T嬢の悲劇。
作戦会議という名のお茶会で、ご令嬢二人が不穏な企みごとを決意して、うふふと微笑んでいるのを心の中でつっこんだ私ですが、実のところ、私自身も楽しくて仕方がありません。
私はうふふ、とか上品には笑わないけれど。むしろ、腰に手を当て、「アーハハハハハッ」とかやってみたいです。うん、悪役っぽいのはわかっている。だって、私は悪者になるつもりだから。
公爵家と侯爵家に逆らうんだよ? この国は身分制がきっちりかっちりなんだよ?
それに逆らおうって決めたなら、英雄になんてなれるはずがないものね。必然的に悪役に割り当てられます。
そこに正義なんてありません。
自分が気に入らないから行動を起こすのです。それがエゴじゃなくて、なんだというのでしょう。
戦争だって同じことです。
国同士があれこれ主張して戦ったとしても、自国が有利になることしか望んでいません。
軍隊が国のために戦うと旗印を掲げたって、軍人は昇進や褒美のため、民間兵は明日のおまんまのために戦うのです。
そして目の前に敵が現れれば、自分か相手のどちらかが死ぬのです。
よほどでない限り、誰もが死にたくないと思うでしょう。だったら自分が手を下すしかないのです。
それは当然の帰結になるでしょう。実にシンプルです。
私は美しい理想を口にする人よりも、薄汚い現実をまっすぐ見つめている人の方が好ましく思えます。
「麗しの姫君を異国の魔の手より守るため敵を打ち倒して参りました」という気色悪い言い訳よりも、「うちの領土が襲われそうになったからぶっつぶしてきた」という方が正直でよろしい。
ちなみにうちの騎士団ではわりとあけっぴろげに認める人たちが多いので、私ほれぼれ。見た目にも中身にもときめきスパイラル。
そもそも、理想論を好んで口にする輩ほど中身がスカスカだったりする。
ステキ~って頬染める理由がわからん!
もちろん、他人のために動くということを否定するわけでもありません。
「国の正義」といった抽象的なものでなくて、もっと具体的な、「自分に身近な人々」という意味での他人のためだったなら。
自分が愛する人々――身内は、自分の環境を形作っている一部なのです。それが失われれば、今までの「自分」ではなくなってしまう――。
だからおじいさまが「コプランツ国王」に忠誠を誓い、彼のために戦う、ということは理解できてしまうのです。おじいさまにとっては国王は「身内」なのですから。
真の意味での「忠誠」はとても得難いものです。
今回のことで言えば、私は自分のために戦います。
カティア様とイレーネを巻き込んだのは、私と仲がいいということですでに目を付けられていると考えたから。とくにカティア様はテオドーラ様に目の敵にされていましたからね。よっしゃ、こうなったらまとめて面倒見てやらぁ。かかってこいやー、公爵子息アーンド侯爵令嬢!
作戦会議で決まったのはおおまかな目標です。
何をもって、私たちの勝利とするか。
これは簡単なことで、最上が「ルディガー様とテオドーラ様に心の底からの謝罪をさせること」。そうでなかったら、「彼らがじたんだ踏んで悔しがってもこれ以上何もできない状況に追い詰めた上でこちらの優位をわからせ、戦意喪失させる」ぐらいまではいきたいものです。
いじめじゃありませんよ? あくまで対等な「喧嘩」ですからね。向こうが私のテリトリーに入ってきたのが悪い。
それに私たちは貴族なのですから、貴族らしく喧嘩しましょう。あなたたちのレベルに合わせて。
裏でこそこそと、品もなく、陰険に。でも学院内という幼稚な境界線にも気づいてくださいね? 「子ども」の喧嘩に「大人」が出てくるのは反則です。巻き込むほど愚かだったら、がっかりしてあくびが出てしまいそう。
ひさびさの、喧嘩なのにね。
私が喜々として話せば、二人とも大層ノリノリでした。
もしかしたら、アレかもしれない。ご令嬢じゃなくて、ご子息としても立派にやっていけるノリの良さ。
イレーネはまぁ、元から腹黒いからいいとして……カティア様はここ数日でずいぶん私に染まってしまったような。無邪気な小悪魔もステキです。
ここに「ツヴィックナーグルの野猿」と呼ばれた野生児こと、私が加わってしまえば、トンデモ三人娘の出来上がりです。
名門貴族であるカティア様がいるだけにタチが悪いね!
