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マスト・ヒーロー  作者: 鈴木りん
10 アイ・マスト・ビー・ア・ヒーロー
31/32

10-3

 こうして、岡本商事札幌支店の一年は、あっという間に過ぎ去った。

 一年前にがっくりと落ちた業績はⅤ字回復。社会的信用も同様に回復した。おまけに、そんなピンチを乗り越えた社員達には、活力と自信がみなぎっている。


「さあ、もういいでしょ。あとは、あんたたちだけで頑張れるはずよ」


 ヒロイン戦隊の部下三人を引き連れ、朝一番で支店長室に現れたヒロミンは、突然、こう言い放った。

 状況の飲みこめない支店長の口は、開いたまま塞がらない。


「いや、えっと……。それはどういう意味でしょうか?」


 やっと声を絞り出した支店長の前に出されたのは、『辞表』と書かれた4通の封筒だった。

 彼女の背後では、顔を見合わせて棒立ちとなった、スーツ姿の男たち約三名がいる。


(ホントに自分たちは辞めなきゃならないのか?)


 いずれの顔にも、そう書いてある。

 だがそこには、以前にはなかった『自信』というものが含まれていた。

 この一年間で、彼らがスーツの似合う男になった気がするのは、ヒロミンばかりではない。支店長も、そう感じる一人だった。


「……本気なのですか?」


 支店長の言葉に、秘書の女が力強く頷いた。



 ――それは、昨晩の出来事だった。

 秘書代理補佐としての雑用をこなし、残業を終えたヒデヒロ。

 疲れの入り混じった顔を載せた首をポキポキと鳴らしながら、ヒロミンのアパート――戦隊秘密基地――に彼が帰宅すると、その帰りを待っていたかのように、ヒロミンがキッチンダイニングの板の間に皆を集めたのだ。


「明日、皆で会社を辞めようと思う」


 リーダーの云っている意味が理解できず、三人の男は、ただ眼をしばたたかせただけだった。その眼はいずれも、

(せっかく就職できて、しかもこんなに上手くいってるのにどうして?)

 と云っていた。


「何よ――。みんな、不服そうね……。もう充分会社を復活させたんだから、私たちの役割は終わったと思うの。私も一緒に辞めてやるって云ってんだから、文句は云わない!」


 しかし、誰も文句を云っていなかった。

 ただただ、哀願する眼差しで、女リーダーを見つめるばかりだ。

 元ニートたちの潤んだ瞳からは、無数の涙の粒が零れ落ちていった。


「おいおい、女は男の涙に弱くなんかないよ、むしろ、気分が悪いわ――。とにかく、明日の朝までに各自、辞表を書いておくように。じゃ、ミーティング終了」


 のっしのっし。

 手下どもの反対の言葉も聞かず、引き戸の奥へと消えて行ったヒロミン。


(マジかよ)


 ヒデヒロの脳裏に、そんな言葉が浮かぶ。

 もちろん、それは彼に限ったことではなかった。


「……飲もうか」


 男たちは、まるでお通夜のような、缶ビールだけの宴会を始めた。

 一晩中、続いた宴。

 そしてその間、世を嘆き悲しむ亡霊が街中を闊歩しているかのような、そんな啜り泣きの声を、街の住人たちは聴くことになったのであった。



 ――そんな悲しい夜も過ぎ、支店長室に佇む彼らたち。

 いつもはすんなり秘書の云うことを聴く支店長が、今日はなかなか辞表を受け取ろうとはしなかった。

 当然である。

 彼らのお陰で、この一年、支店は好成績を収め続けていたのだから。


「どうしても、これを受け取らねばなりませんか?」


 とは云ってみたものの、こちらを睨みつけたまま微動だにしない桃井支店長秘書の目力に支、店長は屈してしまう。

 渋々、目前の封筒に手を付けた。


「とりあえず、これは私が預かっておきましょう。もう一度、皆さんでよく考えていただいて――」

「いえ、もう考えは変わりません。決めたことですから」


 きっぱりとそう答えるヒロミンのその姿に、手下の三人の男どもが惚れ直す。

 ふっ、と息を漏らし、割り切った表情を浮かべたヒデヒロが、ヒロミンの援護射撃をする。


「支店長。一つの目標をやり遂げた我々は、次のステップに進まねばなりません。だから、会社を辞めさせていただくのです」

「次のステップ……だって?」


 頻りと首を傾げる支店長に、ヒデヒロが英語のセリフを突きつける。


「イエス……。ビコーズ・アイ・マスト・ビー・ア・ヒーロー(何故ならオレは、ヒーローにならねばならないからだ)」

「マスト……ヒーロー?」


 未だ合点のいかない岡島支店長に向けて、右手の親指をグイッと押し上げたヒデヒロ。

 ここ数年で、最高の笑顔だ。

 その言葉を聞いたヒロミン、アツシ、タケシの三人が、はっとしたように、顔を見合わせた。

 彼女らの表情に、もはや迷いなどはない。


「アイ・マスト・ビー・ア・ヒロイン!(私はヒロインにならねばならないの!)」


 ぐっと親指を上に向けたヒロミンが、ヒデヒロの横に並ぶ。

 アツシもタケシもその横に並び、四人が支店長の前に整列する。

「せーの!」

 ヒデヒロの合図に、四人が声を揃えた。


「ウィー・マスト・ビー・ヒーローズ!」


 ひゃははっ!

