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7.冠の家の裏事情

 その日私たちは、セレスタンの居城である盾の城に留まることになった。次の日の朝一番にここを発ち、ならず者たちが暴れている地へ向かうのだ。


 ひとまず客室に通された私は、一人のんびりとくつろいでいた。昨日までは女王の執務に追われていたし、明日からは移動が続く。だから、今のうちにゆっくりしておこうと思ったのだ。


 ニコラは続きの間に控えているし、連れてきた騎士たちもそれぞれ部屋をあてがわれた。珍しく、一人きりだ。


 長椅子に腰かけて窓の外を眺めていると、扉がこんこんと叩かれた。


「リーズ、今いい?」


 やってきたのはアネットだった。どうぞ、と答えると、彼女はさっきと同じ無邪気な笑顔でこちらに近づき、向かいの椅子に腰を下ろした。


「あのね、今回の賊の討伐なんだけど……わたしも一緒に行くことになったから。よろしくね」


「えっ?」


 思わぬ言葉に、そんな声が出る。セレスタンはもちろん、私も剣術の心得がある。けれどアネットは、ついこないだまで緑深い山奥の村で暮らしていたごく普通の少女だ。物騒な場所にわざわざ出向いていったところで、ただのお荷物にしかならない。


「ええと……ちょっと長くなるんだけど、聞いてもらえるかな」


 私の頭が疑問でいっぱいになっているのを見抜いたのか、アネットが苦笑して小首をかしげている。無言でうなずくと、彼女は居住まいを正して口を開いた。


「実はわたしね、命を狙われているみたいなの。実感はないんだけどね」


 世間話をするような気軽さで、アネットはとんでもないことを言ってのけた。


「だから、一人でここに残るほうが危ないかもしれないって、セレスタンがそう言ってたの」


「命を狙われてって、本当に? いつの間にそんなことになっていたの」


 思わず立ち上がりそうになる私を、アネットは困ったような笑顔で見つめていた。その顔を見ていたら、ふとあることに気づいた。


「……もしかして、あなたが冠の家の領地を離れてここに滞在しているのも、そのことと関係があるのかしら」


「うん、そうなの。……あなたが女王に選ばれた、その直後のことなんだけどね」


 そうして彼女は、ぽつぽつと語り始めた。戴冠式が終わった、その後のことを。


「わたし、故郷の村に帰ろうと思っていたの。そもそも『冠』に選ばれたって言われても、わたしはただの村娘でしかないんだし」


 アネットは冠の家の血を引く貴族である父と、ごく普通の村娘である母との間に生まれている。けれど彼女は、自分の父がどこの誰なのかすら知らずに、母と二人で田舎の村でのんびりと暮らしていた。


 そんな彼女が、三つの大貴族の一つである『冠の家』の当主となったのには、もちろん理由があった。


 三つの家の当主を選ぶのは、遥かな昔に神から授けられたという聖具、『剣』、『盾』、そして『冠』だ。そこに、人の思惑が入る余地は全くない。一族の血を引いていれば、誰でも当主となる可能性があるのだ。


「でもあの冠の家の人たちが、やけに熱心に引き留めてきたの。当主としての実務はぜんぶ手伝うからって」


 その時のことを思い出しているのだろう、アネットが困惑したように視線をさまよわせた。


「人の多いところも、礼儀正しくしているのも苦手なんですって言ったんだけど、ならば人里離れた別荘に滞在されてはいかがでしょうって言われちゃった」


 当主としての素質を欠く者が当主に選ばれてしまうのは、何もこれが初めてではない。聖具の気まぐれに振り回されるうち、人間たちもちゃんと対策を練るようになった。


 こういった場合、当主は全権限を当主代理に譲って隠居するのが一般的だ。聖具そのものを譲り渡すことはできないが、少なくとも領地を統治していくにあたってはこれで問題ない。


