ」
頭を叩かれた。加減されているが……こんの、暴力教師め。
「はっはー、フランカ様は素の俺のほうがいいとおっしゃったのでね。扱いもそれ相応になりますねえ」
素と先生とで口調がごっちゃになっているよ、ちくしょう!
皮をはがした途端に、急に上機嫌になりやがった。開放感ゆえか!
ちょっと失敗したかもしれない。この交渉、相手に優位になってしまいましたよ。反省反省。たまにはこういうこともある、諦めるな私!
「……わかりました。素のパルノフ先生はガサツ系でもういいです。報酬はとびっきりの肉詰め合わせセットでいいですか」
「あ? いきなりなんで」
私はサンドイッチを指しました。
「このサンドイッチ、私の手作りです。チーズとソースだけはあり合わせのものになってしまいましたが、パンは早朝に竈で焼きました。野菜は学院で場所を借りて作っている家庭菜園の野菜を、肉はこの前実家帰った時に作って熟成させておいた燻製肉です。うちで品種改良されているナーグル牛のものです。超高級品です。王室献上がささやかれるほどの絶品のお肉なんです。私の血と涙と汗の結晶つまっていると言えるでしょう。これ以上のものは私には出せません。いかがですか、先生。……そのサンドイッチ、美味しかったでしょう?」
私の最強アイテム。それは幻のブランド牛「ナーグル牛」です。
どこよりも美味しい肉を食べたいという私の欲望から開発がはじまった品種です。
どちらかというと血統をどうこうではなくて、飼育方法や餌に工夫をこらしたのですよね。
「目指せ、牛にストレスフリーな生活を」をスローガンにして、領内の一部の牧場経営者と数年にわたり試行錯誤してできた、私が思う最強のお肉、キングオブ肉!
もうね、見た目は赤い宝石のように美しいのですよね。口に入れれば脂身まで美味しくて、はじめて串焼きにして食べた時のあの感動は言い尽くせないほど。
幸いなことに品質を保つために少数生産をするほかないのですが、それがさらに希少価値を高めていて、商人を中心にひそかなブームとなっているのですよ。貴族に広まるのも時間の問題。
私が得ている副収入というのも、この「ナーグル牛」の後援者として継続的にもらっているものなのです。
今回サンドイッチにいれたのは、私がひそかに燻製肉をブロックごと自室に持ち込んで、たまに食べてるものからスライスしたものです。とっておき。……できれば、パルノフ先生にあげないですませたかったです。
私の、お肉……!
「いや、確かにうまかったが……別にそこまで肉を求めていないのだが。というよりも昨晩の今日で元気だなー……」
「そんなやわな神経してません!」
「そうか」
「そうですっ。それで、先生。肉もダメなんですか。ギルシュ人はよく肉を食べる習慣があると聞いていたのに」
「それは羊肉だな。うまいぞ」
それは知ってる。ラム肉最高。いや、そうじゃなくて。
「なんか先生の相手するの疲れました。ちゃっちゃと希望言ってください」
まさかの全弾不発に、もうなるようになれとじと目で促しました。
ほら言ってごらんよ、言いたかったんでしょって顔していたと思います。
先生は私のいいようにやっぱりちょっとイラっとなさったようですが、自らを落ち着けるようにジャム入り紅茶を口に含みました。紅茶にジャムを入れるのは北方の習慣だと聞いています。
「フランカ」
「なんです」
さらっと敬称なしの呼び捨てにしおったぞ、この人。
「結局、あんたが求めているのは『お願い』じゃなくて、『取引』なんだな。年上に甘えたっていいんじゃないのか。なんならタダで教えてやってもいいんだぞ」
ふん、とすまし顔で答えます。
「タダほど怖いものはないでしょう。甘えるときは甘えますが、先生に借りを作ることはしたくありません」
「……ここに来たのは、あんたの甘えじゃないのか」
からかうような声音に眉がぴくりとあがります。
ああ、嫌い。わざわざ口に出すところが憎たらしいですね。
手のひらで転がしているようで、手のひらで転がされているこの感じ。
私はけっして頭の回転が速いわけじゃないし、失敗もする。
でも感覚は鋭敏な方だと思っています。人の気配を察するのも得意です。
勘が、私に警鐘を鳴らしているのですよ。―――――食われるな、と。
私の顔を眺めたパルノフ先生は実に野性味溢れる微笑みを浮かべておりました。
うわー、胡散臭。
「まあいいさ。そんな警戒心むき出しにされても困る。報酬はさっきのサンドイッチ一食分でいい。妥協点はそのぐらいだな」
「……そうですね。妥当な落としどころだと思います。ちゃんとその分の情報はきっちりいただきますから」
サンドイッチ一食ぐらいなら大した手間じゃありません。明日にでもできますし。
バスケットにでも入れて、授業後に押し付ければいいかぁ……。
また、パルノフ先生のお腹に私のとっておきのお肉が入ってしまう……。
じっとローブに覆われ、いまいちどんな感じかわからない先生のお腹を見て、ため息。
お肉に恋する乙女としては辛い決断です……。
どこかほうけていた私に、パルノフ先生は尋ねました。
「それで? どんな情報を求める?」
「え? えぇ……。だったらまず大まかな質問で。最近、この学院で何が起こっているのですか」
気になっているのはとくに二つ。
学院内で流れる噂の悪意。
そして厳重に守られているはずの寮内へ学外からの侵入が許されてしまったこと。
おまけですが、テオドーラ様の突然の復活も少しだけ気になります。だって彼女全然反省している様子なかったし。
なんだかすっきりしないのですよね。ずっと胸の中でもやもやしているんです。
学院内の空気も以前とは少し変わった気もしていて。
うーん、なんだか面倒事の予感です。
「何か、あるような気がするんですよねー……」
「ええ、もちろんいますよ」
パルノフ先生が口調を戻して告げるのに耳を傾けます。
「『王子様』が」
またか。
また、王子様なのか。
白けた目をする私。
でも、今回の話には続きがありました。
「名前はクレオーン。正真正銘のコプランツ第一王子だが、同時に人目を憚ってひそかに育てられた悲運の王子様です。彼はこの学院にいて……私は、国王陛下の信頼を得て、彼のお守役も担っています」
ほらやっぱり。面倒事でしたよ。
次回からのパルノフ先生(改)にご期待ください。
〈補足〉
ナーグル牛……ツヴィックナーグルの「ナーグル」より命名。世界一美味しい肉をいつでもどこでも食べたいという乙女のワガママ(笑)から開発スタート。フランカはその発案者兼責任者。最近では「ナーグル豚」と「ナーグル鳥」の開発にも着手している。
ふわっとな理解でスルーしていただければ……。
いつも読んでいただきありがとうございます。




