すべては愛のなせるわざ
アーレンス学院は、十五歳から十八歳の貴族の子女が通う寄宿学校だ。
生徒数はおよそ二百人。公爵から男爵の爵位を持つ家の子どもがいる。現在王族は通っていない。
人数的には頂点の公爵から下層の男爵にかけて、裾広がりとなっている。
僕は三番目の伯爵の層にいる。別に過度にへこへこする必要もないが、えらそうにするのも微妙な位置だ。
まあ、卑屈にも傲慢になるつもりもないのでとくに不満はない。
学院のレベルはあまり高くないだろう。
第五代国王が設立した伝統ある学校として国内ではぶっちぎりの名門校のように思われるが、実際のところは同じ時期に商業組合や学者たちが協力して立ち上げたヴラジミール大学やこの国で信仰されているユル教の聖職者を養成するユル宗教学校の方が授業の質が高い。教師の質はどこも変わらないのだが、学院生徒のレベルが低すぎるからだ。正直言って、家庭教師を雇ったほうが効率がいいに違いない。
だがどんなに優秀であっても、コプランツ王国の貴族の男子として生まれたからには、学院に通うのは義務。しかも貴族として生きていく以上、ここで将来的な関係や人脈を築かねばならない。だから彼らは親元を三年間離れ、同世代の貴族たちと交流し貴族社会に本格的にデビューするまでの束の間の自由を楽しみ、勉学など二の次になっている。「時間を過ごす」ことが大事なのだから。ましてや、その「大事な三年間」をわざわざ自分から短くするなど、もってのほか――。
一般的には誰もがそう考えるはず。
だが僕からすれば「無駄な三年間」というやつだ。三年もかけていられない。
僕の家、ツヴィックナーグル家は武人の家系で、過去大将軍として戦場を駆けていった猛者が何人もいる。
祖父に至っては「コプランツの野獣」と二つ名がついて、他国にも名前が轟くほどだ。
野獣。英雄よりも凶暴そうだ。
ほかにも家が持っているツヴィックナーグル騎士団は国内の軍人の教育機関のような役割を負っていて、毎年、ほかの貴族の持つ騎士団や王国軍へと次々と優秀な人材を送り込んでいる。
具体的に言えば、ごくごく平凡な軍の小隊の中でべらぼうに強くて、体格がいいヤツがいる。一人だけものすごくキレのある動きをする。ほとんど全滅してしまう激戦の中でたった一人だけ戦い抜いて生き残る。
それ全部うちのヤツら。つまりはリアルで血反吐を吐くシゴキを耐え抜いた「卒業生」。
国内の軍のトップ十人を集めたとして「卒業生」かどうか尋ねれば、七八人は手を挙げるだろう。
それぐらいすごい。
僕も学院を卒業すれば当主になる前に、祖父のように王国軍に所属することになる。
貴族社会よりも、軍社会で生きるわけだ。
ツヴィックナーグル家は代々そんな感じの生き方をするものだから、社交はあまり重視していない。
重視しなくとも、別の形で王国に貢献しているのでいいだろ、みたいな。
そもそも皆腹芸が得意じゃないのっていうのもある。
イライラするな、よし、あそこぶっ潰そうぜ、ヒャッハー!! を地で行く人たちだ。
使える頭はあるくせに、あまり使おうとしないんだ。
その代わり、自分の好きなように生きられるから、ストレスで胃炎には絶対にならない。
「社交を重視しなくていい」。それが「無駄な三年間」と言った理由の一つ目。
もう一つは危なっかしい一つ違いの僕の姉さんのせい。
僕と姉さんは生まれてからの仲良しさんだ。むしろ愛し合っていると言っていいと思う。
姉さんのものは僕のもの。僕のものは姉さんのもので、姉さんはやっぱり僕のものというか。
僕と姉さんはほとんど赤ん坊だったころに両親を亡くしているから、姉さんは自分がしっかりしなくちゃ、という意識が高かったんだ。食べるとき口元が汚れると、祖母より先に拭いてくれたのは姉さんだったし、転んで怪我をしたとき、お気に入りだったハンカチで傷口を縛りながら大丈夫よ、と治るおまじないをかけてくれたのも姉さんだった。自分も泣きべそかいていたけれど。
姉さんは僕にはとても優しかった。一方でかなりのおてんば……では済まされないぐらいに男勝りなところもあって、身分を隠して城下町を牛耳っていたガキ大将との勝負に勝って、城下町の「女王様」になるぐらいだった。あとで理由を聞くと、「可愛い女の子いじめてたから、むかついたからやった。おじいさまにおこられてもこうかいしない」と言って、青あざと鼻血をつけた顔でにかっと笑っていた。
姉さんは他人にとても優しくできる人だが、自分を顧みない人だ。
僕が姉さんを守らなくちゃ。そう思った一因でもあると思う。
