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青葉の笛

作者:

福井県大野市にのこる伝承をモチーフにしたフィクションです。


「秋の歴史2023企画」参加作品。



 窓から格子ごしに見える満月が、冴え冴えと白い光を放っていた。

 月が美しい夜は、里の冷え込みがきつい。

 今宵も残雪がはや凍てつき、表を歩く誰かの足音が、ざく、ざく、と響いてきていた。


「義平さま。夕餉の膳がご用意できました」


 声をかけてきたみつに、義平は白い息をはきながら鷹揚に答えた。


「俺のことは源太でいいというのに。みつは頑固者よ」

「義平さまは、義平さまです」


 みつはきっぱりと言い返した。


 たとえ戦にやぶれ再起をはかるため、鄙びたる山里に落ち延びていようとも。

 みつにとっては、若くして数々の(いさお)を打ち立てた、名のある源氏の武士(もののふ)。源義朝の長男、源義平。

 凛々しく力と自信にあふれた輝くような若武者である。


 恋仲になり、義平の子を宿したいまでも、気安く俗称で呼ぶなどできるはずがなかった。


「窓辺はお寒いでしょうに、それほど外の様子が気になりますか?」

「うん、風が入ったか? これはいかん。腹の子にさわるな」

「わたしは山育ちだから大丈夫です。義平さまこそ、もっと囲炉裏のそばにお寄りください」


 義平は板戸を下ろして窓を閉じた。

 円座(わろうだ)にどかりと座って囲炉裏で冷えた手をあぶる。

 鎌倉生まれの義平は、確かにみつよりも遥かに寒さに弱かった。


 身の回りの世話をして、そのことを良く知っているみつは、床の上にきっちりと正座して待っていた。


 みつは里一番の美しい娘だ。

 いつもは頭巾で髪を巻いているが、義平と二人の時は長く背に垂らしている。


 義平はみつを横目に見ながらしみじみと言った。


「この里の月夜は、他のどこで見るよりも美しい。これが見納めだと思うとなおさらだな」

「やはり出立されまするか」

「うむ」

穴馬(あなま)の山々は、日も通さぬほど木立がそびえております。まだ山道は雪が深うございますのに。春まではお待ちになれませぬか」


 みつは懸命に訴えた。


 春になれば、子が生まれている。

 生まれた子の顔を見れば、義平の決心がもしかしたら鈍るかも知れない。

 なにより源氏の子として生を授かりながら、父親の顔も知らぬまま育つわが子が不憫でならなかった。


 義平の不興をかうことも覚悟で、みつはつい、あの手この手で引き留めようとしてしまう。


「この里は居心地が良すぎたな。いつかいつかと機を伺っているうちに、とうとう父が討たれてしまった。もう俺には一刻の猶予もない」


 二人の間で、これまでもう何度もくり返したやりとりだった。

 義平は淡々と首をふった。


「それにな。いつまでも俺がここに残れば、平家の残党狩りがこの里までやってくるかも知れぬ。俺を温かく匿ってくれたそなたの父や、里の皆の恩に報いたいのだ」


 義平にそこまで言われると、村長(むらおさ)の娘でもあるみつには、返す言葉がなかった。


「もう言うな、みつよ。飯にしよう」


 きっぱりと話を切ってみつに向き直った義平は、用意された膳を見てにやりと笑った。


「ほう、猪か」


 いつもの膳には粟やひえの粥と、囲炉裏で焼いた川魚、山菜の塩漬けなどが並んでいる。

 それが今日は粟に白い米を混ぜて蒸してあった。

 それと炭火で炙って山椒味噌を塗った猪肉と、とろけるまで焼いて塩をふった葱と茸。

 みつが里の者や猟師にぜひにもと無理をいって用意した、義平のためのせめてもの酒肴であった。


 どんなに口では引き留める振りをしても、その一方で最早どうしようもないことと覚悟をして、心づくしの膳など用意している。


 みつ心の中で揺れる、葛藤と思いやりがわかるから義平は笑ったのだ。


 そのまぶしさに、みつはうなだれた。

 ああ。大きな、素晴らしいひとだ。

 本来なら、お顔を見るのも許されないくらい高いご身分の方だ。


 いつか。いつか別れがくるとは、覚悟していた。

 それがなぜ、いまなのか。

 みつはひっそりと唇をかみしめた。


 出立は明朝。

 いまだ小雪が舞い、かじかむ寒さのなか、義平は旅立つ。


 次に月が満ちればもう産み月だというのに。

 あれほど楽しみにしていた腹の子の顔も見ぬままに、父・義朝の敵を討ちつため京に上るという。

 もはや何と言って止めても義平の固い決意をひるがえす事はできないだろう。


