墓参り
毎年わたしが感心させられる若者がいる。
彼は春秋の彼岸、お盆、年末に必ず墓参りに来ており盂蘭盆会では三日間欠かすことなく掃除や新しい花を供えに来ている。
「やあ、こんにちは。今回も来ているんだね。こんな暑いなかご苦労さまなことだ」
「あっ、和尚さん。こんにちは! そういう和尚さんこそ墓守お疲れさまです!」
この溌剌とした笑顔と元気な受け答えにこちらも気分が高揚し自然と口元に笑みが浮かぶ。
彼の存在に気付いたのはかれこれ四年ほど前だったろうか。今日のような蝉時雨が響く快晴の暑い夏の日、せっせと墓掃除に精を出す珍しい人がいると目に止めたのがこの青年だった。
昨今は国内外問わず旅行に行く者や仕事に駆り出され墓参りなど二の次、三の次にされているというのに彼はとても丁寧に汗を流しながらも優しい表情で掃除をしていた。
鬱蒼と生えた雑草を抜き、苔むした文字の間をスポンジで根気強く擦り、枯れ果てた花を真新しい美しいものへと変えて。終わる頃には結構な時間が経っていたがその甲斐あって墓石は新品と見紛うほどピカピカと光沢を取り戻していた。
疲れたろうに文句のひとつも言わず、持参したらしい水筒に口をつけて息をつく様はとてもスッキリとしていた。
そのおかげなのか、この墓所は木が一本もないというのに薄暗い印象が拭えず不名誉にも心霊スポットのひとつに数えられているのだが今ではそんな雰囲気は微塵もない。晴れやかで空気が心地いい。
それは何年経とうと変わらず、今年もまた肺に吸い込む空気が清らかに思える。
「君がこうして掃除をしてくれるおかげでとても心地よい場所になっているよ。毎年ありがとう。特に夏は草の成長も早いからとても助かっている」
「いえ、そんな……。俺はただ集めたいものがあるからやってるだけで、和尚さんに感謝されたらちょっと申し訳ないな……」
持っていた墓石の汚れで黒くなってしまったもとは白かったのだろう雑巾をバケツの中に落とし苦笑する彼の謙虚さに尊敬の念を抱きつつも、初めて耳にする事柄に首を傾げる。
「集める……? なんだろう、カブトムシ……は木がないから無理だな。かといって君は苔を採取しているようにも見えないが何を集めているんだい?」
わたしの問いに彼は口元を緩め内緒とばかりに人差し指を顔の前で立てた。
互いに名前も知らぬ仲だというのに踏ま込みすぎたか。
「申し訳ない、プライバシーの侵害になってしまうな。何かはわからないがこの夏で集まりそうかい?」
目的を達成したらもう来ないのかと寂しさを感じてした質問に彼は目を丸くして笑い出した。
「そんな、夏だけでは無理ですよ! でもこの時期が一番かき入れ時ではあるんですけどね。……でも、集めたらすぐ遣っちゃうから終わるってことがなくて」
困ったものですと頭をかく彼に安堵するも頭の隅に何かが引っかかった。それが何なのかわからず、そして懸念というにはあまりに薄すぎて特に意識に残らずわたしも笑った。
「そうかそうか! こう言っては申し訳ないが君に会えなくなるのは寂しいからね、終わりがないというのは嬉しいな」
「そう言ってもらえて俺も嬉しいですよ。あんまりこうしてお墓に日参してると気味悪がられることもあるし……」
「なんて罰当たりな……! 墓は不吉に思われがちだがそれは神道の穢れに死が当たるからで、仏教ではそんなことはない。むしろご先祖様に感謝し、君のようにとても丁寧に掃除をすればあちらからも感謝され福を授かれるというのに! まったく、最近の者どもと来たら……」
こんな今時珍しい好青年が不気味な扱いを受けるなんて我慢ならず語調が荒くなってしまうも彼になだめられ一度深く呼吸する。
「何度もすまない……。しかし君のような者がこうして墓を掃除して回ってくれるからここは綺麗でいられるんだ。気にすることはない。むしろそういった者たちが来ないから君が他の墓まで掃除してくれているというのに……恩知らずなものだ」
「ははっ! 仕方ないですよ、皆さん色々お忙しいんでしょうし。それにそのおかげで俺が他のお墓も掃除できて収集が捗ってるんですからむしろこっちが感謝しないと!」
「そうか……? 君がそういうなら……いいのだが」
ここが心霊スポットに数えられる理由は墓石のほとんどが家族がいるにもかかわらず参る者が少ないため汚れや雑草が溢れかえり無縁仏を集めたような有様だったゆえだ。
それをこの青年がすべて数日かけて綺麗にしてくれ見違えるようになった。四年前からのこの変化を、一体どれだけの縁者が気付いているだろう。感謝しているだろう。
「そろそろ昼だ。よければ寺で一緒にそうめんでも食べてくれないか? お供物でたくさん溜まっているんだ」
水無月からずっとそうめんの日々なのだと言うと彼は快く承諾してくれた。
「そうめん大好きなのでご馳走になります!」