でも姉さんは自由な人でもあるから、ほうっておくと何をしでかすかわからない。
騎士団に入り浸って、とろけたような顔で筋肉を鑑賞しつつ、疲れきった男達に食事の差し入れをするぐらいならいい。僕も見ているし、姉さんの豪快な男の料理シリーズは、不格好でも美味しいから。
だが自室の窓辺で慣れない刺繍をやっているなと思ったら、急に外を見て、「風が私を呼んでいる……!」とか言いながら館を脱走するのはやめてほしい。あのあと森に消えた姉さんは二日間も行方不明で、皆すごく心配していたんだから。けろっとした顔で帰ってきたと思ったら、今度は森でお友達になったとか言う、白銀の子狼も連れてきた。ミーチャと名づけてペットにするのはいいけどさ、エサ係の僕にちっともなついてくれない上に、どんどん大きくなって大の男一人は余裕で乗せられるぐらいになるだなんて想像もしてなかったよ。エサ取ってくるの大変だよ、アレ。
ちょっと話が脱線した。
とにかく僕が言いたいのは、姉さんがいかにまるっこくて可愛らしくとも、中身はツヴィックナーグルの喧嘩上等の精神が流れる上にかなりの自由人であるということだ。それは姉さんの愛すべきところでもあるけれど、僕としては目の届くところにいてほしいというわけ。
学院にいるのは三年間で、僕と姉さんは一つ違いということは、僕が入学するまでの一年間と姉さんが卒業してからの一年間、僕たち姉弟は一緒にいられないということだ。そのあとだって、僕が軍に入ったら、姉さんはツヴィックナーグル領に帰って離れ離れになるかもしれない。もしかしたら、どこかに嫁ぐ、ということだって。
姉さんの結婚自体は喜ばしいと思うけれど、認めるつもりもない。相手が僕とかなら諦めるけれど。
少なくとも僕と姉さんは合計二年間離れる可能性があった。その間に姉さんは「いい相手」に出会ってしまうかもしれない。
とくに、学院入って一年目は危険だった。
姉さんは学院で初めて受け入れられた女子生徒たちの一人なのだ。
考えてもみろ、二百人近くの男子の中に五十人にも満たない女子生徒がやってくるんだ。
……姉さんが汚れかねないだろ。
学院に女子も受け入れるという措置は現国王陛下のものだと聞いた。
きっと以前数十年ぶりに他国からの侵攻を受け、多くの領主が騎士団を引き連れて出征し、後に残された夫人やらが上手く領地経営ができなかった事例が多く寄せられたからだろう。ことに夫を亡くし、未亡人となった女性領主が読み書きにも難渋していた。女性教育の必要性が説かれたのだ。
だが僕としてはもうひとつ狙いがあったのじゃないかと思う。女子教育の必要性は表向きで、反対する保守派の貴族たちを黙らせるような裏の理由が。
それが僕の入学時の女子の数の半減に表れているよ。入学生の女子の数は姉さんたち入学時とほぼ同数。でも二年目に上がった姉さんたちの学年の女子は半減。彼女たちは退学したそうだ。
主な理由は結婚。そう、彼女たちは学院で伴侶を見つけたのだ。
僕の思い出せる限り、国王の勅命を受けた貴族の令嬢たちはほとんど相手がいなかった。
婚約者のいたカティア嬢は例外だが、彼女の場合は婚約者との不仲を心配して放り込まれたのと、学院内での爵位のバランス、裏の目的を隠すためのカモフラージュだったのだろう。
学院自体が一種の出会いの場とは。
僕もここまで思い至ったとき呆れたが、入学時に僕に向けられた女子生徒たちの食い入るような目つきを見ると確信した。視線をよこすばかりじゃなく、まとわりついてきた女もいたが、ばっさりと切り捨て御免させてもらった。僕にうるんだ視線を向けていいのは姉さんだけだ。甘やかしてあげるのも姉さんだけだし。
あぁ、本当。去年までに姉さんが相手を見つけなくて重畳だ。そのままでいてくれ。
僕はそう感じながら天を仰いだものだ。
もちろん、まだまだ油断ができないのはわかっている。
姉さんが入学して一年は僕にもどうにもならなかったが、姉さんが卒業してからの一年間に姉さんが誰かのものになってしまっても困る。
僕はほとんど前例がないままほぼホコリをかぶっていたような制度を学院の規則書から引き出して、学院側と交渉。形だけ行っている入学試験で誰にも文句を言わせない成績結果を残した。姉さんは自分と同じような問題だと思っただろうが、実際のところ周囲が入学試験を受ける中で僕が受けていたのはいわゆる「飛び級試験」であって、難易度は格段に違う。
勉強をおこたらなかった僕はしっかり合格して、姉さんと確実に離れる一年間を回避した。
