フラグは立たない。
恋愛フラグは立ちませんが、別のフラグは立っているという矛盾したサブタイトルです。
我ながらムキになっていたのは否めない。
――俺のムスコはもっと大きい。
それをわざわざ人の前で口にすることでもないだろうに。
しかも相手は女。酸いも甘いも噛み分けた経験豊富な年増の女でなくて、本来純粋培養されてきているはずの若い令嬢だ。このぐらいの年頃なら、きゃあきゃあ騒がれて、非常にめんどくさいことになってもおかしくなかった。
それを思えば、こぼした相手があのフランカでまだよかった。彼女だからこそ、とも言えるわけだが。
彼女は色々と規格外なので、俺の先生ヅラを簡単にひっぺがそうとしてくるのだ。まぁ、フランカ・ツヴィックナーグルにデリカシーを求めるなど無駄なことだ。ロバがカエルに道理を説くようなものだろう。
彼女は「敵」には容赦しない。この学院で一番長く敵をやっているこの俺が保証する。
今回は終始彼女のペースに乗せられてしまったが。……まったく。あんな〈最終兵器〉を持ち出してくるとは。
俺は椅子に腰掛けたままそっと袖口をまくった。見事に鳥肌が立っている。
しばらく同僚のメルボルトから離れようと決心する。普段からそんなに接点があるわけでもないが、二人でいるところを彼女の生暖かい目で眺められるのはゴメンだ。いっそ俺を殺せとわめきたくなるに違いない。
ちっ、あの小冊子を没収しときゃよかった。
職員寮の自室に戻ってからだいぶ経つのに俺は後悔していた。
女子寮は治外法権だ。あそこに入られたら一介の教師の俺には手出しできない。
内心の葛藤を沈めてから、だぼっとした黒のローブを脱ぐ。裾が床に引きずるぐらいに長く、暑さにも寒さにも弱い実用性に乏しいシロモノだ。学院内の教師はダンスや武芸といった実技の教師以外はほぼ皆これを着用する義務がある。どこの賢者だろうな? これは。それから伸びた前髪をかきあげる。周囲に合わせて、「地味な格好したインドア派先生」を演じるための変装のひとつだった。
そのうちに視界が暗くなっていく。太陽と月の「逢瀬の刻」が終わり、本格的に夜の帳が降りてくるのだろう。南に面した窓からよく見える。……まあ、ここ、二番目にいい部屋だもんな。
胸開きのシャツと黒のスラックスだけになって、体内の中に溜まっていた熱を冷ます。
普段なら、生徒が誰ひとりいなくなった頃を見計らって鍛錬したいところだが、あいにくと客人の約束があった。
ノックがあると同時に、扉から一つの影が滑り込む。紅茶とクッキーがのったプレートを持って、備え付けのソファーに陣取り、俺に対してもどうぞ、と席を勧めてきた。その表情は無表情というわけではないが、水彩絵具よりも薄く引き伸ばされたように見えにくい。それがこいつのデフォルトなのだ。
「クレオーン」
すると紅茶を注ぐ手を止めて、俺の方を見上げてくる。瞳は薄い灰青色。髪は冴え冴えとした銀色だ。顔は黄金比そのものの完璧な造作をしているが、幸薄そうなやつだ。実際、不幸の星の元に生まれているが。
「俺はお前のパシリじゃないぞ。次様子を見に行かせるならちゃんと自分の手駒を使え」
「何をいまさら」
「俺をお前の戦力に入れるなと警告しているんだ。そこまでは面倒を見切れんからな」
俺はこいつが幸せだろうとそうでなかろうともそんなに重要じゃないので、しっかり釘を差しておく。そうしないとずるずるとこの国に巻き込まれかねない。
俺の母はコプランツ人だったが、俺は生まれも育ちもギルシュ人であり、金色の瞳も褐色の肌もそれを示している。髪ばかりはコプランツのある家系にときどき現われる銀髪だが、これは母がクレオーンの家系の出だからだ。今は黒に染めているが、俺の場合は少しだけ黒ずんだような銀だ。今の俺は誰からもギルシュ人に見えるだろう。
西のコプランツと東のギルシュの間で十数年前に戦争が起こっている。これは気が狂ったギルシュの国王がコプランツに攻め込んだもので、コプランツはその侵入を退けた。その後ギルシュの国王は息子によるクーデターにより幽閉されたが、コプランツ国内でのギルシュのイメージは最悪だ。
