第092話 失いたくないもの
シエラとの話し合いを終えた俺は夕飯を取っていた。
路上生活の記憶からか、何を食べても美味い。王子としては意地汚いかもしれないが、いつも完食してしまう。
「そういや、リィナに呼び出されていたんだっけ……」
本日はまだ用事があった。それもあまり良くない話。フィオナとの口づけがリィナにバレてしまったみたいなんだ。
「遅かれ早かれだな……」
弁明とか憂鬱な気分になってしまうが、身から出た錆である。
フィオナに押し切られた格好であったけれど、俺は彼女の気持ちに応えてしまったんだ。
リィナとの待ち合わせは魔道殿の裏手だった。幸いにも月明かりがあったおかげで、迷うことはない。
「殿下!」
俺は声をかけられていた。どうやらリィナは既に到着していたらしい。
駆け寄ってくる彼女は昼間の鍛錬疲れもまるで残っていない感じだ。
「ああ、リィナ。えっと、その……」
俺が目を泳がせていると、先にリィナが口を開く。
「殿下、聞きたいことがあるのです」
やっぱり。誰にも見られていないはずだが、もしかするとロッカールームに隠れていたことは全員が気付いていたのかもしれない。
ところが、リィナは俺の予想と異なる話を始める。
「また私の知らない誰かになるおつもりですか?」
んん? 知らない誰かになるって?
俺は記憶を掘り返していた。
このところ色々なことがあったので整理する必要がある。
リィナが気にするようなことで、俺が誰かになるって話は……?
「ミリアに聞いたのか?」
恐らくミリアに加護をくれと頼んだ話だろう。
リィナは俺がミリアになってしまうのではないかと危惧しているはずだ。
「ええ、まあ。相談を受けました。けれど、私は反対です。殿下は今のままでよろしいかと……」
ミリアの加護を手に入れるのはリィナのため。そして俺のためでもある。
魔力を循環させる魔管を錬成できたのなら、魔力循環不全は治癒する可能性があったんだ。
その場合に俺は最終的なディヴィニタス・アルマを使う必要がなくなり、俺とリィナの二人共が未来に生きることができる。
「ミリアの加護を俺は必要としている。彼女が持つ錬金術を行使できるのなら、リィナを救えるかもしれない」
「いやでも、ミリアが被害を受けますよね!? 私は他者を苦しめてまで生きたくありません!」
リィナならそういうと思っていた。彼女は今も自分に価値を見出していないのだ。
だけど、俺は違う。世界の誰もがリィナを切り捨てようとしても、俺だけは最後まで彼女を守りたい。
「生きてくれ。リィナ、俺は君が拒否しようとも、君を助けたい。誰になったとして、その気持ちは変わらないんだ」
「でも、殿下が王子様じゃなくなってしまえば、私との接点はなくなるのではないですか!? ミリアは皇国の出身で、没落貴族なんですよ!?」
もしも世界の改変が俺を大きく変えてしまったのなら、俺はもうリィナと共に歩めないだろう。遠くから彼女の幸せを願うことしかできないはず。
「私はそんな未来ならいらない。これまで殿下のために生きてきました。貴方様が隣にいてくれたからこそ生きてこれたのです」
そんなに思い詰めないでくれ。
俺だって苦悩した末に出した結論なんだからさ。
「お願いです。ルカ様、私の願いを聞いてください」
リィナは俺に構うことなく意見をぶつけてくる。
自身が抱いてきた全てを吐き出すようにして。
「どうか私を静かに逝かせてください……」
やはりリィナは自身の死を望む。それが一番の結末であるかのように。
「最後のとき、殿下が側で看取ってくれたなら嬉しいです」
揺るぎない意志を俺は向けられていた。
俺が考える幸せとリィナの望みはかけ離れすぎている。
双方の思惑はまるで違う方向から、ぶつかり合っていた。
「リィナ……」
「幸せでしたよ? こんな身体に生まれたにしては色々と経験できた方ですもの。悔いが残るとすれば、世界を救うという使命だけ。やり遂げたいことはそれしかありません」
リィナを見捨てるとすれば、俺が取るべき行動は単純なものになる。
フィンから時空術士を奪いアークライトを暗殺するだけ。ミリアの運命を奪う必要はなくなり、シエラの神力について頭を悩ますこともなくなるんだ。
「俺は……どうするべきかな」
「初めから決まってますよ。殿下は勇者なのです。世界を救う責務を全うしてください」
リィナが望まないことを成す。それは間違っているのか?