そしてさらにここに我が弟も入りそうですが……うん。
弟とその一団が私にもたらした衝撃と驚愕と羞恥の出来事を語るのは後の方にまわそう。ちょっとやつらの熱意にはついていけそうにないです。
話すからには最初から、順序よく。
私が一番最初に仕掛けた出来事から参りましょう。
二回目の作戦会議にて、私がこう提案したことから始まりました。
「喧嘩は先手必勝だと思うのね。だからまずヤツらの横っ面を殴るぐらいのことをしないと。つまりは派手に大きな騒ぎにしたい。でもって先生に表立って怒られないようなヤツね」
紅茶を飲みながらイレーネは白けた目を向けてきます。言いたいことわかる。むちゃぶりすんなってことでしょ? ちゃんと考えてありますとも!
「具体案はすでにある! 大丈夫、喧嘩に関して私に手抜かりなんてないの。あ、でも覚悟しておいてね、最初にまずヤツらの面子を潰す予定だから。もっと詳細に言うと、今回の標的はテオドーラ様ね。さらに私の作戦通りに行くと、彼女ヒステリックに泣き喚くだろうし、耳栓持参を推奨する」
怪訝そうになる二人。私がその全貌を明かすと、イレーネは自分の役割を心得たように頷きます。でもちょっと心配そう。
「あなたね……そうやって全部自分が表に出てくればいいって思っているでしょう? もっと周りに頼りなさいよ?」
「うん、だから頼っているじゃないの。互いにベストを尽くしましょう」
「あっ、そう……」
よし、諦めた。
カティア――この時、互いに呼び捨てにしようとなった――は期待に満ちた目で私を見ています。
「もちろん、カティアにもお願いしたいことが」
「なんでもおっしゃってください、フランカ!」
……かくして、私の先制攻撃の内容が決まったのでした。押し通したとも言います。
いつもと変わらない穏やかな放課後でも、私は大層憂鬱だった。
ほお、と長椅子に横たわってため息をつくと、友人たちが私を励ましてくれる。
「テオドーラ様のせいではございません! すべてはあのフランカ・ツヴィックナーグルが生意気だからですよ! 負けないでくださいませ! わたくしたち、応援しております!」
「そうですわ。最近シュテルツェルの娘と懇意になっていようとも、テオドーラ様に適うものはおりません。家柄、容姿、才覚のどれをとってもこの学院で一番なのはテオドーラ様ですわ」
「ルディガー様だって、テオドーラ様にあんなに夢中になっているではありませんか! わたくし、おふたりをみていて、まるで絵物語から抜け出たようだと思っておりました」
私は弱々しげに笑みを浮かべてみせた。
「皆様、ありがとう。あなたがたは私の本当のお友達だわ……」
学院にあるもっとも大きいサロンにある長椅子に座りながら、私は傍に控える友人たちの言葉を受け取っていた。
皆が私を褒めてくれる。私が有力貴族の娘で、ダンスも社交術にも長けた美しい令嬢だから、何もしなくとも崇拝者が集まってくるの。完璧な、私の世界はここにあるわ。
ルディガー様もそんな私を望んでくれた。
名前だけの婚約者を捨てて、私を娶ると告げてくれた。
幸いにも、私の実家はとても乗り気。もうすぐ私が婚約者になるのだわ。公爵夫人……ふふ、いい響きね。
ルディガー様がいらっしゃる限り、誰も私には手を出せないのでしょうね。
生意気なあの女……フランカ・ツヴィックナーグルだって、吠えているだけで何もできないわ。
その証拠にここ数日私に何もしてこない。私を見ると避けていく。やはり怖気づいたのだわ。
ダンスでさえ上手く踊れない野蛮で醜い女。座学の成績だけは誇っているようだけれど、それが一体私たちに何をもたらしてくれるというの? 平方根がわかる貴族の奥方って必要なのかしら。
「重い『荷物』を持って歩いていらっしゃるご令嬢だから、きっと誰からも求婚されていないのでしょうねぇ。おかわいそうに」
私の取り巻きたちは私が選んだ最上の令嬢たちだ。全員が私にふさわしい。
でも、あの女は目障りね。存在すること自体が汚らわしい。歩くさまは食べてくださいと言わんばかりのブタですもの。
ルディガー様なら、頼めば排除してくださるかしら。
以前にも気に入らない生徒を追い出していたものね。今度頼んでみましょう。
周囲とくすくすと笑い合いあっていると、閉ざされた扉がノックされる。
「あら、誰かしら」
すすっと侍女のように令嬢が扉を開けに行く。いささか乱暴に扉が開いた。内鍵を閉めていたというのに。
「キャッ!」
令嬢が仰向けに倒れて、あぁ! と別の短い悲鳴が重なった。
顔を出したのは、どこかキツめの印象を抱く令嬢で、慌てて倒れた彼女に駆け寄った。
「も、申し訳ございません! 中に人がいるとは思わなかったものですから……」
「い、いえ……」
倒れた方は手を額に当てている。なんてま抜けた顔。
ふと、彼女は最近私の取り巻きになりたてなのだったと思い返した。だから早く一員になろうと、率先して動いたのだろうけれど、残念。
やっぱり不適格だったようね。
私は側近にそっと耳打ちした。あの子、明日からはさみしくて死んでしまうんじゃないかしら?
