第五話 アイドル護衛の実力
事務所があるビルの地下には、護衛用の訓練施設がある。
地下一階から二階にまで渡る深さと、テニスコート四倍ほどの面積をほこる大広間にて、ある二人が決闘を始めようとしていた。
「……ルールはどうするんですか?」
和人がタバコを吸いながら、離れた正面にいる翔一に訊ねる。
「戦闘不能になったら負けのシンプルなルールだ。不安ならハンデを――っておま、何タバコ吸ってんだおらぁ!!」
「地下入り口に喫煙可って書いてありましたから。この場所じゃダメなんですか?」
「そうじゃねぇ! 戦闘前に呑気に吸うなって意味だゴラぁ!! 舐めてんのか!?」
翔一が声を荒くして地面を強く踏む。
こればっかりは短気な彼じゃなくても怒るであろう。
「どっかの誰かさんのせいで、吸わないと気合いが入らないんです」
「新人アイドルのタバコ癖が悪ぃ話は聞いてたが、その護衛もヤニカスじゃねぇか!! それからお前、武器はねぇのか!?」
翔一は普段刀を使っているため、今回はゴム製の模擬刀を手にしている。
だが和人は何も武器を持っていない。素手で戦うつもりだ。
「大丈夫ですよ。能力的にも、ない方が戦いやすいので」
「クソッ! 煽ってるようにしか聞こえねぇぞ!」
(それに関しては思い込みが激しいだけな気がするが……)
翔一は頭を強く掻き始める。
「――誰かさんって、誰なんだろうなー。わからないなー」
地下一階部分にあたる見学席には、涼香たちの姿は。
涼香はすっとぼけながら、タバコに火を点ける。
「絶対あんたでしょ!!」
それに対し、夏実が空かさずツッコミを入れる。
「涼香さんは、どちらが勝つと思いますの?」
早織が訊ねると、涼香は即答する。
「和人だ。少なくとも負けることはない。それよりも……早織の方が気になって観戦に集中出来ない」
「あら、どうしてかしら?」
不思議に思う早織。涼香が気になるのも仕方ない、早織は自身の護衛であり弟でもある早風に抱きついていたからだ。
猫のように顔を早風の腕に擦り当てており、彼を溺愛しているのがわかる。
「姉として、弟を愛することの何がいけないのかしら!」
「一般的にはそこまでしないと思う」
涼香にしては珍しい、まともなツッコミを入れる。
櫨染早織という少女は、弟を溺愛するあまり自身が持つ動画チャンネルで、弟の話ばかりしている。
早風本人が動画に出ることも少なくなく、彼のファンになる女性も多い。
もはや、どっちがアイドルか分からない状態だ。
「――あの新人が勝つって言うなら、翔一が負けるって言ってるのと同義だけど」
和人に信頼を寄せる涼香に対し、翔一の護衛対象である夏実が睨む。
「翔一はアイドル狩りの組織――【トラオム・ワーレン】の幹部を三人以上倒してる実力者よ。五年以上アタシのことも守り続けてるし、素人が勝てる相手ではないわよ」
「良かった。そのくらいの実力者なら、死ぬことはないだろう」
「随分と挑発してくれるわね…………ねぇ花子、あの新人の同級生なんでしょ?」
「うん、そうだよ!」
早織は隣にいる花子へ聞くことにした。
「彼が戦っているところを見たことは?」
「見たことはないけど、聖也くん――和人くんの弟が戦ってるところは見たことあるよ!」
「弟ぉ? ……参考までに聞いておくわ」
「この事務所の護衛に入っても全然やっていけると思う! トラオム……なんとかの先代ボスを倒したくらいだし」
「はぁ!? 前のボスが急にいなくなったって情報を耳にしてたけど……それが本当なら、素人相手に負けたっていうの!? というか、それなら兄じゃなくて弟の方を採用しなさいよ!!」
早織は驚き、声を上げる。
(和人から弟の話は何回も聞いたが、そこまでの実力者なのか……通りで「あいつには勝てねぇ」と連呼するんだな)
涼香がそう思っていると、花子の隣に座っていた零が、マイクを取り出して和人と翔一に合図を送る。
『二人とも、能力は使っていいけど、互いに守るべきものがある。やり過ぎないように』
「分かってるっつーの!」
「……よし、行けるな」
翔一は肩を回し、和人は吸い終えたタバコを携帯灰皿にしまう。
『それでは……はじめ!!』
零が合図を出すと同時に、和人が瞬時に動き始める。
翔一の視界から消えるような動きで。
「なっ!?」
和人は翔一の懐に入り、腹を殴りかかる。
翔一は素早い反応を見せ、横に身をかわす。
だが和人はそれと同時に左足を前に出し、和人の右足に蹴りを入れようとした。
「危ねぇ!!」
翔一は模擬刀でその攻撃を防ぐ。
それによって彼の視線が下に落ちる。その隙に和人は彼の裏へ回った。
「ちょこまか動きやがって!!」
翔一は振り向きながら、刀を横に振る。
和人は身を屈めて攻撃をかわし、拳を構えながら屈伸の要領で殴ろうとする。それが見えた翔一は拳を固めた右腕に向けて刀を振り下ろす。
しかしその構えはフェイント。振り降ろしをかわすように腕を後ろに下げ、立ち上がる勢いを利用して翔一の顎に頭突きを入れた。
「がはぁ!!」
その攻撃をかわすことができなかった翔一は、後ろに下がる。
「クソ! やりやがったな!!」
翔一が体勢を整えると同時に、和人が攻撃を仕掛ける。
翔一は攻撃を防ぎつつ、刀を当てようと振り続けた。
