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1 夏の雨


 今日は大雨だ。

 朝から一度も止むことなく降り続けている。

 ビルの屋上で傘もささずに立ち尽くす私を雨粒が容赦なく濡らしていく。


 ああ、そういえばあの日もこんな大雨の日だった。


 忘れもしない一年前。

 私と先輩が学校の屋上で出会ったあの日。


「……あれから一年も経ったんですね、先輩」


 私の両目から雨よりも暖かい雫がこぼれ落ちる。


「やっぱり……先輩のいない日々に意味なんてなかったです……」


 私はスマホを取り出す。待受には先輩と撮ったツーショット。それを雨粒が濡らしていく。


「……先輩」


 私はスマホをポケットにしまい、柵から身を乗り出す。


 先輩、待っててください。今行きます。





 ………


 20××年8月31日。○○県△市内にて遺体が発見された。10代後半くらいと思われる男性で、全身には刃物で刺された傷が多数あり、何者かに殺害されたと思われる。同じ場所に通報したと思われる10代後半くらいの女性も倒れており、かなりの重傷。警察は行方がわからなくなっている被害者女性の父親を容疑者の可能性が高いとして調査することを決定した。


 ………




 一年前、7月1日


「……飛び降りるんですか?」


「え?」


 大雨の音の中に背後からの声に驚く。振り返ると、そこには見覚えのない女子生徒が立っていた。

 身長はそれほど高くない。濡れた長い黒髪が目元を隠し暗い雰囲気を感じさせる。そしてもう夏だというのに黒いタイツを履いていた。


「……まるでこの世の終わりだって顔してるから……飛び降りるのかな?って」


 そう言って女子生徒は長い前髪からチラリと見える目で俺を見つめていた。よく見るとなかなか整った顔立ち。しかしその目は光のない暗い曇天のような瞳だった。それを見ていると何故か心がモヤモヤした。


「……別に飛び降りねーよ。嫌なことはあったけど」


 確かに俺は嫌な事があった。そしてなんとなくこの屋上に来た。だが、別に飛び降りようなんては思っていない。ただなんとなく濡れたい気分だっただけだ。


「私も……です」


 女子生徒はそう言いながら俺の隣に立ち、手すりに手を置く。


「雨凄いよな」


「……はい」


「赤いリボンってことは二年生?」


「……はい」


「……」


 向こうから声をかけてきたわりには、俺の話に頷くばかりで会話にならない。


「そろそろ帰るわ」


 雨の中の沈黙に気まずくなってきた俺はもう帰ることにする。


「私も……帰ります」


 彼女はそう言うと俺に続いて屋上を後にした。





「だいぶ濡れたな」


 俺はカバンからタオルを取り出し頭を拭く。髪はもちろん服もズボンもまるで川に飛び込んだかのようにびしょ濡れだ。それはもちろん彼女も同じで、白い夏服のシャツは透けてうっすらと水色の下着が見えていた。


「えっと……拭かないのか?」


「……タオル、持ってない、です」


「ったく、しょうがないな。ほらっ」


 俺は頭を拭いたタオルを彼女に軽く放り投げる。

 パサッとそのタオルは彼女の頭に軽く覆い被さった。


「そ、そんな私なんかに……!」


 彼女はそう言うと慌ててタオルを俺に渡そうとする。


「そんなびしょ濡れな女の子放っておいて、自分だけ拭くわけにはいかないだろ」


 俺は彼女の手からタオルを取るともう一度彼女の頭の上にタオルを被せた。


「まぁ俺の使いさしで嫌かもだけどよ、流石に夏でも風邪ひくぞ」


「す、すみません。ありがとう……ございます」


 彼女は納得したのか濡れた長い髪を拭く。しかし少しすると手が止まり、髪と服から垂れる雫で彼女の足元には小さな水たまりが出来ていた。


「……ど、ど……う……」


 そして微かに聞こえるくらいの声で何かを呟いた。


「どうした?」


「どうしましょう!?」


 彼女は今までボソボソした話し方だったのに、急に声を荒げた。


「こんなに濡れた服で家に帰ったら、お、お、お父さんに怒られる……っ!」


 さっきまでの無表情とは変わって、今の表情からは焦りと怯えが感じられた。


「お父さん、厳しいのか?」


「え、えっと……ちょっと、はい。ちょっと厳しいかな……です」


「それなのにあんな雨の中屋上に来たのかよ」


 こんな大雨の日にわざわざ屋上に来るなんて俺も含めてどう考えてもおかしい。ましてや濡れて帰ったら怒られるような家なのに。


「な、なんか今日は雨に、その……濡れたい気分だったので……。でも今になってよく考えたらヤバいなって……」


 濡れたい気分、か。

 悲しい、寂しい、悔しい、情けない。どうしようもない時、なんとなく雨に濡れたい時がある。その気持ちはよくわかった。俺だってこんなに濡れたら、明日の為に帰ってから乾かさないと行けないのだから面倒な事この上ない。

