7-2
敵の秘密を暴くべくヒデヒロが跳び込んだのは、もちろん男性用の脱衣所だった。
一応は罠を恐れて、おっかなびっくりと辺りを見回してみる。
けれど、今この銭湯には、自分たちしかいない、つまりは貸し切り状態のようだった。物音、ひとつしないのだ。耳がジンとなるくらいの。
まあ、それはそうである。
街中に、そんな何人ものヒーローがいる筈もない。
そんな状況に安心したヒデヒロは、ヒーローの戦闘服のまま、ロッカーをひとつひとつ、調べ始めた。
ひとり、あくせくと働き出した緑の男。
「くそっ、何処にもないな」
やがて、男湯の脱衣所のロッカーを大方調べ終えたヒデヒロは、ヒーローのスーツの中で汗だくになっている自分に気付いたのだった。
「風呂、入りてぇ……」
彼の口から、勝手に言葉が漏れ出した。
と同時に、相棒のヒロインが何しているのかが、妙に気になった。先ほどから、女湯の方からの気配を感じなかったからだ。
(まさかアイツ、もう既に敵の罠にハマってしまったとか――)
心配になったヒデヒロが、番台の辺りまで戻って大声を張り上げた。
「おいっ! そっちの方、どうなんだ?」
しかし、うんともすんとも返事はない。更に何度も、声を出してみる。
そして、何度めの声かけの時だったか。
ようやく、女湯の方向から聞き慣れた声が響いたのだった。
「何よ、さっきからうるっさいわね。やっと汗を流せてさっぱりしたところなんだから、邪魔しないでよッ!」
「おお。無事だったか、良かったぁ……って、お前、もう風呂に入ってるのかよ! こっちは汗だくになって捜し回ってるっていうのに、汚ねぇぞ!」
「汚くないわ、洗ったばっかりなんだから! それに、汗だくになった女が風呂を目の前にして入らない方が、よっぽど汚いでしょ?」
「いや、そっちの汚さじゃなくてさ……」
(くっそお……)
結局、彼女は脱衣所に入った瞬間、その強大なまでの風呂の魅力に負け、目的も忘れて風呂場に直行してしまったようだ。
握りこぶしをぎりりと固め、ヒデヒロが物思いに耽る。
(こんなことでいいのか? 正義の味方ともあろうものが、こんなことで!)
しかし、その直後に彼が取った行動――それは、誰が見ても、非常に分かり易いものだった。
無言で脱衣所の真ん中あたりに移動していった彼は、徐にヘルメットを脱ぎだしたのだ。
(ま、リーダーが入ったんなら、一般隊員のオレが入って悪いこともないよな)
その論理に気付くのが遅かった――
そんな勢いで棚の籠に『ヒーローの魂』ともいえるヘルメットをさっさと脱ぎ置き、スーツの背中チャックを荒々しく開けていく。
やがて生まれたときの姿になったヒデヒロは、浴場の入り口のアルミサッシのドアを勢いよく水平に動かし、洗い場に躍り出たのだった。
「うひょっほーい!」
誰もいない浴槽に勢いよく尻から跳びこみ、雄叫びをあげる。就職活動以来、こんなに解放された気分は初めてだった。
「いい湯だぜ」
アパートの狭いユニットバスを借り、軽くシャワーで済ましてばかりの、最近の日々。そのせいもあったのだろう――。
子どもの頃から躾られ、今までは頑なに守って来た禁止事項、「浴槽泳ぎ」を行ってしまった、ヒデヒロ。
まさしくそれは、人生における、掟破り。暴挙とも云えた。
「イナズマ・クロール!」
謎の奇声を発しながら気持良く浴槽の魚と化していた、そのとき。
二人の行動を確認し終え、男湯と女湯の脱衣所にそれぞれ近づいて行く男の姿が、二つあった。
男湯にいるのは、痩せたイケ好かない男。どうやらそれは、デパート担当者の今田だった。一方、女湯に向かったのは、ヒーローショーの親方で、まるで筋肉の塊のような工藤社長だ。
二人は音を立てないよう注意して、脱衣籠の中に収まった久しぶりに見るヒーロー・スーツを、そっと手で持ち上げた。
「こちら、今田。ブツはゲットしました!」
口元の小型マイクに、今田がぼそっと声を出す。耳には小型イヤホンが嵌められており、無線トランシーバでの会話らしい。
「……了解。工藤さん、そっちは?」
番台横で今田の報告をイヤホンで聞き、にやり、ほくそ笑んだのは山口支店長だった。
「こちら、工藤。こっちもバッチリです」
工藤社長が、すかさず応答。
とそのとき、社長のいる女湯側の脱衣所では、やや調子外れの鼻歌が浴場から聞こえてきたのだった。
(もうすぐ捕まるとも知らず、呑気な女だ)
もう少しで吹き出しそうになるのを、口を押えて必死に我慢する。
と、同時にニヤついたのが、番台下に構える山口支店長だった。
「ふっ……。とんだ、間抜けヒーローどもだぜ」
彼は、「ご苦労さん。もう帰っていいぞ」と番台に座った赤シャツの男に言い渡し、金の入った封筒を胸の内ポケットから取り出して、その男に渡した。
軽く会釈して、赤シャツが番台を降りる。
すぐさま、外に出るように目で追い払った、支店長。赤シャツは封筒の中身を軽く確認すると、何も云わずに玄関からそっと出て行った。
と、そのとき脱衣所から帰って来た、二人の男。
ピンクとグリーンのヒーロースーツを手にし、やたらと肩で風を切った動きを見せる。自慢気な気持ちを、隠しきれていないのだ。
「ウチが金を出して貸し切ったから、この作戦が可能だったんですよ。あなたたちの目的は果たされました……。さあ、ここからは『ウチの』目的のために、協力してもらいますからね!」
二人を上回るやたらとエラそうな態度に、二人は委縮する。
「わかってますって」 不承不承に頷く、工藤社長。
「ええ、もちろん協力しますよ」 眉毛をぴくぴくさせ、答える今田。
二人は、女湯と男湯、それぞれの持ち場へと再び散っていった。
「ああーっ、いいお湯だったあ」
ヒデヒロが、脱衣場へとすっぽんぽんで出て行こうとする。
が、サッシのドアを開けた途端、スーツ姿の若い男が両手を広げ、彼の行く手を阻んでいるのが見えた。
「さあ、大人しく捕まってもらおうか。いつかのバイト君」
「あんたは、いつかのデパートの担当者!」
すっぽんぽんのまま仁王立ちになりながら、今田の顔を想い出したヒデヒロ。
(そうか! この無料イベントはコスプレ服を取り戻すための策略だったのか!)
ふてぶてしい笑いとともに、丸腰――いや、丸裸の男に、今田が襲いかかる。
「ヒロミン! やっぱり罠だぞ! 逃げろ!」
隣の女湯に届けとばかりに、あらんかぎりの力を振り絞って、ヒデヒロは大声を張り上げたのだった。