 だから冠の家の連中も、そうするのだろうなと考えていた。しかしそれにしては、彼らの動きがおかしいようにも思える。


 権限を譲る旨の書類に署名させてしまえば、アネットはもう用なしになるのだ。無理に引き留める必要など、どこにもない。


「でもわたし、やっぱり冠の家には行きたくなかったの。あそこの人たちは……ちょっと苦手だったから」


 人懐っこいアネットにしては珍しい反応だった。彼女はもじもじと手を組み合わせながら、言葉を続ける。


「だから、その時はお断りして、城下町の宿屋に泊まったの。そうしたら、その夜……」


 アネットが自分を抱きしめるようにして身震いする。


「……賊が押し入ってきて、わたしのことをさらおうとしたの。怖かった……」


「……そうだったの」


 この時、ようやく冠の家の連中の狙いが理解できた。間違いなく、その賊は冠の家の息がかかった者たちだ。


 アネットが当主となったことで、冠の家の連中がすっかり気分を害していた。そのことは知っていた。


 一族の血を濃く引く者は山のようにいる。それなのに、よりによってこんな、礼儀作法すら知らない田舎娘が選ばれてしまうなんて、と彼らは嘆いていたのだ。


 元々、冠の家の連中は我が剣の家や盾の家を見下していた。そんな自分たちが田舎者の当主を抱え、当主代理を立てていかなければならない。それはきっと彼らにとっては、かなりの屈辱だったのだろう。


 だから彼らは思い余って、アネットを始末しようとしたに違いない。彼女が死ねば、『冠』はまた次の当主を選び出す。彼らの狙いは、きっとそれだ。


 冠の家の領地、彼らが管理しているいずれかの屋敷にアネットを連れ込むことさえできれば、あとは病死を装って毒を盛るなり、事故を装って消すなりなんなりできる。ぱっと見、疑われないように、穏便に。


 ところが彼女は、あくまでも田舎に帰ろうとした。彼女の田舎は、盾の家の領地にある。よその領地でアネットを暗殺すれば、盾の家の当主であるセレスタンに怪しまれてしまうかもしれない。


 だからアネットが近くにいるうちに、彼らは少々荒っぽい手に出ることにした。そんなところだろう。


 そんなことを考えている間にも、アネットの話は続く。


「その日、たまたまセレスタンが同じ宿に泊まってくれていて……女性一人では危ないからって言って。彼がすぐに助けてくれたから、大ごとにはならなかったわ」


「なるほど、彼が助けてくれたのね。あなたが無事で良かった」


 セレスタンは前からずっと、あれこれとアネットの世話を焼いていた。山奥の田舎から出てきたばかりの、貴族の社会には全く不慣れな彼女のことを気遣っていたのだ。


 過保護すぎではないかと前から思っていたのだが、今回はそれがいい方向に働いたらしい。


 ふうと、大きく息を吐く。アネットが無事で良かった、それはまぎれもない本心だ。しかしこうして彼女と向き合っていると、前の人生でのことを思い出さずにはいられない。


 前の人生で、私たちは敵同士だった。悪の女王たる私と、その私を倒さんとする反乱軍を率いるアネット。私たちは怒れる民衆を挟むようにして、向かい合っていたのだ。


 不思議と、憎しみはなかった。怒りも。ああ、こうなってしまったのだなというあきらめだけが、そこにはあった。私がずっと、無気力に生きていたせいなのかもしれない。


 小さく息を吐いて、アネットをまっすぐ見つめる。彼女は眉をぎゅっと寄せ、うなだれていた。


「そうしたらセレスタンが、『君は命を狙われている可能性がある』って言い出して……」


「それで、彼のところに滞在することになったのね」


「うん。良く分からないけれど、彼のそばにいれば安全なんだって」


 アネットも訳が分からないなりに、事態が深刻であることをうっすらと感じ取っているらしい。無邪気な水色の目に、ほんの少し陰が落ちていた。


「やっと、納得がいったわ。それにしても、彼には感謝しなくてはね。あなたが助かったのも、今まで無事なのも、全部彼のおかげみたいだから」


 そう指摘すると、アネットはまたにっこりと笑った。さっきちらりと見えていた暗い色は、もうすっかり消えていた。


「セレスタンって、すごいよね。あの若さでちゃんと当主をしているし、わたしのことまで気にかけてくれてる。あっ、リーズもちゃんとすごいと思うわ」


 確か、セレスタンが当主になったのは去年のことだ。私にはニコラという優秀な右腕がいるけれど、見たところセレスタンは一人で領地を切り盛りしているらしい。そうしてみると、彼はよくやっていると言えるだろう。


 と、アネットが急に立ち上がった。


「いけない、長話しちゃった。明日は早いのに。それじゃ、もう帰るね」


「ええ。……その、一応私もあなたのことを守ってあげられるから、旅の間はセレスタンか私のそばにいればいいわ」


「うん、ありがとう!」


 私がおずおずと口にしたぎこちない言葉に、アネットは屈託なく笑う。その笑顔は、今の私には少しばかりまぶしすぎた。

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