 みつの嘆きを知ってか知らずか。

 義平は落ち着いた様子で自ら盃に酒をそそぎ、ゆっくりと傾けていた。


「義平さま。御酒だけではお身体に障ります。どうぞ他の肴も温かいうちにお召し上がりください」

猪肉(ししにく)はそなたが食え。産み月までもうしばらくであろう。女子の(いくさ)だ。せいぜい精をつけて備えよ」


 義平に優しく見つめられ、みつは大きく膨らんだ腹を、そまつな衣の上から撫でた。そうすると自然に笑みが浮かぶ。


「……産婆がこの腹を見て、こんなに前に突き出しているので男だろうと申しておりました。とても元気に蹴りますの」

「いかさま、婆の目に狂いはあるまい」


 義平は楽しげに声をはずませた。


「俺には牛若という、まだ幼い弟がいる。この子にとっては叔父か。生まれてくる子が男なら、二人は年が近い。仲良くなれるはずだ」


 そして、ふいに声を詰まらせた。


「そう、男ならば……な」

「義平さま?」


 みつは怪訝そうに義平を見上げた。

 義平は無言で立ち上がり、奥から包みをとってまたみつの前に戻ってきた。

 包みの封を解くと、中からは桐の箱と白旗、見事な太刀があらわれた。箱の中身は一管の横笛であった。

 義平はひとつひとつ手に取って説明した。


「みつ。白旗は源氏の(しるし)だ。それから嫡男の(あかし)の太刀。これらの品をそなたに」

「まあ……素晴らしい品。それになんて美しい笛」


 驚きに目をみはるみつに、義平は満足そうにうなずいて見せた。


「この笛は、銘を『青葉』という」

「勿体ない。そのような貴重なものを」

「そなただから託すのだ」


 義平は贈り物の白旗と太刀を傍らに置くと、恐縮するみつの手を取り、その白い手のひらにしっかりと横笛を握らせた。


「聞け、みつ。おみつよ。そなたにこれからのことを言っておく。もし生まれてくる子が婆の言うとおり男子(おのこ)なら、いつか京に上って源氏として旗揚げをさせるのだ」


 みつはハッとなった。もし嫡男が生まれたなら、義平と同じように戦いに赴けというのだ。


 みつは無意識に自分の腹を抑えていた。

 ……まだ生まれてもいないのに。


 そんな考えがまず頭に浮かび、みつはとっさに義平の命に応じることができなかった。

 かまわず義平はなおも続けた。


「しかし、もし女子(おなご)であったなら……その子には、この穴馬の里で笛を吹きながら俺を偲んでいてほしい」

「ああ、義平さま。そのようなこと……」


 みつは胸を突かれて両手で顔を覆った。

 いまのいままで義平の心がまるで見えていなかった。

 みつは肩を震わせた。

 その小さな身体を、義平はしっかりと抱きしめて告げた。


「おそらく俺はもうこの里には戻らん。ゆえに今ここで別れをすませておく。おみつ、後を頼んだぞ」

「かしこまりてございます。わたしの命に代えましても」


 みつはあふれてくる涙をこらえながら身を引くと、床板の上に手をつき深々と頭を下げた。


「義平さまには、心よりご武運をお祈り申し上げます」

「うむ」


 義平は静かにうなずいた。

 みつは、涙にぬれた手でぎゅっと細い笛を握りしめていた。


 戦いにむかう義平に迷いはない。

 けれども。

 血を分けた我が子に対する思いばかりは、そうとは限らない。


 それは母としての願望なのだろうか。


 生まれてくる子は、かなうならば女子(おなご)であって欲しい。

 戦などかかわりなく、自らの分までこの里で穏やかに暮らしてほしい、と。


 みつには義平が、口にはしかと出さずとも、心のなかではそう強く願っているような気がしてならなかった。


 義平が愛したこの穴馬の里の、輝く月夜に。

 いつの日か、娘が奏でる美しい笛の音が響きわたることを、ただただみつは祈った。






 父の仇を討つため京に上った義平は、善戦むなしく平氏に捕えられ、六条河原で斬首された。


 享年わずか、かぞえの二十歳であった。


 義平がみつに贈った青葉の笛は、その後ぶじ生まれた娘へと受け継がれ、現在も郷土のひとびとに大切に守られている。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


「青葉の笛」は平家のものが有名ですが、諸説あるようです。

今回はマイナーな方にスポットライトを当ててみました。


時代考証ゆるゆるです。

深く考えず楽しく読んでいただければさいわい(^_^)

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