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第005話 悲運の女神シエラ

「イリアの使徒を呑み込めばいい」


 予期せぬ話に俺は唖然としていた。

 呑み込むとはゲームで見たあの呪文のことだろう。他人の運命を背負うというスキルの使用に違いない。


「できるのか……?」


「できるわ。私はこれでも強大な力を持っています。貴方に与えたスキルは誰も抗えない強力な効果を発揮するもの。子供をあやすよりも簡単ですわ」


「いや、女神の使徒にも効くのかって話だ」


 全てを知っているような俺にシエラは微笑む。余計な手間が省けたとでも考えているのかもしれない。


「あら? 貴方が死を代行する聖女だって女神の使徒なのよ? 幸運の女神に魅入られた魂ですもの。だから美の女神の加護なんて余裕で呑み込んでしまうわ」


 マジかよ……。

 確かにリィナも女神の使徒なのだから、美の女神の使徒だって抗えないことだろう。


「複数人を使徒としてもいいのか?」


「いいえ、一人だけよ。選んだ使徒が失われるまで次の使徒は選定できない。現状のエクシリア世界には、ルカを含めて七人の使徒がいるだけね」


 使徒が少ない理由が明らかとなっている。加えて悲運の女神の加護を受けるものが極めて少ないことも推し量れていた。


「お前の使徒は直ぐに死ぬから世に認識されていないのか?」


「それだけじゃありませんの。悲運な運命を持つ者は下民が多い。単に洗礼すら受けていないから分からないのですわ」


「楽しむためだけに選ぶからだ。少しは世界のために選べよ……」


「嫌ですの。世界の安寧を促すのは武運の女神ネルヴァと叡智の女神マルシェがいるもの。愚者の女神や幸運の女神もまた良き女神の柱だし」


 悲運の女神シエラは、まるでそれ以外の女神が悪であるかのように話す。善の女神に対して、バランスを取っているみたいに。


「ちくしょう。儚い人生だったぜ……」


 頭を垂れて溜め息を吐く。

 女神が出した結論なら現実になることだろう。俺はあと二年でリィナのために死ぬ運命みたいだ。


 ふと伸びた前髪が視界を遮る。煩わしく感じた俺は大雑把に髪を掻き上げていた。

 切なさを目一杯に浮かべた表情をしながら、あらぬ方を見ては哀愁を滲ませている。


「…………」


 どうしてか悲運の女神シエラは俺の顔をマジマジと見ている。加えて、なぜか頬を赤く染めて彼女は視線を外した。


「えっと、まあ、そうね……。世界のためにか……」


 ここで意外な反応があった。シエラは世界のことなど少しも考えていないような駄女神だが、僅かにも女神という自覚があるのかもしれない。


「深き青の君。ルカの運命は愛おしいほどに儚い。この私の気を惹くなんて大したものですわ。だから、貴方の提案を受け入れましょう。ルカ、貴方は世界を救いなさい」


 いやいや、方針転換しすぎだ。

 俺は可愛い彼女とイチャコラするという願望の話をしていたはずだぞ? 十七歳でこの世を去る運命の俺に何ができるというのだ。


「あと二年で世界を救うってどうするつもりだよ? 俺は男としての使命を全うできたら充分だ。どうせ農耕貴族だし、甘い経験さえできたのなら、この世に未練はない」


「達観してますのね? でも、奥底では生きたいと願っているでしょう? 愛すべき魂を持つルカ。貴方が望むのなら、私はたった一つだけ運命を動かす手段を提示できますの」


「マジで? そりゃ生きたいけど、俺は最大で十七歳までしか生きられない運命じゃないの?」


 俺だって生きたいと思ってる。だけど、十五歳まで生きるのにもシエラの加護が必要だったと聞く。それにゲームで見たものが未来であるのなら、俺はリィナという聖女のために、この生涯を終えるはずだ。


「私は強大な力を持つ原初の三女神であり、貴方はその力を継ぐ使徒。私が話す通りに動きなさい。さすれば道は切り開かれる。細かな調整は私に任せて、ルカは私が口にする文言を願いのままに告げたらいい」


 頷く俺にシエラは続けた。

 俺が生き残る唯一の手段。その文言とやらを。


「ディヴィ……」「ディヴィ……」


 希望を見出した俺はシエラが話す言葉を真似る。彼女と同じ発音で口にするだけだ。


「ニタス」「ニタス」

「アルマ」「アルマ……」


 一字一句間違えることなく、俺はシエラが口にする文言を真似していた。

 あれ? でも、これって……?


