第4話「理不尽は処理すれば終わりです」
理不尽なクレームには、パターンがある。
契約内容を読んでいない。
自分の操作ミスを認めない。
または、ただ誰かに怒りたい。
どれも、原因は明確だ。
感情が、論理より先に動いている。
だから処理できる。
感情には、必ず発生源がある。
発生源を特定すれば、感情は落ち着く。
人間はシンプルだ。
——そう定義している。
「結城さん、今日は取っていいですか」
天城さんが、今日も朝から言った。
「モニタリングが優先です」
「昨日も一昨日も見てました」
「インプットの期間が必要です」
「でも見てるだけだと、怖さが抜けなくて」
一瞬、処理が止まる。
怖さが抜けない。
慣れの問題。
経験値の不足。
だが。
「……怖いと、どうなりますか」
「声が小さくなります」
「お客様に聞こえなくなります」
「そうですね」
「判断が遅くなります」
「そうですね」
「それは、問題です」
天城さんが、少し笑った。
「そういう言い方するんですね」
「事実です」
「じゃあ取らないほうがいいってことですか」
「取ることで慣れる側面もあります」
「じゃあ取ってもいいですか」
論理の形をしているが、最初から結論が決まっていた。
「……緊急時のみです」
「やった」
小さくガッツポーズをした。
二十二歳だった。
最初の着信は九時十一分だった。
「お電話ありがとうございます。サポート窓口の結城です」
『おたくのせいで仕事に遅刻したんですけど』
音量:高。
語速:速い。
感情:怒り。
「ご不便をおかけして申し訳ございません。状況をお聞かせいただけますか」
『今朝インターネットが繋がらなくて、テレワークができなかったんです。それで会議に遅刻した。おたくが補償するべきじゃないですか』
補償要求。
契約内容を確認する。
補償規定——障害発生時の回線補償あり。
ただし適用条件——当社設備側の障害に限る。
今朝の障害記録を確認する。
記録、なし。
つまり——当社設備側の問題ではない可能性が高い。
「本日の時間帯に、当社設備側の障害は確認されておりません」
『じゃあなんで繋がらなかったんですか』
「お客様側の環境を確認させていただく必要があります。現在ルーターの状態はいかがでしょうか」
『もう繋がってますよ、今は』
「いつ頃から繋がるようになりましたか」
『一時間くらい前かな』
時間帯を確認する。
午前八時頃に解消。
近隣エリアの一時的な回線混雑、の可能性。
「お客様のエリアで一時的な回線の混雑が発生していた可能性があります。当社設備側の障害ではないため、補償の適用外となります」
『は? 繋がらなかったのは事実でしょう?』
「はい、事実です。ただし補償規定は当社設備の障害に限定されております」
『そんな話聞いてない』
「ご契約時の書類の十四ページに記載がございます」
『読んでないですよそんなの』
「ご確認いただけていなかったことは承知しました。ただし規定は適用されます」
『じゃあ遅刻した損害はどうなるんですか』
「当社の補償範囲外となります」
『ひどくないですか』
「規定上の対応です」
沈黙。
数秒後。
『……責任者に代わってください』
「私が担当者です」
『上の人に代わってほしいんですけど』
「同じご説明になります」
『代わってください』
「はい、少々お待ちください」
保留。
緑さんに確認する。
「補償要求です。規定外と説明しましたが、上位者対応の要望があります」
「うん、分かった。私が出るね」
「内容は説明した通りです」
「うん」
緑さんが電話を引き継いだ。
私は端末に記録を入力した。
三分後、緑さんが保留を解除した。
「……そうですよね、ご不満はよく分かります。ただ今回は規定上……はい……そうですね……」
内容は私と変わらない。
だが、顧客の声のトーンが少しずつ変わっていた。
七分後、通話が終わった。
「……緑さん」
「うん?」
「説明内容は同じでしたが、顧客の反応が違いました」
「そうだね」
「なぜですか」
緑さんは少し考えた。
「うーん……結城さんの説明は、正しいんだよ」
「はい」
「でも、正しい説明って、受け取る側には『壁』に見える時があるから」
壁。
遮断。
物理的比喩。
「……柔らかくするということですか」
「まあ、そんな感じかな」
曖昧。
定義不明。
だが——
「……参考にします」
とりあえず保存する。
昼休み。
天城さんが、隣でお弁当を食べていた。
今日は一人だった。
「さっきの電話、見てました」
「モニタリングできていましたか」
「はい。でも、あのお客さん、理不尽じゃないですか」
「規定外の要求でした」
「結城さん、怒らないんですか」
一瞬、処理が止まる。
怒る。
感情。
処理対象。
「怒っても状況は変わりません」
「でも、ひどいこと言われてましたよね」
「事実確認の範囲内です」
「俺だったら、ちょっとムカってきます」
「それは業務に支障が出ます」
「出ますね」
天城さんは、お弁当のふたを閉めた。
「結城さんって、嫌な気持ちになることないんですか」
「定義してください。嫌な気持ち、とは」
「不快、とか……理不尽だって思う感じ、とか」
不快。
発生することはある。
だが。
「業務に関係しない感情は処理します」
「処理って……消すってことですか」
「分類して、棄却します」
天城さんが、少し黙った。
「それ、しんどくないですか」
返答に、詰まった。
しんどい。
苦痛。
経験値、不明。
「……慣れています」
「慣れてるのと、しんどくないのは、違くないですか」
一瞬、処理が止まる。
慣れている。
しんどくない。
同義ではない、可能性。
「……処理の範囲内です」
天城さんは、何も言わなかった。
ただ、少しだけ、困ったような顔をした。
その顔が、何なのか。
今日も、分類できなかった。
午後。
二件目の着信を処理しながら、天城さんの言葉が残っていることに気づいた。
慣れてるのと、しんどくないのは、違くないですか。
処理する。
棄却。
——棄却、完了。
そのはずだった。
「結城さん」
定時間際、天城さんが声をかけてきた。
「今日も、ありがとうございました」
「研修担当なので」
「でも、いつも丁寧に説明してくれて」
「業務です」
「業務でも、ありがとうございます」
返す言葉が、一瞬遅れた。
「……どういたしまして」
天城さんが、笑った。
「明日もよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
天城さんが去っていった。
ありがとうございます、と言われた。
業務上の礼だ。
処理する。
——なのに。
なぜか処理が、〇・三秒遅かった。
誤動作。
記録する。
エレベーターのドアが開いた。
乗り込んで、閉じるボタンを押した。
——感情は、業務に不要。
そのはずなのに。
今日の〇・三秒が、ノイズのように残り続けていた。




