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流行日和

  襟菜はパチリと目を開けた。どうやら、机に突っ伏して寝ていたらしい。右手に包まれたペンが、水平に傾いている。去年の誕生日に麻那に買って貰ったものだ。誰にもプレゼントをあげたことのないという彼女は、珍しくおずおずと差し出して言った。

 「襟菜は、明るい色が好きだったよな…?」

 その臆病な態度が普段の彼女と違いすぎて、襟菜は必死で笑いを押さえた。それを見てムッとしながらも、照れたように麻那は言った。

 「なんか、選ぶのは楽しかった。襟菜の好きなものってなんだったかなぁ、とか考えるのってさ」

 麻那の誕生日は2ヶ月後だ。わざわざ自分の誕生日だけは自己紹介の時に隠したらしい。今年こそは、密かに準備してサプライズさせてやるつもりだ。

 (どんな顔をするだろうか…)

 握ったシャーペンを一回転させて、襟菜は微笑んだ。親友という言葉に慣れない彼女は、全てが初々しかった。

 「襟菜、起きてるなら降りてきなさい」

 40を最近超えた母が呼ぶ。風邪気味で枯れた声が嫌なのだと愚痴っていたが、気にならないほどソプラノの綺麗な声だと思う。

 シャーペンをそっと置いて、襟菜は軽く髪を整えた。中途半端に癖のついた横髪を押さえながら、階段を降りる。階下からは香ばしいナッツの匂いが漂ってきた。アメリカンクッキーだ。母は、半年前から料理教室に通っている。

 クシャクシャと髪をかきながら椅子を引く襟菜に、刺々しい声が降ってきた。

 「襟菜ねぇ、早くショートにしちゃえば? 暑苦しい」

 階上から不機嫌そうに現れたのは、三つ下の妹、真樹だ。襟菜のそれとは対照的に、彼女の髪は耳元で切りそろえられている。ハードボイルドと言えば良いだろうか。母は、極端に短くなった真樹の髪を切なげに撫でた。

 「あんなに手入れしてたのに、バッサリ切ることないじゃない」

 その手を払いながら真樹は言い放つ。

 「あんなの周りの子にいないし。今のがシャンプーも楽だし、乱れない。それに…襟菜ねぇみたいな無関心ヘアになりたくない」

 セーラーに腕を通し、学習鞄を用意する真樹には似合わない位に大人びたヘアスタイルだった。そう、と呟きながら皿を並べる母は、名残惜しげに溜め息をつく。

 「あの程度の男の子で、命に等しい髪を切るもんじゃないわ」

 逆鱗に触れた。

 「うるっさいなぁ! もう圭護とは何の繋がりもないし、会う機会もないって。関係ないし、その話題しつこい」

 乱暴に椅子をしまうと、その音が木霊している間に真樹は玄関を飛び出した。

 玄関から足音が消えると同時に襟菜は息を吐き出した。

 「お母さん…」

 「わかってる。何も言わないで。いつのまにかお節介おばさんになっちゃったのよ」

 黄緑色の花柄エプロンを外しながら、母は早口に述べた。反省半分、話を切り上げる半分といったところか。早朝の風物詩、ウグイスの鳴き声が風鈴の名残のごとく、優しく響く。のどかな朝だった。真樹はこんな日に喧嘩を嫌う。

 母は、何か呟きながら、向かいに座った。見つめる襟菜の目から逃れるように、フォークでウィンナーをつつく。「お母さん」もう一度襟菜は言った。訴えかけるように。その声色に感じ取ったか、母は素早く顔を上げた。拍子に豚の腸が落ちたのにも気づかない。

 「もしかして…」

 襟菜はこくりと頷いた。

 「うん、今日はテスト」

 我が家の家訓。

 大事がある日には、喧嘩をしない。

 「やっちゃったぁ…」

 片手を頭に乗せて、息を吐くように母は呟いた。はずみに椅子が甲高く軋む。その音に反応したか、玄関からルナルナがのっそり歩いてきた。

 ルナルナは黒焦げたパンみたいな色の雑種犬だ。警察犬にも負けない図体のでかさからはかけ離れた名前は、二年前保健所で出会ったときに真樹がつけたのだ。

 「あ、ルナルナだ」

 初対面早々、真樹は旧友にでも会ったかのように言った。家族が何かと訊く前に既に駆け寄った真樹は、そのサラサラな毛に顔をうずめて笑っていた。ルナルナと突然名付けられた彼も、「そうだよ、よくわかったね」とでも言うように鼻を鳴らした。