俺は解答を見ない自問自答を繰り返していた。理想と現実の乖離に俺の思考は混乱するだけだ。
「私は最後まで貴方様を愛しておりますから……」
告げられた台詞はまるで別れ話のよう。俺は長い溜め息を吐くしかなかった。
それは俺も同じだ。
リィナの存在に気付いてから毎日君のことについて考えたよ。どうすべきかと考え、行き着いた答えこそが自己犠牲だった。
しかし、真っ向から否定されてしまうと、俺の思考は再び出口のない迷路へと迷い込むだろう。抜け出せないダンジョンを彷徨い続けるだけだろうな。
「でも、まだ先の話です! そんな深刻に考え込まないでくださいまし!」
俺の様子を推し量ってか、リィナが続けた。
空元気にも思える笑顔を向けながら。
「このところ毎日、フィオナ様に精霊術を施してもらってます。だから体調は割と良いのですよ。今日の特訓も最後まで頑張れましたし」
思いのほか、ルームメイトの二人は仲良くやっているみたいだ。
そこまでは考えていなかったというのに、フィオナは精霊術を使って、リィナの体調改善までしてくれているらしい。
「私は元気一杯です! 何なら、殿下の欲求に今からでも応えちゃいますよ?」
力拳を作ってみせるリィナ。俺には逆に痛々しく見えていたけれど、彼女はそんなこと気にしていないようだ。
「ねぇ、殿下……。騎士学校に入ってから全然ですよね? 私、それだけが嫌なんです。殿下の温もりを、もっと肌に感じていたい」
妙な話が続く。だけど、それは難しい話なんだ。男女が別々の寮に入っている騎士学校で愛を確かめ合うなんてさ。
「それは俺もだけど、やっぱ男女が分けられているしな……」
騎士学校は上位貴族の問題に巻き込まれたくないため、男女を明確に分けている。
まして王国と皇国の上位貴族がメイン。当事者だけで済む話ではなくなり、国際問題に発展する可能性もあったからだ。
「ルカ様、ここなら誰もいませんよ?」
「お前なぁ、俺は一応シルヴェスタ王国の王子なんだぞ?」
「知ってますよ。誰よりも……」
俺は息を呑んでいた。
リィナの本気を知って。リィナの感情がそのまま俺の心に流れ込むことで。
「抱いてください――」
月が照らす校舎裏。
二人で座るベンチもなければ、木々さえない殺風景な場所だ。
しかし、一輪の可憐な花が俺の前に咲いている。加えて、その花はここで摘んでくれと俺にせがむのだ。
一陣の風が俺たちの間を吹き抜けていく。
俺は思わずリィナを抱き寄せていた。
久しぶりの感触。柔らかい彼女の身体に触れる。こうなるともう俺は欲望を抑えきれない。
月明かりに浮かぶ彼女の白い肌。俺は制服の隙間から手を差し込んでいた。
倫理観はもう吹っ飛んでいる。やや乱暴に彼女の服を脱がせると、俺は行為に至ってしまう。
やはり俺はリィナが好きだ。
失いたくないものだ。
俺が生きる上で必要不可欠なピース。世界よりも使命よりも、俺はこの温もりを大切にしていきたい。
俺は気が済むまでリィナを抱いた。
しかし、その行為は彼女の思惑とは異なる感情を抱かせ、俺は今宵の月に一つの誓いを立てている。
リィナだけは生かす――と。




