ーー第6話 「癒しが呪いへと変わる時」ーー
ーー私は目覚めた。またあの森で、目覚めたんだ。
……森は燃えてはいなかった。空も雲一つない晴天だった。
「……色欲さん」
私は感情を込めずに呼びかける。強く手を握りこんで、激情を抑える。
今少しでも感情を出すと、止まらなくなるから。ーー大事なことを聞けなくなるから。
「…………色欲さん」
「なあに?」
呼びかけに応じた声は、ひどく甘ったるくて耳障りに感じた。
「…………ふぅ…………」
「……それで、私はどうしたらいいの?」
「どうしたら、お兄ちゃんを救えるの?」
「…………へぇ、怒らないんだ。
ちゃんと怒りを抑えられてる。すごいね」
色欲さんは少し驚いたように、呟いた。
そして謝罪の言葉を告げてくる。
「……ごめんなさい。
煽るような態度をとって」
「……っ! ……謝るんだね」
「うん。今回のことは、私が悪いから」
「あなたが冷静でいられるかを試した。
……このくらいで心を抑えられなかったら、『彼』に飲み込まれてしまうから」
”彼……?”
私がそう聞こうとしたら、色欲さんが悲しそうな声で先に答えてくれた。
「『傲慢』……あなたはもう知っているはずよ」
「初めて救世主の終わりを見て、あなたが力を使ったときに……
……あなたが聞いた『怖い男の人』の声」
「……っ!」
「あの声を発していたのが、彼……『傲慢』なの」
私は思い出す、あの怖い声を……。
”お兄ちゃんを殺せ”ーーそう言っていた男の人の声を。
「……彼は『暗い底』にいる。
その想いは黒く深く、激しい……『怨念』のようなもの」
「だから自分の内に生まれた激情を抑えられないと、
飲み込まれて『怨念』に心を奪われてしまう」
「……心を、奪われる……」
「…………私は、彼を…………
『大切な人』を暗い底から救い上げるために、あなたに力を貸す」
「あなたも救世主を救うためには、彼の力が必要になる」
「ーーだから私たちは、それぞれの目的のために協力できるの」
そう告げる色欲さんの声は、震えていた。
……でもその奥に、決して揺るがない強い意志を感じたんだ。
”私と似ている”ーーそう思った。
「……そうね。私たちは似てる」
「……! また心を……」
「あなたの彼への想い、
……そして、私の『彼』への想いーー」
「ーー『彼を救いたい』という想いは、一緒かもね」
「……色欲、さん……」
「…………
……だから、あなたが許してくれるなら『協力』……してほしいの」
「二人で、お互いの大切な人を救うために」
色欲さんの提案……私の答えは決まっていた。
「ーーお兄ちゃんを救えるのなら、私は協力するよ」
「……! ……ふふっ」
「……そう、だったね。
あなたは彼のためなら、何でもできるんだったわね」
「……ありがとう」
こうして、私と色欲さんは協力関係になった。
そして色欲さんは優しい声で私に言ったんだ。
「無理をさせてごめんなさい。
今はもう……大丈夫」
「……大丈夫だから、そんなに強く手を握らなくていいの」
色欲さんの言葉で気が付いた。
握っていた手から、赤い血が垂れていることに。
「もう抑えなくていいの」
「……っ」
「この後の話は、あなたが溜めて抑えているものを吐き出してから。
……それからでも、遅くはないわ」
ーー慰めるような色欲さんの言葉を聞いたとき、私の頬を涙が伝った。
一度溢れ出した涙は止まらず、私は静かな森の中でしばらく泣き叫んでいた。
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……ようやく私は落ち着いた。
色欲さんは私が泣き叫んでいる間、ただ静かに待っていてくれた。
そして落ち着いた私を見て、
色欲さんは『両手に剣を持った魔族』について話し始める。
「今はひとまず、あの『憤怒』を倒せばいいわ」
「……? 『憤怒』……?」
「あなたが前回の終わりに見た、両手に剣を持った魔族のこと」
「……っ!
……お兄ちゃんを殺した、あいつ……!」
「そう、あの魔族が持つ力は『雷』。
……その力は雷を纏って素早く動いたり、雷を狙った所へ落とすことができる」
「……!
