7-1
「さあ、ここよ。着いたわ」
二人のコスプレ戦隊がやって来たのは、今や既に歴史的建造物の域に達しているとも思える、伝統的な面構えの銭湯「夢の湯」の正面入り口だった。
「何か、すっげぇ静かだけど、大丈夫かな」
「うん、確かに静かね。だけど、電気も点いてるし大丈夫――って、見てよ! 張り紙がしてあるわっ!」
ヒロミンの人差指が示したその先には、一枚の筆書きされた半紙が風で左右に時折ばたつきながら、上下のセロテープだけという心許ない感じで、扉に貼り付けられていた。
「ん? 何々? 『ヒーロー・ヒロイン様 無料開放デー』だって。うっそぉ!」
「ヒロイン無料開放……ですってぇ? いーっやっほぉう!」
無料という言葉にめっぽう弱い、彼女。無警戒の塊のような無邪気な心で、扉を開けようとする。
「おい、こら待てぃ! おまえなあ、リーダーなら、もうちょっと慎重に行けよ! 罠でも行かねばならないなら、特にだっ!」
「わ、わかってるわよ」
「それに、ここに来た目的は、ロッカーの中の秘密文書を捜すことなんだぞ」
「わ、わ、わかってるわよっ」
――とっくにそんな目的忘れてましたっ、私。
そんな、内心バレバレの態度で、ヒロミンがたじろぐ。
「じゃあ、女湯のロッカーは君、男湯のロッカーはオレが調べるということで。文書が見つかったら、直ぐに大声で知らせろよ」
「わ、わ、わ、わかったわよっ!」
そう云ったきり、しばらく立ち止まって「夢の湯」の入り口で顔を見合わせる、二人。痺れを切らしたヒデヒロが、口を開く。
「おい、中に入らないのかよ」
「もちろん、入るわよ。あんた、先にどうぞ」
「ちょ、ちょっと待てよ! こういうときは、リーダーから先に入るものだろ?」
「さっきから、何よ! 入るなって云ったり、入れって云ったり……。こういうときは、男が率先して入って女をエスコートするものでしょ? 女に恥をかかせる気?」
ヘルメット越しの二人の間に、火花が散る。
(こいつ、無茶苦茶だな……。くっそぉー)
責任の押し付けと睨み合いの戦いに敗北したヒデヒロが、銭湯入口扉の取っ手に手を掛けた。
「失礼しまぁーす」
腰の低い緑色の正義の味方が、入り口の扉の奥へと吸い込まれていく。
「あ、どうもぉ」
その後を追って、桃色の戦闘服も銭湯の内部へと突撃する。
「どーもぉ。見ての通り、怪しい者ではありませーん。ただのヒーローとヒロインの者ですぅ……。えーと、本日はヒーロー・ヒロインは無料とかで。いやー、何とも太っ腹ですね――」
ベテランのサラリーマンでもこれほどなフォルムとはならないであろう位の綺麗な御辞儀と揉み手をしながら、入口正面に佇む男にヒデヒロは確認をとった。今更何を恥ずかしがるのか、彼の体に半分隠れるような態勢をとったヒロミンが、声の調子に合わせてひょこひょこと頷いた。
まるで、『夫婦漫才』である。
と、そのときヒデヒロは、とんでもないことに気付いたのである。
今、自分の目の前に聳えるもの――それが風呂屋の番台であることを。
番台――。
なんという麗しき、その言葉の響き。
男の夢の園。
だが、こんな感覚は今の時代にそぐわないのかも知れない。
増々複雑化していく、時代と社会。それに連れて、若い男の夢も随分と変化してしまったようである。
その象徴が、今まさにヒデヒロの目前で番台に鎮座する、男だった。
こちらを威圧的に見下ろしているのは、サングラスとソフトモヒカンが印象的な、恐らくは自分と同じ世代の若い男。昔の男なら、若い身空で早くも「番台」という夢の舞台を経験し、燃え尽きていてもおかしくはない状況である。
だがしかし、彼の雰囲気に、そんな浮付いた心情を感じさせるものは、ひとつもなかった。
(ちっ……。何だよ、大人ぶりやがって)
しかし、次に彼の眼に留まったのは、そのガタイの良い上半身を覆う伸び気味の赤いTシャツだった。注目は、胸に書かれた文字だ。でかでかとした太字の筆書き書体で「貧乏、金無し」という文章が、そこに躍っている。
(貧乏なら、金が無いのが当たり前じゃん。無いのは、暇だろ?)
無性に突っ込みたいところだったが、そこをぐっと言葉を飲み込んだ。
ふと、あることに気付いたからである。
それは、『自分はニートであって当然貧乏だが、暇は有り余るほどある』ということだった。
(なんだよ……。これなら、Tシャツの方が正しいこと云ってるじゃん。昔の偉い人の言葉も、大したことねえな)
時代変われば、諺も変わる――ヒデヒロは、学んだ。
サングラスのせいで、赤シャツ男の表情ははっきりとは読み取れない。
しかし、ヒデヒロが現れたその瞬間に、僅かだが驚き、戸惑いを見せたようにヒデヒロには思えたのだ。
が、そんなことを深く考えさせる暇は与えなかった。彼は直ぐに、
「うむ……。確かに無料だ。入りな」
と無表情で云い放って、親指を上げた右手を洗い場のある奥の方に向けたのだった。
それも見て安心した、へんてこな衣装を着た一組の男女。
すっと胸を撫で下ろすと、二人が左右に分かれて行く。男湯は左、女湯は右。
別れ間際になって、ヒデヒロがヒロミンに釘を刺す。
「じゃあな。くれぐれも、目的を忘れるなよ」
「わーってるわよ、クドイわね! いちいち、リーダーに命令しないで!」
「へえへえ。すんませんでした」
すっかりテンションの上がった様子の桃色の女と、溜息混じりに肩をすくめた緑色の男。
そんな二人は、それぞれの持ち場へと散って行ったのだった。