「この文言は俺の固有スキルじゃね?」


「やはり知っていたのね? それはルカが生き残るための下準備。もう君の運命は動き始めている。恐らくルカは運命から解放されたはずですわ」


 何のことだか分からないが、俺にあった悲運の人生は口まねをするだけで乗り越えられたらしい。


「やけに気前がいいな? 俺の悲運が見たかったんじゃないのか?」


「愛され坊やの未来が見てみたくなりました。それにルカの悲劇的な運命よりも、他の女神が悲嘆に暮れる様子の方が面白いでしょ? ただし、確定したわけじゃない。ルカはこれからも希望に向かって手を伸ばし続けなければいけません。人生がそこで途絶えてしまわないように」


 本当にシエラは掴み所がない。理由を聞いた今もさっぱり分からなかった。


 てか、愛され坊やって何だよ? 言っちゃなんだが、俺は母上にしか愛されていないってのに。


「もう未来への扉は開かれた。ルカは突き進むしかありません。目覚めたとき、貴方は新たな運命を知るでしょう。すべきことも、生きる目的も自ずと理解できるはずですの」


 シエラの身体が薄く透けていく。強制的にこの邂逅を終わらせるように。


「女神が悲嘆に暮れるのか、或いはルカが絶望するのか。愛しき深い青の君。楽しみにしていますね……」


「おい、ちょっと待て! まだ聞きたいことがあんだよ!」


 必死に呼びかけるも無駄なことだった。

 既にシエラの姿はどこにも見えず、加えて俺は再び意識を失う感覚に襲われていたのだ。


「ちくしょう……あの駄女神……」


 ここで意識が途切れる。この空間が何であったのかも知らされないまま、俺の視界がブラックアウトしていた。まるで永遠の闇に呑まれてしまったかのように。


「あれ……?」


 一瞬のあと、俺は気が付いていた。

 意識を失ったのは、ほんの一瞬だったのかもしれない。


 視界には七柱女神像。明らかに元の聖堂であって、白銀に輝く空間ではなかった。


「どういうことだ……?」


 俺が小首を傾げていると、聖堂内がどよめく。


 一体なんの騒ぎかと疑問に感じるけれど、恐らくは代行者という未知なるジョブのせいだ。誰もが眉を顰めるジョブを授かったからだろうな。


 ところが、ざわめきが収まらない。それどころか、俺はあらゆる方向から指さされてしまう。


 ああいや、違うか。

 指さしは俺の背後にある巨大な水晶が原因。そこに授かったジョブ名が表示されているはずだもんな。


 俺は七柱女神像を振り返る。その前にある水晶を確認しようとして。


「……っ!?」


 嘘だろ?

 まるで言葉がない。あんの駄女神、やりやがったな……。


 今さらながらに俺は聖堂内がどよめいたわけを知った。


 水晶に浮かび上がった俺のジョブ名。読み間違えるはずもない。それは端的であり、明々白々なものでしかないのだから。



【勇者】────



 いや、ちょっと待て。何だそのジョブは?

 俺は代行者であるはずで、世界を担うジョブを授かるはずがないって。


 勇者は弟のアルクが二年後の儀式で授かるものであり、そもそも勇者は武運の女神ネルヴァ様が授ける固有ジョブであったはず。


「あれ……?」


 ここで俺は思い出していた。生き残る手段だと言われて、文言を真似たこと。

 誘導されるようにディヴィニタス・アルマと口にしたことを。


「ひょっとして、あの駄女神……?」


 俺は一定の予測をしていた。彼女は確かに言ったのだ。


『恐らくルカは運命から解放されたはず――』


 ディヴィニタス・アルマは他者の運命を背負う呪文だった。


 俺がそれを実行したことになっていたとすれば、この場にいる誰かの運命を背負ってしまったことだろう。加えて勇者だなんて運命を持つ人間が聖堂に多くいるはずもない。


「俺はアルクの運命を背負ってしまったのか?」


 思えばシエラは悲嘆に暮れる女神が見たいと話していた。更には美の女神の使徒を呑み込めとも話していたのだ。


 あの駄女神は世界のことなど何も考えていない。勇者という運命をアルクから奪うことに躊躇するような女神ではなかった。


「まさか、アルクが俺の運命を背負ったなんてことには?」


 俺は怖くなっていた。

 勇者だなんて心の準備ができてない。それに俺は可愛い彼女とイチャコラできたらそれで良かったんだ。余計な使命は欲しくないんだって……。


「おおお! ルカ・アルフィスは勇者! その色は青である! つまりは悲運の女神シエラ様から大いなる使命を授かったのだ!」


 動揺する俺に構わず、司教様は満足げだ。片田舎の教会に着任するなんてハズレクジだもんな。自身の祝福にて勇者が現れたのだから、喜ばないはずがない。


 見守る人たちも大騒ぎだ。父上に至っては領主という立場も忘れて、大声を張って歓喜の雄叫びを上げていた。


 このあと俺は使徒として洗礼名を授かっている。何とも複雑な思いであるけれど、俺はこの瞬間にルカ・シエラ・アルフィスとなった。


 駄女神の使徒として世界に知られることになってしまったんだ。


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