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「やっぱり、英裕君ね……」
その顔には、見覚えがあった。
社長に謝り続けていた時も頭から離れなかった、まさにその顔だったからだ。
ヒーローショーを一人で真剣に見ていた、あのポニーテールの彼女。
(どうして彼女がスーツを? っていうか、なんでオレの名前を知ってる?)
けれど今は、そんな疑問に彼女は答えてくれそうもなかった。
「さあ、いくよ!」
ヒデヒロの右腕をグイッとその左腕で引っ張った彼女がそう云って、突然、走り出したからだ。
引きずられる格好になったヒデヒロも、否応なく、走り出す。
「ちょ、ちょっと! まだ着替えが終わってないんだけど」 慌てる、ヒデヒロ。
「そんなこと、気にしないの。男でしょ!」 即座に叱りつける、彼女。
(この場合、男とか女とか関係ないと思うけど)
心の中で小さく突っ込んだ、彼。
だが、その体は、引っ張られるがままに任せていた。
「もっと、速く走れないの?」
イラついた彼女が、彼を引っ張る部分を、腕から掌に変えた。二人は今、手を繋いでいる状態だ。
(そ、そんな、いきなりに……)
訳も解らず、ヒデヒロが急に照れくさくなる。
彼女はしかし、そんな些細なことは気にも留めない。彼の手をぎゅっと握ったまま、イナズマのような速さと激しさで部屋を通り抜け、廊下に出ようとしていた。
そんな二人が、廊下に躍り出た瞬間だった。
廊下の向こう側にいた工藤とデパート側担当者の今田が、不穏な動きの二人を、見つけたのだ。
「あいつら何してんでしょうかねぇ、社長」
「何してるって、今田さん。二人してイチャイチャ――いや、違うな。まさか、衣装を盗もうとしてる訳じゃ……」
キョトンとした表情の今田に、工藤が応える。
顔を見合わせた、二人。
と、すぐに血相を変え、二人を追いかけ始める。
「おい、今日のバイト料、貰ってないだろ? それでもいいのか」
喘ぎながら叫んだ、今田。
「そうだ! バイト君、今日の給料を二倍にしよう! だから、その衣装だけは置いていってくれぇ!」
哀願する、工藤。
それを聞いたヒデヒロの足取りが、一瞬、緩んだ。
(し、しまった! そうだった。まだオレ、バイト料を貰ってない!)
しかし、そんな工藤たちの妄言に惑わされる彼女ではない。
ヒデヒロを引っ張る力を増強し、逃げる速力をアップする。
「お、オレの給料がぁ!」
「男なら、そんな小さいことに拘らない!」
(ううぅ……)
このときヒデヒロは、『男は心で泣く』というということを、学んだ。
後ろなどはを振り返らずに、一目散。
廊下を抜けたその先にあるのは、デパート従業員用のエレベーターだった。けれど彼女はエレベーターは使わず、非常階段を走り抜けることを選択。
傍から見れば、コスプレ好きのカップルが仲良く手を繋いで走っているようにしか見えない。
追手を引き離すことに成功したのか、工藤と今田の声が彼らの耳に届かなくなる。
安心したのか、彼女の表情が少し緩んだ。
いよいよ、デパートの建物から出るという、そのとき。
弾む息に紛れるように、彼女が意味の分からないことを云い出した。
「私、これを着れば、変わる気がするの!」
「は? 変わるって何が?」
彼女が、急に立ちどまる。
ブレーキがかかって前のめりに倒れそうになったヒデヒロの眼をじっと見つめた、彼女。
ドキリ――。
密かに、ヒデヒロの胸が高鳴った。
「だから、ワ・タ・シ、よ!」
諭すようにそう云った彼女の右手には、控室から持ってきたピンク色の衣装とヘルメットががっちりと握られたままだった。ヒデヒロも、その意思とは関係なく、緑の衣装を一式、バイト先の事務所から持ち出してしまっていた。
(オレもニートから変われたよ……衣装泥棒に)
がくっと項垂れたヒデヒロの腕が、もう一度、彼女によって引っ張られた。
再び走り出した、二人。
その姿は、薄暗くなった街の喧騒の中へと、消えていったのだった。