俺はいろいろあって実家を飛び出し、世界中を転々していた。その中でコプランツ人がギルシュ人に向ける冷ややかな目は明らかだった。
食べ物を分けてもらおうとしただけで、襲いかかられたこともあったしな。威力を無効化して放置したが。
お前のせいで父ちゃんが死んだと言われたこともある。だが当時の俺は子どもでその戦争に参加さえしていない、謝るというのも少し違う。美味いメシだけおごって、あとは逃げた。
基本俺はひとつの場所に留まらない。いたとしても一ヶ月やそこらで飽きて別の場所にいく。この学院にいるのは珍しくも例外で、昔の恩人のよしみによるもの。そのよしみの中にサクサククッキー食ってる坊ちゃんが含まれているだけだ。
教職というのは今でも肌に合わない。慣れない敬語で、威厳あるように見せているだけだ。ガサツな俺にはキツイ。それなりのやりがいを見つけていなくてはクレオーンが来る前にどっかに消えていただろう。
愛狼のエラにもしばらく会っていない。まさか相棒の顔を忘れてはいないだろうが、みごとな白銀の毛並みをくしけずり、その腹を枕にして寝たい。旅をしていたころは、そうやって寄り添いながら夜を明かしていたのだ。
だったらどうして続けているのかというと……いくつか理由があるが、大人しいばかりのコプランツ貴族の子女の中にも「変わり種」がいたからだろうか。
ツヴィックナーグル家の姉と弟がその筆頭だろう。
破天荒な姉と姉至上主義の弟。
姉のほうは授業で何度か受け持っている。俺の授業をもっとも熱心に聞いている生徒だ。そして、互いに遠まわしの嫌味をいう仲ではあるが、彼女とのやりとりは意外と気に入っている。常人とは違う斜め上の言動が面白くて、ついつい目をかけてしまう。本人としては玩具にされて非常に不本意なのだろうが……今後とも、ぜひ学院に縛られている俺の苛々からくる八つ当たりに振り回されていて欲しい。
弟はもともと有名人だ。姉と一緒にいるために飛び級した秀才の変人。ごく平凡な容姿しか持たない姉に執着するさまは狂人。なにかと姉に抱きつき、でゅふでゅふ言っているさまは変態。
顔と家柄は優良物件なのに、と女子生徒から残念がられていると聞く。
これからの学院はおおいに荒れる。
ルディガー・ネリウスとテオドーラ・クノーベルが築き上げていた一大勢力がゆらぎ、カティア・シュテルツェル、イレーネ・クリッチュらの新しい派閥が台頭してくる。新しい派閥の旗手は、フランカ・ツヴィックナーグルだ。
彼女が、ルディガーとテオドーラを「敵」と見なした。弟も追従するだろう。
すでに反撃の狼煙はあがっているのだ。学院という舞台で自ら主役として踊ろうというのだから、俺だって目が離せない。
だが、さらに事態を混乱させようとする道化は、目の前で紅茶を嗜んでいる。
手短に俺が今日の出来事を報告すると、カップを口から離して小さく息をついている。
ついで佩いた笑みは酷薄さが色濃い。情が薄い人間なのだと思う。
母とは死に別れ、父とも疎遠、わずかな取り巻きたちとともに王子であることを隠されて育てられたのだ。
本来ならば世継ぎとして国中の注目を一心に集め、祝福されながら育つはずだった第一王子だったことを知っているからこそ、今も目立たず学院に隠れていることに鬱屈した気持ちを抱いているのだろう。
「潜んでいるのもそろそろ潮時かな。これから徐々に表に出てくるようにするよ。……誰が一番先に〈僕〉を見つけられるだろうね?」
声に喜色が滲む。どうやら事態を引っ掻き回すのが楽しみで仕方がないらしい。
こう言い出すことはいずれわかっていた。
王子がいるという噂を流した時から、すでに秒読みの段階に入っていただろうから。
「勝手にやってろ、王子さま」
「最初はどの家を手に入れようか」
「あ、そう」
勝手に遊んでろ。
俺を巻き込んでくれるなよ。
だが、次の言葉には不覚にも動揺した。
「ツヴィックナーグル家が欲しいな」
「……それまたどうして」
よりにもよって、ついさきほどまで考えていた家の名をここで出されたのは偶然か?
