第五話 約束
「くぉ!! 他の支部に行かせろぉ!!」
「阿呆! 北支部が一番近いから都合良いだろ!」
あれから一週間後。
和人は涼香を連れて、いつもの事務所の前に来ていた。
「社宅も北支部に近い場所にしただろ!」
「うぉぉここで反骨精神を見せることで、他アイドルと格の差を思い知らせたい!」
「何様!? それとな……他の支部、喫煙所ないって話だぞ」
「北支部最高!! やっぱ最寄りの事務所が正義ですわ!!」
喫煙所の話を聞いた涼香の気が一転し、ノリノリで事務所内に入っていく。
ファルベ・プロダクションも健康促進のため、喫煙所の撤去が進んでいた。そんな中、撤去前にヤニカスアイドルの涼香が北支部を中心に活動を開始し、新人ながらある程度良い結果を残していたため、そこだけは喫煙所が撤去されずに済んだのだ。
なお、健康促進と言って喫煙所を撤去しているが、肝心の拓真社長が喫煙者であり、社長室で吸っているのは触れない約束である。
「おはよう諸君!」
涼香が勢いよく扉を開けて中に入ると、
「お、おはようございます!」
これまで一度も会ったことのない少女から挨拶を受ける。
紫色に近い灰色のポニーテールをした少女が、姿勢良く礼をした。
「あれ……もしかして、支部間違えた……?」
「いや、いつもの事務所の風景だろ。自分の視覚を信じろ」
動揺する涼香に、後から入って来た和人が呼びかける。
「は、初めまして! 私、紅藤結生と申します! よろしくお願い致します!」
「見ない顔だな……さては私の後輩か! 私は茜宮涼香だ。とりあえずヤニ買ってこい!」
「馬鹿野郎先輩だぞ」
結生のことを事前に把握していた和人は、涼香の頭を無理矢理下げさせる。
「仮に後輩でもパシリに使うな」
「……どうも、底辺アイドル、茜宮涼香です……タバコ買ってきます……メビウスでいいですか?」
「急にネガティブになるな。そしてそのタバコはお前が吸う用だろ」
「うふふ……!」
二人のやり取りに、結生は思わず笑いが零れる。
「噂通り、面白い人ですね。私とは大違い……」
結生は下を向きながら、そう呟いた。
(この人は、三日後にあるラジオ収録で、共演するアイドルって話を蓮次郎さんから聞いた。その上で結生さんのことを調べたが……涼香の一つ前に入ったばかりの新人で、事務所内では人気最下位らしい…………とはいえ彼女はまだ高校生だし、涼香よりよっぽどマトモにアイドルしてるみたいだから、伸びしろはあると思うが……)
「……私も昔はつまらない人間だったぞ」
結生に何かを感じたのか、涼香は意外にも真面目な話をする。
「だが意外と簡単に面白い人になれる。自分の好きなことを前面に出してみるんだ。これが結構人の見る目を変えるぞ」
「ですが……私が好きな物は……その……」
「私はタバコが大好きだ。今やタバコは皆が嫌う趣向品だ。そんなものを前面に出してる私が成功しているのだ、死体好きとかじゃなきゃ大丈夫だと思――――ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
すると突然、涼香が悲鳴を上げて和人の後ろに隠れる。
「どうした急に? ――って、うぇ!?」
涼香が驚いた原因を目視した和人も驚く。
結生の背中から、一匹のクモが姿を表す。
成人男性の手と同じサイズくらいの、大型のタランチュラだ。
「? ……あ! ダメだよブラウン! 人前に出ちゃ!」
結生がそう言うと、ブラウンと呼ばれたタランチュラは、人語を理解したかのように、服の中に隠れていく。
「…………もしかして、ペットだったりします?」
「は、はい! ペットのブラウンです!」
「ひぇぇぇ! タランチュラを使役するなんて! 人間じゃない!!」
普段強気な涼香が、結生に怯えている。
涼香はあぁ見えて、虫が苦手なのだ。
「やっぱり、虫は人に好まれませんもんね……」
「そんなことはないですって! アイドルだとしても十分個性になりますから! 試しに、今度のラジオでアピールしてみるのはどうですか? 映像がないので、突然タランチュラが出てきてもファンに被害はありませんから!」
「私は被害を受けるぞ!!」
「そう……ですね…………わかりました! 言ってみます!」
結生が笑顔を見せると同時に、タランチュラも顔を出す。
「ぎぁぁぁぁぁ!!」
(あのクモ……いくらなんでも大きすぎないか?)