 支店長室で彼らがハイタッチを繰り広げる中、ふと何かに気が付いたヒロミンが、ぼそりと呟いた。


「あれ? 私がリーダーなんだから、ここは『ヒロインズ』というべきだったかも……」


 急に疑問を感じ始めたヒロミン。

 それに慌てたヒデヒロが、彼女の肩を掴むようにして部屋を出ようとする。


「ま、そういうことですので、さようなら」 ヒデヒロが、ヒロミンの背中を押す。

「それじゃ、失礼しまーす」 あっちゃんが、支店長の手を握って微笑みかける。

「どうも、お世話になりましたぁ」 タケシが、律儀にお辞儀してお別れをする。


 まだぶつぶつ云い続けるヒロミンを引き摺って、四人は支店長室を出て行った。

 彼らの楽しげな声が廊下で響き渡り、やがてそれが聞こえなくなった頃だった。

 支店長が、やっと笑った。


「どうもありがとう――ヒーロー・ヒロインたち。後は、この私に任せてくれ」



 その夜、本来は麗しき未婚女性が一人で住む『秘密の花園』であるべきアパートで、戦隊の『秘密基地』としての役割を終えるための、戦隊解散式が執り行われた。


「とりあえず、この戦隊は今日をもって解散よ……。みんな、これからどうする? 私は、何か事業を興そうと思うの。まだ、具体的なイメーはないけどね」


 いつものさきいかをつまみに缶ビールをぐびりと傾けながら、ヒロミンが語り出す。


「おおー」 感嘆の声を上げた、あっちゃん。

「さすが、やるな」 しきりと頷く、タケシ。

「お前なら大丈夫だ、頑張れよ」

 手下の分際から離れ、言葉使いが戻ったヒデヒロがさきいかに手を出す。


「オイラは、バリバリの営業職でも探そうかな」

「ボクは、企画のできる職場を探してみるよ」

「オレは、目立たない事務職やりたいな」


 暫くは将来について和やかに会話が続く。

 だが、不意に何かを思い出したヒデヒロが、急に怒気を含んだ声で云い出した。


「それにしてもさあ、何でオレだけ秘書代理のなんちゃらだったんだよ! タケシもあっちゃんも、すっごくかっこいい役職だったのにさ」


 えっ?

 一瞬、信じられない、という眼をしたヒロミンがヒデヒロを睨む。


「そんなこともわかんないの? アンタには、ああいう機転を利かせなきゃならない、細かい仕事が合ってるからよ。それに……私のパートナーなんだから、秘書である私の代理にしたのっ」


(は? パートナー? 誰が……誰の?)


 心なしか頬を赤らめたヒロミンを前に、意味不明とばかりにヒデヒロが悩みだす。

 と突然、その顔付きが、どんよりと暗くなった。流れ出る、無数の冷や汗。


 ばたん――。


 ヒデヒロが、座った姿勢のまま、真後ろに倒れた。

 大きく開き切ったその眼は、ピクリともしていない。完全に気を失っていた。


「ちょっとアンタ! 何でそこで倒れんのよ! 失礼じゃないのッ」


 ガクガクとヒロミンがヒデヒロの首を揺らすと、事の重大性にやっと気付いたあっちゃんが、わんやと騒ぎ出した。


「やったな、ヒデヒロ! キョーボー女でも女には違わないぜ」

「おお、キョーボー女とその小間使い、ぴったりの組み合わせじゃん!」

「誰がキョーボー女だ、コラッ」


 戦隊の解散式が、ただのドタバタ運動会に変わった。

 最後は、あっちゃんとタケシがヒロミンの足元にひれ伏してその場は終了。


「ま、わかればいいのよ、わかれば」

「ははーっ」


 意識を取り戻したヒデヒロも含め、四人の「元戦隊」は高笑いした。そして、夜も更けるまで、飲み続け、語り続けた。



 次の朝――。

 特に示し合わせた訳でもなかったが、戦隊メンバーがそれぞれの道に向かって散らばっていった。

 当然、ヒデヒロも二日酔いの頭を抱えながら、ヒロミンの部屋を後にした。

 ただ彼だけは、桃田裕美という呪縛から逃れられるべくもない訳だが――。

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