よければ帰りにいくつか持って帰ってほしいと頼めばこれにも頷いてくれ、本当によい青年だと改めて敬愛を深くした。
また次の彼岸に、と挨拶を述べ手を振って帰っていく彼を見送り寺へ戻ろうと足を踏み出す。
彼は食事中に墓で集めているものについて少し語ってくれた。仕事で使うのだそうだ。
墓所でなにが集まるのか。そう考えるとまたしても何か引っかかるがたいしたことはないだろう。なんでもいいがあんな好青年の役に立っているのなら喜ばしいかぎりだ。
「和尚さま!」
もうすぐ寺に着くというところで後ろからかけられた声に振り向く。そこには中年のふくよかな女性と若く神経質そうな女性がいた。
「おや、澤田さんじゃないですか。どうしました、今日は娘さんまでご一緒で」
この澤田さんは檀家のひとりのもとへ数十年前に嫁入りした人で、その夫の曽祖父の代からの付き合いではあるが彼女は信心深いほうではなくよく法事や墓参りといった行事を疎かにするので個人的には好まない。
けれど娘さんはどちらかといえば語弊はあるがオカルトに興味が深く、彼女が中学生の頃はよく寺にまで来て色々聞かれたものだ。
「ちょっと墓参りにね。こんな暑いのに嫌だって言ったのにこの子が無理矢理引っ張るものだから……」
「だって心配じゃない! あんなの聞いたら確かめとかないと……」
不満たらたらな様子の母に対し娘の和恵は切羽詰まったように言い募る。
「和尚さまっ、お墓に異常はありませんか!? 刻まれた文字が消えてるとか……!」
「とりあえず落ち着こう、和恵ちゃん。一体どうしたっていうんだい? 墓石に刻んだ字が消えるなんて、今度はどんな怪談話を聞いたんだ」
もう結構な年齢なのに未だにそんな摩訶不思議なことを信じているのかと仏法に生きるものとしてはいけないのだが呆れてしまう。
そんなわたしと澤田さんのまたこの子は! といいたげな雰囲気を感じ取ったのか和恵ちゃんは首を忙しなく横に振る。
「違うわっ! 怪談なんかじゃなくて、本当に消えるのよ! この動画を観てよ!」
「やめなさい、みっともない! またあんたは変な動画にハマって……。そんなの仕掛けがあるに決まってるでしょ!」
「違う違う違うっ!! 本当なんだってば……どうして信じてくれないのよ!?」
悲鳴に近い声にこのままでは過呼吸を起こすと件の動画を見せてもらうがなんていうことはない。昼間に墓石を映しておき、消えたという映像では夜になっている。しかもよくよく目を凝らせば文字の凹凸が見えるから罰当たりにも黒のマジックかなにかで塗りつぶし、それが判明しにくい夜に撮影して消えたと騒いでいるだけのなんの面白味もない、人によれば不快感しかない動画だ。
その証拠にわたしと同じことに気付いた人々が指摘し、コメント欄は荒れている。
「ほら、みてみなさい! そんなね、文字が消えるなんてありゃしないのよ。あれは彫ってるんだから!」
気付いたことを告げると澤田さんは目をつりあげて叱り飛ばし、他人に言われると冷静になるのかまだ納得はしていない様子だが先程より幾分落ち着いたようで和恵ちゃんは「そうかなぁ……」と疑心の目で動画を見ている。
「まあまあ、そんなことになっていたらと心配する和恵ちゃんの気持ちもわかります。それだけご先祖様、おじいさんたちを大切に思っているということですよ。もう夕刻ですがせっかくですしこのままお墓参りに行かれてはどうですか? わたしもお共しますから」
動画の真偽がわかったのだからと帰ろうとする澤田さんを引き止めると褒めたのが嬉しかったのか和恵ちゃんが同意して母の手を引いて墓所へ続く石畳を歩き出す。
わたしもそれに並んで進み、突然澤田さんが足を止めたのは入口にさしかかったところだった。
「お母さん?」
「澤田さん?」
疲れたのだろうかと顔を覗くとそこは驚愕と怯えに染まっていた。
先程まで不満をこぼし不機嫌に歪ませていたというのにこの変わりようはどうしたのか。和恵ちゃんと顔を見合わせ首を傾げる。
「…………お、和尚さま……。こ、ここ……ここお祓いでもしたんですか!?」
鬼気迫ったように聞かれ思わず身をのけぞる。
「い、いえなにも……。それにわたし達がするのはお祓いというよりお焚き上げなどのご祈祷で……」
「じゃあこれはなにッ!?」
まさか澤田さんの口からそんな言葉が出るとは思わず面食らってしまうが説明しようとする言葉に被さるようにされた問いに更に謎が深まる。
「なにとは……?」
「ちょっとお母さん! どうしちゃったの!?」
さすがの異常事態に和恵ちゃんも顔色を悪くして母に詰め寄るが澤田さんはなにかに追い詰められたようにブツブツ言って要領を得ない。
「和恵ちゃん、なにかわかるかい?」
「い、いえ、なにも……。お母さんどうしたのよ?」
「なにって……わからないのっ!? いないじゃない! いつもいるあいつらがっ、あいつらがいないのよ!!」