悪魔的に底意地の悪い王子さまなら有り得るだろう。
「ツヴィックナーグルの軍事力はまっさきに掌握するべき代物だからに決まっているよ。だろう、パルノフ先生?」
東のツヴィックナーグル領はギルシュとの国境に接している。
険しい山や谷、森が広大で、天然の要塞とでもいうべき場所だが、東を防衛するのにはそれだけでは足りない。
コプランツを囲む東西南北の四つの国があるが、この中でもっとも軍事的に強大な力を持っているのがギルシュだ。
ギルシュは「騎狼民族国家」である。その子どもは歩くことを覚えるより先に、狼に乗る。
馬よりも早く走る狼はギルシュではごく一般的に飼育されている生き物で、誰もが皆自分の相棒の狼がいる。戦争においては大きな力となるのも必然だろう。
そのギルシュと相対しなければならなかったツヴィックナーグル家は強くならざるを得なかったのだ。
騎狼集団に打ち勝つために、日々鍛錬を続ける屈強な戦士たちの巣窟―――ツヴィックナーグル騎士団は、国王とツヴィックナーグル家当主に絶対の忠誠を貫くコプランツ最強の兵士たちだ。
クレオーンが国王になるためには、彼らの信頼を得なければならないことは避けて通れない課題だろう。逆に従えなければ国が荒れる。―――彼はごくごく一般的な結論の帰結に至ったのだと説明する。
どうして、とこぼした俺のほうがおかしいのだと言いたげなのは気のせいではないだろう。
「幸いにもまっさきに攻略するべきツヴィックナーグル家の人間はこの学院に二人もいる。しかもひとりは次期当主。彼を懐柔するのは簡単だよ」
ヴィルヘルム・ツヴィックナーグルの弱点。そんなものは誰の目にも明らかだ。
「フランカ・ツヴィックナーグル。彼女が落ちればたやすくあの家は手に入るだろうね。あと、彼女の派閥に属しているカティア嬢のシュテルツェル家は政治上の大物だし、イレーネ嬢のクリッチュ家は東半分の小地方領主たちをまとめあげてひとつの勢力を作っている。今は国王派にも王妃派にも属していない中立だが、これからもっと伸びることだろうね。……ほらね、彼女が味方につくだけでいろいろ釣れるだろう?」
「確かに。だが彼女がそう思うとおりに動くとは思えんがな」
クレオーンは口角を上げて、クッキーをつまむ。
さきほどからクッキーがものすごい勢いで消費されている。俺は一口も食べていない。
「それは経験談? でも僕は彼女との関わり方が違うんだよ。今の僕は君よりも彼女に近い。いざとなれば色気でも出して篭絡してみせるさ。惚れた男ならどんな女だって弱くなる」
フランカにそういった情緒を求めるのは無駄なのだがな。
忠告してやるのは簡単でもフランカにそげなくされるクレオーンを見れば、胸がすいたような心地になるに違いないので黙っている。
たまにはその鼻っ柱が折れればいいさ。
俺はクッキーの最後の一枚を口の中にいれた。
〈補足〉登場人物(男)の美男子の方向性イメージ
ルディガー 顔立ちは正統派王子っぽい。ただし行動は三枚目。
クレオーン王子 人間の域を超えた美形。色素薄めのミステリアス系。今のところ、作中でぶっちぎりのイケメン。
ヴィル 街中の美男子コンテストで優勝できる爽やか系スポーツマンタイプ(見た目だけ)。王子というよりも騎士。でも姉しか守らない騎士笑
パルノフ先生 主人公は絶対気づかず、気づいても認めようとしないが、よく見ればそこそこに顔立ちが整っている。先生の変装をしなければ、粗暴な色気を垂れ流しまくっているワイルド系
ですが主人公が基本的にイケメンに対して舌打ちする勢いなので、ここでそれぞれのイケメン度についてお知らせしておきます。




