泡沫
月明かりが闇を照らす。
この場に似合わない程の優しさで。
鉄の匂いが部屋を包む。所々に飛び散った鮮血がゾッとするほど綺麗に見えた。
【泡沫】
あれはもう数年前のこと。
気が付いたら僕は、血の海の中でポツンと立っていた。
手や顔、体には少し乾いた血が付着していて、でも自然とそれを気持ち悪いとは思わなかった。
ただジッと自分の手を見つめる。
どれほどの時間が経っただろう。ふと気づくと、月は沈み太陽が顔を覗かしている。
カーテンを引いていない部屋は太陽の明るさによってハッキリとその光景を映し出す。
その光景の残虐的なこと。
僕はそれを感情の篭らぬ瞳で一瞥し、静かに部屋を出た。
それはとても天気のいい日だった。
「珍しい、貴方が表舞台に出てくるなんて」
「・・・・・・」
暗い裏路地から出てきたのは、全身を黒で覆った一人の男。その眼は冷酷で、視線だけで人をも殺せそうな勢いだ。
「そんなに睨まなくても・・。仕事ですか?」
「わかってるなら聞くな」
「貴方自身が出るなんて・・。お供いたしましょうか?」
「必要ない」
ひらりと身を翻し闇の中へと姿を消す。
「さすがですね・・。我等がボス」
気配もなにも残していかない彼に男は呟く。気配を断つことは簡単に出来ることではない。それは彼が相当の手練れということだ。
彼が向かった先は依頼者に頼まれた標的の許。彼なら5分もかからずに終わらせてしまうだろう。
思った通り彼は数十分もかからぬうちに帰ってきた。
「近かったのですか?」
「ここから1㎞もかからない場所だ。後は殺すだけだからな」
「返り血も浴びぬとは・・、お見事です」
「誰が接近戦なんてするか。銃で一突きに決まってるだろ」
銃で一突き。その言葉に思わず身震いする。殺すことに躊躇わず、殺すことを当たり前だと思っている彼は一体どんな人生を歩んできたのか。
それを知ることは一生ないだろうと男は知っていた。聞こうものなら死ぬ覚悟で挑まなければならない。
「部屋に戻る。誰も入ってくるな」
「御意」
下がる男を一瞥し、部屋に入る。
あの男は部下の中で一番優秀だ。物分りも良いし、なにより頭の切れが良い。
しかし信用できるかと聞かれれば答えは否。彼だけではない。他の誰も俺は信じない。信じるだけ無駄だということを、俺はこの身をもって知っている。
あの日のことは新聞に大きく載った。
“一家殺人事件”
さして珍しくもない事件だ。ただその犯人が捕まらず、また一人息子が見つからないことが問題になっているだけで。
一人息子が見つかる確率は0%だ。なんせ俺がその一人息子なのだから。そして犯人が見つかることもない。殺したのは一人息子の俺自身なのだから。
警察も、まさか5歳の子供が殺人を犯すとは思っていないだろう。
この事実を知っているのは俺自身と、俺を拾ってくれたあの御方だけ。
誰も知らなくてもいい。知ったって所詮他人に出来ることなんてないのだから。
親の裏切りによって俺は人を信じなくなり、人を殺す快楽を覚えた。
人を殺すことに快楽を覚えた俺は可笑しいのかもしれない。けれどそれに後悔をしたことはない。
後悔することなんて何一つない。生きるために犠牲は必要なのだ。
昔を思い出す日は必ずと言っていい程の確率で昔の夢を見る。
シャボン玉みたいに浮かんでは消えていく、断片しかない儚い思いで。
そう、まるでそれは泡沫のよう。
俺は今日もその夢に魘され心を闇に染めていく――――――――
END




