3-1
ヒデヒロは、その夜、なかなか寝付けなかった。
暑いからではない。昼間に寝すぎて眠れない、という訳でもない。
実際にはその影響があるのかもしれないが、朝にやった雑誌の「占い」の結果が気になって仕方がなかったからなのだ。
(ヒーロー運が最高? 立ち上がるなら今しかない? 一体、どういう意味なんだよ)
悶々とした感情を抑えきれず、ヒデヒロはベッドの上で何回も寝がえりをうった。
けれど、とうとう耐えきれずに、部屋の明りを点ける。
(トイレでも、行くか)
ドアを開け、廊下に出たときだった。
ドア傍の板張りの床上に、一冊の雑誌が置いてあることに気付いたのだ。
それは、良くコンビニなどで見かける、就職情報誌だった。
表紙には、雑誌名「アルバイトSAPPORO」の大きな文字の下に、「特集 時給の高いバイトリーダーを目指せ!」という文章が楽しそうに躍っている。
(どうせ、母さんが勝手に置いていったんだろ?)
――余計な御世話。
とばかりに、また雑誌を床に叩きつけようとしたヒデヒロだったが、思い直し、ペラペラとページをめくり出す。
あるページを見開いた瞬間だった。ヒデヒロの目が、それに釘付けになった。
『戦隊ヒーローショー 隊員大募集!』
(神のお告げにちがいない)
ヒデヒロは、思った。
朝から、これだけヒーロー運だのなんだのと雑誌に云われ続けたのだ。これは、神のお告げであろう、と。
更に、募集内容の文字を目で追った。
「場所は、デパートの屋上か……。時給はまずまずだな。期間は三カ月……」
ヒデヒロは、決心した。
(明日になったら、この連絡先に電話をして、面接を受けよう)
急に何故か、ワクワクの気持ちが芽生える。
漢読みしたら「エイユウ」の自分が、子どもの頃には結局一度もなれなかった、ヒーローなのだ。
ヒーロー運全開の今が、やはり、ヒーローの成りどきなのだろう。
(やるなら断然、赤がいいな)
夢は、膨らむ。
高校生のときまで使っていた勉強机に向かい、履歴書を書き始めたヒデヒロ。
何回も失敗しては、何回も用紙を破る。
ようやく一枚の履歴書が出来上がったとき、世界は朝に変化していた。
☆
それから、一週間が経過した。
その日、バスと地下鉄を乗り継いでヒデヒロがやって来た場所は、この街では老舗のデパートだった。
あと二十分ほどで、今日最初のショーが始まる。
ショーの出演者とスタッフの、まるで屋根裏部屋のような控室。
木彫りの置物のような趣きでパイプ椅子にぽつんと座ったヒデヒロは、部屋の中に詰め込まれた大勢の人たちから発するムンムンとした熱気を、まるで第三者のような感覚で感じていた。
「ちっくしょー。結局、ミドリかよ」
帰札して以来、伸び放題でボサボサだった髪の毛。
近所の床屋でそれをすっかり綺麗にしてもらったヒデヒロが、下半身だけヒーロー用の衣装に体を通して、一人、そう愚痴った。
面接の結果、戦隊の一人には選ばれた。
それは良かったのだが、望んでいた「赤」ではなく、彼にとっては中途半端なヒーロー、「緑」に任命されたのである。
(昨日の、たった一日だけの練習で、もう本番だって? 無茶だよ)
しかし周りを見ると、愚痴っているのは、自分だけではないことに気付いた。
あからさまに不満を並びたてながら黒いスーツを着る、何人かの男たちがいたのだ。
「ヒーロー役に応募したはずなのに戦闘員に合格なんて、詐欺だよな」
「くっそー。オレもヒーローで暴れたいぜ……。こうなったら、ヒーローの奴、こてんぱんに倒しちゃおうか」
「お、それいいねッ」
不穏な相談まで始めた悪の隊員たちの声が、ヒデヒロの背中に刺さった。
(ま、ヒーローに選ばれただけマシか)
背中の寒気を振り払いながら、ふと視線の向きを変える。すると、ピンクのスーツを着て明るい笑顔を振りまく、女子大生らしき女の子がいた。
まだヘルメットを被っていないので、そのかわいらしい顔が拝める。
そんな彼女を見逃すはずの無い、世の男たち。彼女の周りには、既に若い男たちの群れが、出来上がっていた。
(お前ら、何しに来てるんだよ)
ヒデヒロが肩をすくめたとき、控室にやって来たのは、敵怪人の着ぐるみを身に付けた、大柄の男だった。怪人の顔の部分はまだ身に着けておらず、それは、筋肉隆々のたくましい右腕に抱えられている。
そう――彼こそが、面接や演技指導などのときに怖い顔でバイトを睨みを利かせていた、戦隊ショー運営会社「工藤エージェンシー」の工藤社長だった。ショーのベテラン俳優でもある彼は、ショーの最も要となる存在といっていい、敵の怪人役なのである。
「さあ、がんばっていこうな!」
工藤社長が、部屋中の人間に大きな声をかける。
が、工藤社長が期待していたのであろう、「はいっ」という威勢のいい返事は、出演者の若者たちからは出てこない。ぼそっと消え入りそうな声が、いくつか聞こえただけだった。
工藤社長は、「全く近頃の若者は……」と舌打ちをして、部屋を出て行った。
と、入れ替わりでやって来た、一人の男。工藤とはうって変わって、ひ弱そうな小男だった。
今度はその、ショーの主催者であるデパートの関係者らしい男が、スタッフたちに声をかけた。
「はいはい、皆さん……出番ですよぉ。絶対に、問題を起こすことだけは無いよう、よろしくお願いしますねー」
キザな縦縞ビジネススーツに、黄色い眼鏡フレーム。
今田という名前らしいその男の目の奥からは、軽い感じと人を小馬鹿にした感じが、微かに、漂って来る。
何故か、そんな彼に密かな嫌悪感を感じた、ヒデヒロだった。