第五話 姫華の体調は?
職員室前から暫く廊下を歩き、俺たちは目的の部屋の保健室前に着いた。
瀬川先生が白衣のポケットから鍵を取り出して、ガチャガチャと鍵穴に差し込んだ。
「うーん、最近うまく鍵が開かないんだよね。おっと、開いた開いた」
瀬川先生はドアの鍵を開けるのにちょっと苦労していたが、何とか鍵を開けるとガラガラと引きドアを引いた。
部屋の中はベッドが置かれていたり身長体重計があったりとまさに学校の保健室って感じの内装で、瀬川先生がパチパチと入口の壁際にある部屋の明かりと空調のスイッチを入れていた。
俺たちも瀬川先生の後に続いたが、部屋の中は思ったよりもひんやりとしていた。
「寒い……」
「少し待てば、空調が効く。それまで、あそこで座ってな。いま、お茶を用意する」
姫華が体をすくませながら寒がっていると、瀬川先生が苦笑しながらお茶の準備をしてくれた。
俺は、養護教諭が座る席の前にある丸い椅子に腰かけた。
すると、姫華が俺の袖をちょいちょいと引っ張った。
「熊、上着貸して」
「そこまで寒がりなのかよ……」
姫華が俺のことをある意味必死な目線で見上げたので、俺は苦笑しながら上着を姫華に掛けてやった。
姫華は体が温かくなってご満悦な表情だが、かくいう俺は自転車を漕いで高校まで来たので意外と体が温まっていた。
「ぶかぶかー」
「そりゃ、俺と姫華じゃ身長差があるからな」
「でも、あったかーい」
自転車漕いで来たから一瞬汗臭いかなと思ったが、姫華は全く気にしていなかった。
その間に少しずつ部屋も暖かくなり、瀬川先生が淹れてくれたお茶も飲んで体も温かくなった。
というか、瀬川先生も俺の上着を着てぬくぬくとしている姫華を微笑ましく見ているぞ。
「はとこ同士、仲良くて良いことだ。じゃあ、簡単な問診からはじめるぞ」
「はい」
十分体が温まったところで、瀬川先生がバインダーに紙をセットして姫華から話を聞き始めた。
俺が一緒に聞いて良いのかと思ったが、瀬川先生はいつも一緒にいる俺も知っておいた方が良いと言った。
姫華の場合は虚弱体質らしく、それで色が細かったり病気になりやすいらしい。
俺は基本的に健康優良児で、柔道の練習中に怪我した時以外はあまり病院には行かなかった。
だからなのか、俺は姫華の大変さを理解していないのかもしれない。
「姫華の場合は、たまたま中二の時に診てもらった医師がとてもいい人だったのよ。色々な方法を試して、少しずつ良くなったのよ」
「お薬苦い……」
姫華は今でも薬を処方されているが、それでも昔に比べるとかなり良くなったという。
母さんが食事面をサポートするようになるのも、姫華に取ってはかなり良いことだ。
「後は、適度な運動ね。熊の家から高校まで近いんだから、少なくとも登下校は歩いて来るように」
「えー、熊の自転車がいいー」
姫華が子どもっぽく駄々をこねているが、こればっかりは瀬川先生に同意見だ。
体育の授業にフル参加はできなくても、少しは歩くことをしないと。
お薬手帳なども確認し、先ずは問診完了だ。
「じゃあ、今度は胸の音を聞かせて貰いましょう」
「はい」
瀬川先生は、聴診器を取り出して準備は始めた。
姫華はというと、着ていた俺の上着を脱いで俺に渡してきた。
更に、元々姫華が着ていた上着とブレザーを脱いで俺に渡した。
そして何を思ったのか、姫華は俺の前でプチプチとブラウスのボタンを外し始めたのだ。
俺は、慌ててくるりと後ろを向いた。
「姫華、なんで俺がいる前でブラウスのボタンを外しているんだ!」
「えっ? 聴診器を使うから。病院だと、普通にお医者さんの前だったから……」
どうも姫華は、男性医師が聴診器を使うこともあるので俺が目の前にいても全然普通だったのだ。
俺の背後から「熊はうぶだね」って誂っている誰かの声が聞こえたが、そういうことじゃない気がする。
ともかく、俺は暫くの間保健室のドアをジッと見つめていたのだった。
「熊、終わった。服ちょうだい」
「はいはい……」
暫くして、俺はようやく姫華と瀬川先生の方を向いた。
姫華は変わらず変化に乏しい表情をしていたが、瀬川先生は俺のことをニヤニヤしながら見ていた。
「取り敢えず、今日はこれで終わりだ。熊の成長も見れたし、私としても満足だ」
尚も瀬川先生は俺のことを誂うような表情で見ていたが、俺は気にしないことにした。
というのも、瀬川先生は昔から俺のことを誂うことをよくしていたからだ。
俺は、思わずガクリとしてしまったのだった。
ガラガラガラ、ガチャ。
「時間取らせてしまって悪かったな。次に会うのは入学式だな、気をつけて帰るのだぞ」
俺たちが保健室を出ると、瀬川先生は如何にも先生らしい発言をしながら保健室の鍵を閉めていた。
いや、正真正銘瀬川先生は教員なのだが、まともに先生の姿を見たのは初めてだから何だか調子が狂いそうだ。
ともあれ、今日高校でやることは終わったので後は家に帰るだけだ。
すると、瀬川先生が姫華にあることを言った。
「姫華、帰りは熊の自転車に乗らずに歩いて帰るように。そうすれば、毎日の通学時間がどれだけかかるか分かるだろう」
「えー」
姫華が瀬川先生に盛大にブーイングをしていたが、俺も瀬川先生に同意見だ。
通学時間が分からないと、今朝みたいに時間に追われてドタバタするのは目に見えている。
「熊、自転車乗せて」
「駄目」
「がーん……」
姫華が捨てられた子犬のようなすがるような目で俺のことを見上げてきたが、俺は心を鬼にして即座に断った。
その瞬間、姫華は終わったと頭を下げながらガクリとしていたのだった。