※
「んぅ……こっちの方がいいかな…………?」
とあるスタジオ内で、花子は歌詞の書かれた用紙を前に赤ペンを持ちながら考えていた。
そのスタジオに零の姿はなく、彼女一人だけだ。
「あっ、これかも!?」
花子は歌詞を書き換えるため、ペンを走らせた。
すると、スマホからメッセージが届いた通知音が鳴る。
「ん!?」
花子は空かさずメッセージを確認したが――
「違う、かぁ……」
期待していた相手ではなかった。仕事で知り合った俳優からのメッセージだ。
『今日の夜、一緒に食事でもどう?』
一般の人に名前を言えば驚かれるほどのイケメン俳優だが、花子には眼中になかった。
『すみません、今日は別件が入ってるので厳しいです……』
予定は何もなかったが、花子はそう返した。
「聖也くん、まだスマホ買い換えてないのかな……」
聖也と再会してからしばらく経っているのだが、一向に彼から返信が来る気配がない。
「――ここって喫煙できる?」
「遅れて来た第一声がそれかよ!?」
突如スタジオの扉が開いたかと思うと、中に入ってきたのは涼香と和人の二人だった。
「あっ、涼香先輩! 和人くん!」
「喫煙できる?」
「遅れてすまん! 向かうスタジオの場所を間違えちまって……」
「大丈夫だよ! 急の案件って訳でもないし」
「喫煙できる?」
「ロボットみたいに言い続けるな、お前」
「ふふっ、禁煙ですよ!」
「くぉぉぉ!! いつもそうだ! この世の中はなぜ煙を嫌う!!」
「健康に悪いからだろ」
そうツッコむ和人も、愛煙家である。
「そういえば、零さんがいないみたいようだが……?」
「あの人は外の巡回してるよ! 私が曲作りしているときは、邪魔にならないよう、外にいてくれるの」
「なるほど……我々三人だけなら、こっそりタバコを吸っても――」
「ダメだ。タバコの匂いって俺らが思うより、落ちにくいんだぞ」
「チッ」
「わかる! 私も聖也くんと会った時の匂いが取れなくて、スタッフに『タバコ吸い始めた?』って言われたもん!」
「!?」
サラッと聖也と会ったことを話す花子に、聖也は驚く。
それを他所に、花子は歌詞が書かれた紙を涼香に渡す。
「涼香先輩! この歌詞でいいか、確認お願いします!」
「ふむふむ……」
受け取った涼香は花子の隣の椅子に座り、内容を確認する。
涼香が歌手デビューするにあたって、デビュー曲の作詞作曲を花子が請け負うことにしたのだ。
「……花子、今サラッと聖也に会ったって言ったが……マジ?」
「うん! 二週間くらい前だけど……偶然、会えたの」
「マジか……」
和人は花子の正面にあたる椅子に座り、聖也に会った時のことを深掘りする。
「あいつとは、何の話を……?」
「メッセージの既読付かない話をしたら、やっぱりスマホ壊われたって! あと、本当に喫煙してたよ!」
「あいつ、花子の前でも吸ってたのか……」
「聖也くんが吸ってた所を偶然、私が見つけたからね! 試しに横取りして吸ってみたけど、不味いね!」
「まぁ、タバコの味を好き好んで吸ってるの、俺らくらいだろうしな……」
「それから……私、思い切って聖也くんに聞いたの。事務所に来ない? って」
「!?」
和人は息を呑む。
(本人に直で言ったか!? だが、ここにいないって事は…………)
「……聖也はなんて返した?」
「今すぐに答えは出せないって…………」
「…………マジか」
(おいおい、好きな人からの誘いを無下にするってどういうことだよ!?)
「……私、やっぱり嫌われちゃったのかな」
花子が下を向く。
「黙ってアイドルになったこと、怒ってるのかな……それとも、私が知らない内に、聖也くんに酷いことしちゃったのかな…………」
「それはねぇ!!」
和人は声を張り上げる。
「あいつは花子を! 誰よりも! 誰よりも!! ――大事に想っていた。俺が保証する」
「和人くん……」
「仮にあいつの癪に障るようなことがあっても、花子の頼みを断ることはしねぇ。どうせいつものことだ……俺らの知らないとこで、何か大きなことを抱えてんだ…………一人で」
「気がつけば、全身傷だらけになってたもんね、聖也くん」
「あぁ……あいつはトラオムの先代ボスを潰してるんだ。その報復をするために、組織があいつを狙っててもおかしくねぇ。それに花子を巻き込まないよう避けているんだと、俺は考えている。その報復は、アイドル業界から距離を置いても変わらず続くだろう。ならばいっそ、アイドル業界に身を置けばいいじゃねぇか! 事務所に入れば、俺や他にも頼れる護衛の仲間がいる! 俺ら護衛は、トラオムと殺し合って死ぬ覚悟はある。あいつ一人、孤独に戦う必要はねぇんだ! よし、決めた――!」
和人は勢いよく立ち上がる。
「次、聖也に会ったら問答無用で事務所に連れて行く! 殴り合いの喧嘩になったとしてもだ!」
(その場合、俺が勝てる可能性は限りなくゼロに近いが)
「ありがとう、和人くん。必ず、連れてきて」
「あぁ、約束する!」
「…………」
二人が話している間、ずっと歌詞の確認をしていた涼香。
(確認終わったぞ――って入りにくい空気だったんだが……そ、そろそろ割って入っても大丈夫、だよね……怒られないよね?)
彼女としては珍しく、場の空気を読んで待っていたのであった。