 それでも、濡れたい時がある。彼女もそうだったのだろう。だが、彼女には濡れたことを心配してくれる家族がいる。俺と違って。


「……そうだな。ちょっと恥ずかしいかもしれんが体操服で帰るのはどうだ?」


「た、体操服ですか?」


 彼女は驚いた顔で俺を見つめる。別に趣味で着せようとしてるわけではない。


「持ってるか?」


「は、はい。今日は体育館でバレーをしたので。でも汗で……」


「今の格好よりはマシだろ。そんでもしなんか言われたら適当に体育の補習があったからそのまま帰ったとか言えばいいだろう」


「な、なるほど……っ!」


 普通に考えればそれでも制服に着替えるものだと思われそうだが、いちいち親はそんなこと気にしないだろう。


「着替える前にちゃんと体拭いとけよ……」


 って、まてよ。

 言い終わってから俺は自分のタオルで体を拭けと言ったことに気持ち悪がられるんじゃないかと心配になる。


 しかし彼女は、はい!と返事して俺の事など全く気にする事なくシャツのボタンを外し始めた。


「ば、バカっ! 何脱いでんだ!」


「えっ?……あ、す、すみませんっ! 外で着替えてきます!」


 彼女は俺の前で着替えようとしたことに気付き、何故か自分が外へ飛び出そうとする。


「お前は中にいろ。俺が出る」


「は、はい……すみません。着替え終わったら言います」


 そしてそれから数分後、体操服に着替えた彼女から報告を受け中に戻る。


「あれ? タイツ脱がないのか?」


 彼女は体操服に着替えていたが、何故かびしょ濡れのタイツはそのままだった。


「はい。これはその……」


 彼女は言いにくそうに俯く。まぁこんな夏に履いてるくらいだし何か理由があるのだろう。


「まぁいっか。さて、帰るか」


 俺はカバンを持ち階段を降りようとした時だった。


「あ、あのっ!」


「どうした?」


「な、名前……聞いてもいいですか?……私は青柳紫音あおやぎしおんと言います……二年B組です」


 そう言えばお互い名乗っていなかった。


桧山空ひやまそら。三年A組」


「桧山先輩……ふふっ」


 彼女……青柳紫音は何故か少し嬉しそうに俺の名前を呟く。


「どうかしたか?」


「い、いえ!……お、男の人とこんなに話したの初めてで……そ、その……なんでもないですっ!」


 青柳は顔を少し赤くしながら激しく首を横に振る。照れているのだろうか? そんな仕草がなんだか可愛らしくてつい俺も笑ってしまう。


「ハハッ、いちいち面白いやつだな」


「お、面白い!? 私が……ですか?」


 今度は心底驚いたようにキョトンとした顔を見せる。最初は無表情で暗いやつだと思っていたけど意外と感情豊かなのかもしれない。


「よかったら連絡先、交換するか?」


 俺はポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。


「え、ええ!? わ、私なんかでいいんですか!?」


「まぁそりゃな。てかお前のが欲しいから聞いてる」


「で、でも、私……面白い話とか出来ない、ですよ?」


「別に構わねーよ。それよりやってるだろ?アプリ」


 俺は友達登録用のQRコードを開き、青柳に差し出す。


「は、はい! 一応やってます……友達はほとんどいないですけど……」


 青柳はカバンからスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。


「あの……友達登録ってどうするんでしょうか?」


「知らないのか? ちょっとスマホ借りるぞ」


 俺は青柳のスマホを手に取るとQRコードを読み込む画面を開き、俺のコードを読み取る。


「ほい、登録完了」


 そして俺を友達登録してスマホを青柳に返す。


「そんで俺に何か送っといてくれ。そしたら俺も登録しとくから」


「あ、ありがとうございます!」


 青柳は嬉しそうに俺のプロフィール画面を眺めている。大したことはしてないんだが、やはり喜んでもらえる事に悪い気はしない。

 彼女といるといつの間にか今日の嫌な気持ちは消えていた。


 さっきまであんなに降っていた雨はもう止んでおり、電車で来ているという青柳とは駅まで一緒に帰った。

 それまでの間何度か話をしたが、彼女の返事は『はい』か『いいえ』ばかりで、あまり会話は弾まなかった。それでも時折笑顔が見られた。といっても彼女の目はあの暗く曇った目ではあったが。


 そんな事を考えながら歩いていると自宅であるアパートが見えてきた。ボロくもなく、綺麗でもない。ドアノブに手をやるとカチャっと音がして扉が開く。


「母さんまた鍵かけてない……」


 俺は家に入るとすぐさま仏壇の前に座り、手を合わせる。仏壇と言っても小さくて簡易的なもので、写真と花が飾ってある程度のものだ。


「ただいま、姉さん」


 姉はいわゆる引きこもりだった。ある時から学校でいじめられ、不登校になり、二十歳になっても引きこもりだった。

 そしてある日、母と姉は大喧嘩をした。決して裕福ではなく、父親のいないウチでは大人一人育てるのにはとても大変だった。そしてその翌日姉は部屋で首を吊って自殺した。


 腰あたりまで伸びたボサボサの髪、目元が隠れそうな長い前髪、そして光のない曇った瞳。


 そうだ。似ていたんだ。青柳紫音は俺の姉さんに。

 あの目は死を望む人間の目。今日俺がいなければ彼女は飛び降りていたんじゃないか? そんな心配が浮かんだ時だった。


 ピコンッとスマホからメッセージを知らせる音声が鳴る。画面を見ると相手は青柳紫音からだった。


『今日は色々とありがとうございました。とても感謝しています。もし迷惑でなければ、私とまたお話していただけると嬉しいです』


「ハハッ、堅苦しい文章だな」


 またお話していただけると嬉しいです、か。女の子からそう言われると俺も男なので正直嬉しい。


 青柳紫音。雨の中屋上で出会った暗闇に住む少女。

 それはやがて俺の運命を大きく変える事になる。

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