そして姉さんと歩んだ学院の秋、冬、春、夏が過ぎた。
姉さんを愛する僕に再び試練のときがやってきた。
姉さんが大貴族の子息相手に喧嘩を売ってしまった。
――よろしいですか、ルディガー・ネリウス様。私の名前をよくよく覚えておいてくださいませ。私になにかなさりたいのなら、とくに。
――今日のことは決して忘れませんよ。フランカ様。あなたの名前も、姿も、『ずっと』覚えています。またダンスをしましょう。
こういうときの姉さんは見蕩れるほどかっこいい。
生きているという実感をしっかりと拳で握り込み、僕と同じ色であるはずの瞳の奥底に言い知れない微かな輝きを宿している。誰もが姉さんの身体から発散される眩しいエネルギーに振り返らずにはいられない。
それで戦闘開始とばかりに微笑むと、そこに獣じみた凶暴性が表れるようだ。ツヴィックナーグルらしい。うちのじいさんの笑みも似たような印象を抱くから、これは遺伝に違いない。
僕はこの先の展開がだいたい読めていた。いや、その数日前にカティア嬢を助けた段階でわかっていた気がする。昔と同じだ、「可愛い女の子いじめてたから、むかついたからやった」。
姉さんはやっぱり他人のために動く。学院の空気が悪いことはちゃんと知っていたんだ。
だったら僕は姉さんが青あざや鼻血をしないように守るしかないだろうな。
今回は腕力というよりも、社交力が重視されるはず。貴族らしく、派閥争いという形になるだろう。
これまた姉さんの不慣れな分野だな。
でも考えているよりも早く事態が起こってしまった。
姉さんがテオドーラ様に卑劣な攻撃を受けたのだ。
聞いた時、僕は頭が真っ白になった。授業中、何度教室を飛び出したいと思ったか。
先生は何度びくびくと恐る恐る僕の様子を伺ったことか。
気遣うぐらいなら、僕を姉さんのところに行かせろボケ。気のきかんクソ教師が。
その後流れた噂では、姉さんはテオドーラ様に言葉でやり返したらしい。わりと本人は平気らしいので少しだけ安心した。
一刻も早く姉さんに会いたかったが、それよりも早く僕にはやらなくちゃならないことができた。
授業合間の休み時間をフルに使い、準備を進めた。……すべては姉さんのためだ。
放課後。学院の南端にあるユル教聖堂。ここには普段聖職者も常駐せず、十日に一度の朝の礼拝の時間のみに使われている、長方形をした大きな石造りの簡素な建物だ。
僕はここに「同志たち」を集めた。
説教壇と壁に沿うようにロウソクの火がともり、まだ明るい外と比べると、厳粛な空気が流れている。
決起集会にはちょうどいいだろう。
喉の調子を整えるように軽くコホン、と咳払い。それから説教壇に立った。
僕がこれまでに集めてきた信頼のおける仲間たち――そう、同じ心を共有できる者たちだ――の顔を見渡した。
あぁ、今にも皆、言いたくてうずうずしているな。
それを僕が伏せさせてきた。これはもしもの手段だったからで、僕「たち」は表に出てこないと思っていたからだ。でも事情が変わった。僕たちは声をあげたくて、役に立ちたくて仕方がないんだ。
「こんにちは。皆忙しいところよく集まってくれた。このヴィルヘルム・ツヴィックナーグルが礼を言う。ありがとう。用件は回状にあった通りだ。今朝の出来事を受けて、もう看過できないと決断を下すことにした」
やっとか!
よっしゃああっ!
そんな声が上がってくる。手で制し、鎮まってから僕は腹から力強く声を発する。
「我々が日の目を見るときがようやく出てきたのだ! 戦うのだ、同志よ!」
「「殺るのだ、敵を!」」
「フランカ・ツヴィックナーグルへの理不尽を許せるか!」
「「許せない!」」
「姉さん!」
「「最高!」」
僕は締めに大きく拳を突き上げた。
「我ら、『お姉様を愛でる会』! 死する時まで!」
「「姉最高! オオオォォォッ!」」
姉さん。
姉さんの素晴らしさを大勢の人に知ってもらって、仲間が大勢できたよ。
皆姉さんの忠実な奴隷だ。命令すればなんでも言うこと聞くからね。
頑張ったからご褒美くれるかなぁ、姉さん。
具体的には姉さんに抱きつきたい。それで、僕の手作りお菓子で餌付けしてしまおう。
これぞ、僕の至福のときなのだから……。
・弟くんの愛を気持ち悪いと思った方。
あなたは正常です。そのままのあなたでいてください。
・逆にドキドキを感じてしまった方。
ウェルカム、禁断の世界へ。次は兄萌えかもしれません。
会名変更しました。『姉さんを愛でる会』→『お姉様を愛でる会』




