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「ずっと……そばにいてね……」
むにゃむにゃと寝言を言う王子の頭を撫でる。
ベッドで眠る王子は本当に愛らしい。
バスチアン殿下は国王夫妻にとって、遅く出来た男児だ。
王子には姉姫様達がおり、長女であるエブリーヌ様が女王として後を継ぐことになっている。
ウィンライト王国では王位継承権は女性にもある。
だからバスチアン殿下の王位継承権は長男であっても第五位だ。
そこに目を付けたのが隣国サミンサ王国だ。
以前より我が国特産の夢繭布を大量に欲していたサミンサ王国は、王子が生まれるとすぐに自国の姫達との婚姻を打診してきたのだ。
打診といえば聞こえはいいが、あちらは大国、こちらは小国。
ほとんど強制のようなものである。
けれどそれを陛下は「まだ生まれたばかりですし、相性というものもありましょう。愛する我が子達には親の勝手で将来を縛るような真似はしたくないのです。身分を超えた愛を貫いたサミンサ女王になら、この気持ちはわかって頂けることと存じます」と、上手くはぐらかした。
サミンサ王国女王の大恋愛は隣国であるウィンライト王国にまで広まっているほどに有名だ。
幼い時から自分に仕え、尽くし続けた護衛騎士を夫に迎えたのだ。
王家に仕える、しかも女王の側に侍るのであれば当然貴族だが、その護衛騎士は子爵家の次男だった。
王配となるには爵位が低すぎたが、当時の女王は言い切った――夫の爵位など当てにしない。わたくしは、わたくし自身の手で功績をあげてみせる、と。
政略よりも自身の愛を選んだ女王としては、いくら夢繭布が欲しくとも、愛のない結婚をごり押しは出来ないというわけだ。
――けれどそれも、三年前までの話。
夢繭布は、光に当たると七色の光沢を帯びる生地だ。
わがウィンライト王国でしか育たない夢繭草から採れる夢繭から糸を精製し、布を織る。
気候のせいなのか、土地の成分なのか。
夢繭草は他国に種を持ち出しても、決して育つことがない。
その為、我が国の特産となっている。
見た目も可愛らしく、普通の綿草のようでありながら、収穫時期が来ると茎の部分は淡いピンク色になり、ふわっとした繭のような実を付け、それ自体が光の加減で七色に淡く光る。
布に織ると絹に似た光沢なのだけれど、絹よりもふんわりと柔らかい手触りと光沢で、けれど染める事が出来ないのが難点だった。
なのに今年になり、サミンサ王国で夢繭布を染める技術が出来上がってしまったのだ。
地の色のまま柔らかいオフホワイトカラーでも十分な美しさと人気を誇っていた夢繭布が、さらに多種多様の色に染まるなら、その価値は計り知れない。
三年前は意に沿わぬ結婚を強いる気はないと陛下の意向に沿ってくれたサミンサ女王だが、ここにきて、側にいるからこそ芽生える愛もあるのではないかと言い始めてきたのだ。
女王自身のお相手も、護衛騎士である王配は幼馴染でもあったらしい。
丁度良くサミンサ女王に女児が誕生してしまっている。
バスチアン殿下と三歳差なら、ほどよい年回りといえよう。
このままではうまく断る口実がない。
そして運悪く、ウィンライト王国では王子と吊り合う年回りの女児はおらず、王子より数歳年上の令嬢達も既に婚約者がいる身。
政略でありながら平和なご時世の為か、皆、婚約者との関係は良好で、間違っても婚約を白紙に戻して王家と婚姻を結ばせるわけにはいかなかった。
そこで、白羽の矢が立ったのがわたし、ユーリット・フォングラハン伯爵令嬢だ。
王子と十歳も年の離れたわたしは今年で十三歳。
本来であれば幼い頃からの婚約者である公爵家に嫁ぐ予定であったけれど、諸事情で二年前に婚約解消。
公爵家に嫁ぐ予定だった為に高位貴族の礼儀作法ができ、王家にぎりぎり嫁げるだけの家格である伯爵家、そして婚約が解消されてから今日まで別の婚約はなく、一人だった。
さらに王家の面々とは公爵家の婚約者として顔見知り。
バスチアン殿下の事は殿下が赤ん坊のころから知っていて、殿下が物心ついた時には既にわたしに懐いてくれていた。
そういった事情で急遽バスチアン殿下とわたしの婚約はなされた。
対外的には『バスチアン王子が心底慕っている令嬢』ということになっている。
今日の王子の婚約破棄騒動には少しばかり困惑したが、その後の王子の様子から隣国の使節団にも王子がどれほどわたしを慕っているか伝わったことだろう。
(本当に結婚するわけではないのだけれど)
この婚約は、隣国の干渉を避けるためだけの仮初の婚約だ。
今は幼くてわたしに懐いてくれている王子も、時が来れば自然と理解する事だろう。
あと数年も経てば、国内でも王子につりあうご令嬢も生まれるはず。
それまで、わたしが仮初の婚約者として、この愛らしい王子を隣国から守る盾になれるのなら本望だ。
「ゆーりっと……だいすき……」
夢の中でまでわたしを想ってくれる王子は、わたしの手を無意識にきゅっと握る。
「ユーリット様は本当に殿下に愛されていますね」
わたし達の様子を微笑ましく見守ってくれていた侍女に頷く。
「そうね。弟がいたらこんな感じかしら」
公爵家の婚約者として厳しく教育される中で、年齢以上に大人びていると称賛されていたわたしだけれど、正直、可愛いものには目がない。
(あと、長くて五年ぐらいかしらね?)
国内の有力貴族の家に女児が生まれても、すぐ婚約を結ぶことは隣国に断った手前し辛い。
女の子がある程度育つのを待たなければならない。
そう考えると、早くて三年、遅くて五年。
きっと、あっという間だろう。
この愛らしい王子がわたしの手を離れてしまうのは少々寂しい気もするが、その時が来たら笑顔で送り出してあげたい。