だからあの時、雷が鳴り響いてたんだ……」
ーーそこで私の中に疑問が湧いてくる。
”確かに凄い力だけど、お兄ちゃんが負けるだろうか?” ……という疑問が。
「あなたが、その疑問を抱くのは当然ね」
「……救世主が『癒しの力』を使えば、負けるなんてありえない」
「……! そうだよねっ!
お兄ちゃんが負けるはずないんだ……だって、どんな傷でも治しちゃうんだから」
そう、お兄ちゃんの『癒しの力』はどんな傷でも一瞬で完全に治せるんだ。
……だから、どんな凄い力を持った相手でも負けない。『死ぬ』なんてありえない。
「そうね。
『死ぬ』なんてありえない。……力を使っていれば、ね」
「……っ! ……まさかーー」
「ーー救世主は、力を使わなかったの」
”ーーなんで? どうして?”
私の中で更に疑問が湧き続ける。
「……今の救世主は全てを知っているから。
あなたとの出会いを経て、魔族がただの敵ではないと知っている」
「……?」
「そして、彼自身の力が危ういものだということも」
「……だから、あなたは一度しか見たことがないでしょう。
彼が『癒しの力』を使うところを」
「……!」
そうだ。私はお兄ちゃんの力を一度しか見たことがない。
……あの時だ。あれはいつも通り、お兄ちゃんと二人で街を歩いていた時ーー
ーー目の前で幼い子が馬車に轢かれる事故があったんだ。
……かろうじて生きてはいたけれど、その小さな体は見ていられないほどに潰されてた。
その子の母親は動かない我が子を前に崩れ落ちて、助けを求め泣き叫んでいた。
私はどうすることもできずに怖くなって、繋いでいたお兄ちゃんの手を強く握ったんだ。
そして、お兄ちゃんの顔を見た。
……お兄ちゃんは凄くつらそうで、思い詰めた表情で固まっていた。
それでも繋いでいる私の手が震えていることに気付くと、
怯えた顔をしている私の方を向いて、安心させるように微笑んだんだ。
ーーお兄ちゃんのその微笑みは、
私には何かを諦めたようにも、何かを決意したようにも見えた。
「……そしてお兄ちゃんは『癒しの力』を使った。
その力で、死ぬはずだった幼い子の命を救ったんだ」
「そう。
そして、その数日後に救世主は自殺に追い込まれる」
「……っ!
……そうだ……でも、どうしてーー」
「ーー救世主が『癒しの力』を使った時に、
周りの人間がどんな反応をしていたか……あなたは見ていたはずよ」
「…………!
お兄ちゃんを……恐ろしいものを見るような目で、見てた……」
ーーそう、か。
お兄ちゃんが力を使わなかったのは、
人間から恐れられると分かっていたから。……自身が辿る結末を予想していたから。
「……っ。
優しいお兄ちゃんは分かっていて……」
「それでも、力を使ったんだ。一つの命を……救うために」
「…………
……その時の救世主は、誰のために力を使ったんでしょうね」
「……?
……幼い子のため、じゃないの……?」
「…………うん、そうかもね」
そう呟いた後、色欲さんはしばらく黙ってしまった。
そして、いきなり明るい調子でこれからすることについて話し出す。
「これからあなたは、救世主から絶対に離れずに過ごしなさい」
「……? ……離れずに……?」
「ええ、少しも離れちゃダメよ。
『憤怒』が現れたときは特に」
「……どういう、こと……?」
「大丈夫、心配しないで。
……今のあなたは一度『憤怒』を見てるから、現れたら直ぐに分かるわ」
「ーー私を信じて」
……色欲さんの言っていることは、簡単だった。
いつもの私の行動だから。お兄ちゃんと離れないなんて当たり前だから。
そして、私は色欲さんを信じて協力関係になった。
この人が語った想いが嘘だとは思えなかったから。
だから私は、色欲さんを……信じることにしたんだ。
ーーその後、私はお兄ちゃんのもとへと帰った。
私の手の怪我に気付いて、優しく手当てをしてくれるお兄ちゃん。
……でもやっぱり、『癒しの力』は使わなかった。