「……何よ。翔一のやつ調子悪いの?」
二人の戦闘を見ていた夏実が呟く。
「……いや。和人くんの動きが…………素人の動きじゃないんだ」
それに対し言葉を返したのは、早風だ。
「……スピードが人並みより出てるけど、僕ほどじゃない。手加減しているとはいえ、翔一さんが対応仕切れてないのは、和人くんが翔一さんの意識外に動いているから。和人くんは、相手の視線や予備動作から、何処に意識を向けているのか読むのが上手いんだ。それを実戦経験の少ない彼が冷静に熟せるってことは、きっと腕の立つ師匠がいたと思う」
これまで自信なさげに話してた早風が、真剣な表情で流暢に話した。
「涼香、どうなのよ?」
「確かに、とんでもなくやべー師匠みたいな人はいたね。誰なのかを言うと、私でも和人に殺されかねないから、こっそり社長に聞いてほしい」
夏実の確認に、涼香は新しいタバコに火を点けながら答えを濁した。
――見学席で話してる間も、和人と翔一の戦闘は続いている。
「ちっ! めんどくせぇ動きしやがって!」
翔一は和人の動きに苦戦していた。
「だがな!」
その中でも、翔一は和人の動きの癖に気づいていた。
翔一は敢えて、刀を一直線に振り下ろす。
(この攻撃、妙だな……)
と思いながらも、和人は普通に横へ身をかわす。
「逃がすか!!」
翔一は振り終えた刀を跳ねらせるように斜めに振り上げる。
その攻撃は和人の右肩を捉えたように見えた。
「マジかッ!?」
和人は攻撃が当たる前に、翔一の刀を握る手首を掴み、攻撃を防ぐ。
「――【エンビース】!」
そして戦いを終わらせようと、能力を発動する。
「野郎!!」
翔一は和人の腹に蹴りを入れ、手を放させた。
一瞬の動きだったが、翔一の手首には紫色の炎が纏わり付いている。
「ぐッ!! なんだ、この炎は!?」
(炎の攻撃は喰らったことがある。だがこの炎は何か違ぇ! まるで無数の針に刺されるような痛みも混じってやがる! 気持ちわりぃ!!)
翔一は素早く懐からスポーツドリンクが入ったペットボトルを取り出し、手首にかけた。
和人の炎は物体を燃やすことはないが、それでも炎であることに変わりはない。水をかけられれば、消火されるのだ。
「……おい新人――いや、赤沼和人」
「?」
「本当に只者ではなかったようだな。散々なことを言って悪かった。本当にすまない」
「!?」
翔一が和人の実力を認め、自分の言動について謝罪した。
これには和人も驚き、構えていた拳を降ろす。
「――とはいえ、俺も先輩としての意地がある。少しギアを上げさせてもらうぜ」
(翔一さんの雰囲気が変わった……能力を使ってくるか……!)
「怪我したくなきゃ避けろよ……【ヘユーレン】!」
翔一が身を屈め、模擬刀を横に振る。すると斬撃が形となって、超低空を飛び始めた。
その斬撃からは、シャーッと音が鳴っている。
「!?」
和人は驚きながらも跳躍してかわし、そのまま前進する。
(――なんだ? 遠ざかっていた音が大きくなって――いや違う!)
和人が走りながら後ろを向くと、斬撃が来た道を戻ってきていた。
「危ねぇ!!」
和人は再度跳んでかわした。
「ほら、これも反応してみせろ!!」
翔一は自分の元へ来た斬撃を、刀で弾き返すと、再度斬撃が和人の足元へ飛んできた。
その斬撃は最初に飛ばしたときよりも速くなっている。
「クソッ!」
考える暇を与えられなかった和人は、その斬撃も跳んでかわす。
その選択が間違いである事は和人自身もわかっていた。
「そうするしかねぇよなぁ!!」
宙に舞った和人に対し、翔一は模擬刀を振り下ろす。
かわすことが出来なかった和人は、両腕を前方で交差させ、刀を受け止めるしか無かった。これが本物の刀なら、大きな負傷を受けることになっている。
模擬刀に打たれた和人の体は後ろに吹き飛ぶ。和人は着地すると同時に、その場で跳躍した。彼の背後から斬撃が戻ってきていることに気づいていたからだ。
斬撃は和人の体に当たることなく来た道を通過し、翔一の元へ。彼が模擬刀で受け止めると、斬撃は消滅する。
「和人、実力は確かにあるが、実戦経験が浅いのも出てるぞ。相手のペースになっても適応できなきゃ、無様に死ぬだけだぜ! 来い! 俺がみっちり鍛えてやる!!」
翔一は再び斬撃を作り飛ばし、和人との駆け引きを始めた。
「翔一さん、楽しそうだね!」
見学席で見ていた花子が、そう口にした。
「そうだね。ここ最近、歯ごたえのある後輩が入って来なかったから、嬉しいのかも」
零が受け答えしていると、手にしていたマイクを何者かに奪われる。
『そこまで!!』
「!?」
「!?」
何者かの声に反応し、和人と翔一は戦闘を中断する。
聞き覚えのある声に、二人は見学席の方を見上げた。
「んげ、社長!?」
「拓真さん……あっ」
和人はこの後の展開を察し、青ざめる。
『私がいない間に、勝手に決闘してるとは…………幸い、怪我がないみたいだが、罰は受けてもらうぞ。それを報告しなかった零、お前もだ』
「おい零! 許可取んなかったのかよ!?」
翔一が叫ぶと、零は「あはは……」と苦笑いするだけだった。
こうして、二人の決闘は中止となり、結果して引き分けとなったのである。