 「ルナルナ~」

 ルナルナを引き取って帰宅してから尋ねてみると、真樹はニィっと顔をゆるませた。

 「教えないよ、襟菜ねぇには特に」

 「なによそれー」

 黄色のキャミソールの裾をいじりながら、真樹は歌った。聞いたことの無い歌だったが、よく覚えている。

 「ルナルナルナルナ何の音?

  世界が生まれる音でさあ

  ルナルナルナルナ何の音?

  世界が滅びる音でさあ

  ルナルナルナルナ教えてよ

  どうして真逆を表すの?

  ルナルナは気まぐれ

  教えて欲しけりゃ星に訊け

  星なら世界を見守ってさあ」

 操り人形だ。襟菜は唐突に思ったのだ。不自然に腕を振り、指揮を取りながら歌う真樹を見て。

 あ、操り人形だ。


  ルナルナは襟菜の足に体を寄せて、おこぼれを貰おうと顔を出す。生憎クッキーは犬のものじゃない。

 「ダメだよルナルナ」

 「ねぇ襟菜、真樹大丈夫かしら」

 母の心は真樹で一杯のようだ。普段は甘い声で、ルナルナに朝のなでなでをするはずだというのに。

 襟菜は牛乳を一気飲みして、席を立った。カレンダーを無造作に一枚破り、日付を世界に合わせてから振り返る。

 「気にしても仕方ないことって、一番寿命を短くしちゃうよ」

 「誰が言ったのよ」

 「ネットの誰かが」

 「信用できないわ」

 「気にしても仕方ない」

 洗面所にスキップしながら襟菜は、胸を突かれる感覚に陥った。あれ、と思ったときには遅く、足は体を支えることを放棄した。

 腕は、主人を助ける気などさらさら無いようで、背中の後ろに舞うだけだ。

 「あ、死ぬんだ」

 何の根拠も無く襟菜は悟った。

 地面が迫るまでは長かった。人生を振り返る位に。否、言い過ぎた。この2ヶ月を振り返る位に、だ。

 あ、死ぬんだ。


  麻那が川の向こうで笑ってる。籠手をはめた手で襟菜に手を振りながら。

 「襟菜ー、明日のテストの教科はね」

 妙に現実味のあることを言うな、襟菜は苦笑いしながら続きを待った。

 「天国と地獄と虚構の三つだから、勉強しときなよ。あんた、赤点とったらヤバいよ」

 晴天から紙切れが大量に降ってきた。対岸の麻那はそれらを見上げながら、狂ったように嗤った。一枚を取ってみると、小さな文字で一言。

 「怒った王様烏を処刑」

 何の変哲もないA4サイズの紙切れ。だからこそ、その一文が異様に感じた。麻那の嗤い声が止まる。

 あ、麻那が死んじゃう。

 対岸を見ると、麻那は籠手をじっと睨んで叫んだ。

 「ずっと邪魔だったんだよ!」

 銀色に光る2つの腕が宙に浮かんだ。麻那がもぎ取ったのだ。襟菜はそれらを目で追いながら、二度と麻那の方を見ちゃいけないと感じた。

 「あははははは、烏は処刑っ。烏は処刑、あはは。はは…烏は死んじゃう………」


  今朝見た夢が、嘲笑う様に鮮やかに蘇った。蘇って、襟菜を不安にさせて、放置したまま消えてしまった。

 額にまず激痛が走った。その後は胸がつまって、膝小僧が潰された。そうして、痛みのフルコースを味わってから、襟菜は気を失った。

 (どうせ、死ぬなら…痛み位…感じさせなくたって……)

 ルナルナが近くにいる。でも、手は届かない。ルナルナは笑ってた。

 

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