たった一言だけで、彼女は私の世界から締め出されるの。それがことわりなのよ、ご存知?
そのようなことをつらつらと考えていた私に、新たに入ってきた令嬢がきょろきょろと周りを見渡してから、不思議そうに私たちを見た。
「私、ここのサロンに初めて入ったのですが……どうしてほかの方がいらっしゃらないのです?」
新入生だろうか。私たち以外に人がいないのを不審に思っている。
……そう。まだこのサロンが「私たちのもの」だということを知らないのね?
私の代わりに、取り巻きたちが答えてくれる。
「それはそうですわ。ここはテオドーラ様のための空間です。わたくしたちの許可がなければ入ることなど許されませんわ」
「ええ、あなたは規律を乱したということになりますわね。どうなさるおつもり?」
相手は顔を青ざめさせた。口元に手をあてて震えている様は、この行動がどんなにまずかったのかを察したということだろう。
「そ、そうだったのですか。……ここがテオドーラ様の持ち物だっただなんて、つゆも知らず」
「ええ、無礼な子ね。わかった? なら、早く行きなさい! これ以上恥を晒さない方があなたのためじゃなくて?」
「は……はい! 失礼いたしました……!」
慌ててお辞儀をして半分駆け足で去っていこうとする彼女。
でも、幸運の神様は彼女にもっと恥をかけとおっしゃりたいかのように、制服の長いスカートの裾を踏んで、足をもつれさせ、ビタン、と派手に転ぶ。
「そそっかしいこと」
ぽつりとつぶやいてやる。相手はもう、ほとんど走る勢いでサロンを出て行ってしまった。
転んだ床には小さな忘れ物が落ちている。
もってこさせると、それはレースのハンカチだった。
とてもいい匂いがする。……この香りはいったいなんだろう?
邸に出入りする商人だって、こんな香水は持ってこなかった。
甘くて、優しいようでいて、中毒性のあるような……。花の香りかしらね。
周囲にいた子たちにも嗅がせてみたけれど、みんな首を振るばかり。
ここには流行に敏感な貴婦人ばかりいるのだから、一人ぐらいわかりそうなものなのに。
私はハンカチをもてあそんだ。今度会ったら香水のことを聞いてみようかしら、と思いながら。
「……ふ……は、はぁ……んっ」
小さな声が耳に届く。押し殺すようで、歓喜に打ち震えている女の声だった。大きな窓の外のあたりから聞こえてくる。
確かにこのサロンの周りには人気がなく、木立に囲まれているから秘密の逢引にはもってこい。
私だって、ルディガー様と。
あの方との秘め事を思い出し、私の体は熱くなる。
私の取り巻きたちは、それぞれ顔を真っ赤にさせている。
「な、なんでハレンチなんでしょう! テオドーラ様がいらっしゃるというのに!」
ええ、そうね。私が肯定すると、彼女は勢いづいたように憤慨する。
「んんっ、ふぁ、あんっ。お……おやめ、くださいっ、ん!」
糸を紡ぐようなか細い声なのに、清純な色気も感じさせて。声の主は相当の美少女に違いないわ。
相手は誰なのかしら。
「は、はぁ……。ひどいですわ。……ルディガー様ぁ、んんっ」
ルディガー様? どういうこと?
嫌な心臓の音。私は信じられない気持ちでいっぱいになった。
誰? いったい誰だというの! 人のものに手を出した恥知らずは!!
私は取り巻きたちを引き連れて、サロンを出た。泥棒猫をひっぱたいて、ルディガー様を取り戻さなくては。
サロンの窓のほうへと回り込み、人影を探す。……誰もいなかった。
べちゃり。
突然何かが頭上に降ってきたような感覚があった。さらにそれはぼと、ぼと、と落ちてくる。
「あぁ、テオドーラ様! なんということ」
私を見て、悲鳴をあげている。どうして?
あの感覚が今度は腕に落ちてきた。見ると……赤いドレスに落ちた白と黒の液体がどろりと垂れている。何段にも重ねられたフリルに染み込んでぐっちょりと重くなるような気がした。
私の頭は真っ白になる。思わず原因を知りたくて、上空を仰いだ。
……顔に、鳥のフンが直撃した。
ルディガー様18禁疑惑浮上(笑)
次回の修羅場に乞うご期待?




