永遠の回転の中で
(これで、何社の面接を受けたんだっけ?)
来年の春に大学の卒業を控えたその若い男は、8月の水蒸気の多く含んだ熱気の中を走り続ける東京・山手線の車両の席にもたれながら、ふと、考えた。
男の名は、増戸英裕。二十二歳。当然、独身だ。
彼の背筋は、まるで水を三日も与えていない朝顔のようにしんなりと曲がり、見るからに覇気がない。スーツのズボンからは既に折り目の線が消えており、上着には皺が縦横無尽に走っている。
陽炎のように街が揺れ、逃げ水ととともに街が過ぎ去っていく。
そんな光景の、合間、合間。
電車は次々と駅のホームに滑り込み、彼の座席の前のドアが開いたり閉じたりを繰り返す。その度、大勢の人が降り、大勢の人が乗り込んだ。
けれど男の眼に、そんな光景は映っていなかった。
今、彼の脳裏に、故郷の「札幌」の景色が浮かんでいたからだ。
澄み切った蒼い空。乾いた涼しい風になびく、葉緑鮮やかなポプラの木々……。
(どうせ、こんどの面接も不合格だろ? いっそのこと、札幌に帰っちゃおうかな)
そう思った、瞬間。
(いや、ダメだ!)
男の心の中で、もうひとりの彼の声が、激しく木魂した。
(札幌には、母さんがいるじゃないか! お前は、「あの人」から逃げ出したくて、わざわざ東京の大学に入り、一人暮らししてきたんだろう?)
迷いを振り払うかのように、その首を大きく左右に揺らす。
「次は……です」
鳴り響く、車内アナウンス。
その駅名は、彼の降りようとしている駅だった。
懐かしい故郷の景色を脳裏から追い払った彼の目に、夕焼けに染まった東京の空が車窓のその先から飛び込んできた。
ビルの谷間の、小さな空。
(もう少しだけ、就活がんばってみるか……)
両足に力を込め、大きく息を吐いた彼が、座席から立ち上がる。
背は、世の若い男性の平均くらいだ。特に太っているわけでもなく、痩せているわけでもない。要するに目立たない、平均的な男。
開いたドアに吸い込まれるように、ふらふらと駅のホームへと出て行った。
まるで咽喉に詰まった唾でも吐き出すかのように彼を追い出したその電車は、何事もなかったかのように、再び東京の地上で永遠の回転を始めたのだった。