そう叫ぶ澤田さんの顔は今度は歓喜に染まっていた。
そのことがまたわたしたちを混乱させる。
「あいつら、とは?」
「ああ、和尚さまは見えてなかったわね! ここにいつもあいつら……悪いやつらがいたのよ!」
そこでわたしは察した。彼女の言う悪いやつら、ここ──墓所にいつもいた、あいつら。
「……悪霊が、いたんですね?」
これは……と緊張してしまい思わず重々しい声になってしまったが澤田さんは頷き、それを見た和恵ちゃんが息を飲む。
「そうよ……。あいつら朝だろうが昼間だろうがお構いなしにいて、和恵が子供のときなんて身体に入ろうとしたり殺そうとしたりしてきて大変だったのよ!? なのに和尚さまは頼りにならないし和彦さんもお義父さんたちも信じてくれなくて……」
そう語る澤田さんの目には涙が滲んでいる。本当に想像もつかないほど大変だったことだろう……。頼りになるはずのわたしはまったく気付いておらず、夫や義理の両親も信じてくれないなかで我が子を必死に守らないといけないことを考えると胸が痛むと同時に二人がよく無事でいてくれたと仏様に感謝した。
だからか、とわたしは新たな事実に思い至る。
澤田さんが法事らを疎かにしていたのはこの寺、ここに近づきたくなかったからか。我が子のため、自分のために。
「それは……大変申し訳ないことをしました。更にわたしはあなたのことも誤解していて……」
「そうだろうと思ってましたよ。信心のない女が嫁に来たもんだと呆れていたでしょう? でもね、もういいの。いいのよ、こうしてやつらがいなくなったんだから」
あまりの不甲斐なさ、僧侶としてあるまじき考えだったと謝罪するわたしを快く笑って許してくれる澤田さんはとても懐深い方だったのだと今更ながら思い知らされ更に反省する。
しかし、なぜそんなにも根強く何年も住み着いていた悪霊が一気に姿を消したのだろうか。
そこで帰り際に彼とした会話を思い出した。
『そうめんごちそうさまでした! お土産までもらっちゃって……。今度来るときは俺もなにか手土産持ってきます!』
『気にしないでくれ、こちらこそ助かったのだから。……今回は今日が最後かな?』
『そうですね……多分もう全部回収できたと思うんで、次にこちらに来るのは彼岸かな』
そして彼が明るい笑顔で言った。言ってたじゃないか。
『ここのはいつも生きが良くてほんっと助かります! 他のとこだと萎びれてたりやる気なかったりで遣いづらいんですがいやー、ここは毎回とてもいい素材があって俺たちには有り難いですよ』
彼は、この墓所でナニかを収集していた。
そのために墓所にある墓をすべてとても丁寧に掃除し、そして彼がそうしたあとのここは空気が澄んでいて……そうだ。それは彼岸前まで続いていて、そこからまたもとの暗く澱んだ場所へと戻る。
そして現れた彼はまたナニかを集め、それは仕事に使われていて……。
「────ッ!!」
そこまで考えて背筋にとてつもない寒気が走るのを感じた。
まさか……。まさか彼は好意で掃除をしていたのではなく……。
「いや……よそう」
彼の笑顔に嘘はない。あんなに明るく笑う彼がそんなおかしなことをしているわけがないし、澤田さんのことで決めつけはいけないと学んだところだろう。
どくどくと嫌にうるさい心臓を無視して、わたしは考えないことにした。
「お母さん……。ありがとう……ありがとう!」
目の前で目を潤ませ母親に抱きつく和恵ちゃんといいのよと受け入れる澤田さんが無事で、こうして親子の仲が深まったのだからよかったのだ。
「これからは安心しておばあちゃんたちに会いに来れるわ! 仏壇があるからって少し心苦しかったのよ。おばあちゃんには嫁に来たときとても良くしていただいたから……」
そう涙を拭う澤田さんが見られてよかった。彼がたとえ何をしていようと、今ここにある平穏はあの青年の功績なのだから。
「……でも、もしかしたらあの噂は本当なのかも。突然全部のお墓がピカピカになったらそこにいる悪霊も消えるって」
「またあんたはっ!」
「もー、怒らないでよ。それこそ嘘に決まってるじゃない」
笑う二人にわたしをまたしても悪寒が襲う。
でもわたしはそのことに知らぬふりをするのだ。彼の去り際の意味深な言葉と表情が頭から離れなくても。
『また、生きのいいのお願いしますね! ……ちゃーんと、溜めといてくれないとダメですよ? 掃除なんて、絶対やらないでくださいね。俺がちゃんと、全部綺麗にしますから』
そう言っていつもの快活さの隠れた、底知れぬ者の笑みを顔にはいていたとしても。
わたしは次の彼岸も、年末も、彼の真実に知らぬふりをしていつものように接するのだ。
お読みくださりありがとうございました。
不慣れなため二枚に分けることができず読みづらかったと思いますが、少しでも楽しんでくださっていれば幸いです。