5.かつての敵、今は臣下
盾の家の領地に巣くったならず者たちを討つために、女王である私自らが出向く。そう決めてから、私たちは今まで以上にてきぱきと動いていた。まずは盾の家に連絡して、討伐の日程やら何やらを決めた。
もしかしたらニコラも、書類仕事ばかりの日々に少し飽きていたのかもしれない。彼も、私に同行したいと申し出てきた。もとより、私としても拒む理由はない。彼は私の右腕で、文武両道の頼りになる相手なのだから。
「それでは、留守の間の執務の代行は誰に頼みましょうか」
「ジェレミーでいいと思うのだけれど。あなたの意見は?」
「同じです」
「なら、決まりね。ジェレミーを呼んでくれるかしら」
「かしこまりました」
うやうやしくニコラが礼をし、足早に執務室を立ち去っていく。
ジェレミーというのは冠の家に属する貴族で、この国の大臣の一人だ。仕事の関係上、常に王宮にいる。
能力はすこぶる高く、人柄にも優れていて非の付け所がない。そこへもってきて、表立って誰かに肩入れするようなこともない、中立的な人物なのだ。彼になら、女王の執務を頼んでも大丈夫だろう。
すぐに、ニコラはジェレミーを連れて戻ってきた。丁寧になでつけられた髪は赤みがかった優しい栗色で、穏やかな暗い赤の瞳が目を引く壮年の男性だ。大臣という立場の割には地味な略装をまとっているが、それがまた落ち着きをかもしだしている。
「陛下、私をお呼びとのことですが」
「ええ、ちょっと内乱の鎮圧に向かうから、その間の職務代行をあなたにお願いしたいのよ、ジェレミー」
その言葉にジェレミーは一瞬目を小さく見張ると、柔らかに微笑み言葉を返す。
「その命、つつしんで承ります」
つややかで低い声が、耳に心地良い。態度もたいへん穏やかで、包容力を感じさせる笑顔がとても素敵だ。それでいて面差しは若々しく、かすかに浮いた笑いじわ以外に年齢を感じさせるものはない。見る者全てを安心させるような、そんな男性だった。
執務机の中にしまってある小箱を取り出し、大ぶりの金の指輪を取り出す。これを持つ者は、王が不在の際に代理としてふるまうことを許されるのだ。
ジェレミーは押しいただくようにして指輪を受け取ると、ゆったりとした足取りで立ち去っていった。
その背中を見送って、これでだいたい準備は済んだかしらと小さくうなずく。その時、すぐ近くから蚊の鳴くような声が聞こえてきた。
「……あの、姉様、僕もついていっては……駄目でしょうか」
ガブリエルが深い青の目にうっすらと涙を浮かべ、私の腕にすがりつかんばかりにして懸命に訴えていた。
あまりにも可憐な様子にほだされそうになりながらも、きっぱりと言う。
「危険だから、駄目よ。今回は書類仕事ではなく、賊の討伐なのだから」
それでも彼は引こうとしない。気弱な見た目からは想像もつかないほど必死に食い下がってきた。
「お願いです、姉様。邪魔にならないように気をつけます。いざという時は、この身に代えても姉様を守ると誓います。ですから、どうか」
「駄目よ!」
彼の言葉に、思わず声を荒げてしまった。自分でも驚くほどの、大きな声だった。ガブリエルは悲痛な顔をしたままそろそろと口元を押さえ、ニコラもわずかに目を見張っていた。
前の人生で、彼はその身に代えて私を守った。けれど私自身も、結局燃える王宮で最期を迎えた。彼の死は、ただの犬死にだった。
もう二度と、彼をあんな目に合わせたくはない。かつて触れた、冷たい亡骸の感触が指先によみがえる。
「私はあなたのことが心配なの。……私は戦うことができるけれど、あなたはできないでしょう」
その言葉に、ガブリエルは唇をかんで黙り込む。肩を震わせてぽろぽろと涙を流しながら、ゆっくりとうなずいた。
「留守を頼むわね、ガブリエル」
そう声をかけて、ニコラと共に部屋を出た。誰も、何も言わなかった。
そんなやり取りがあった数日後、私は大急ぎで馬を走らせていた。同じく騎乗したニコラや騎士たちが、すぐ後ろに付き従っている。
今私たちが向かっているのは、三つの大貴族の一つである、盾の家の当主セレスタンが住まう城だ。
街道がしっかりと整備されていることもあって、馬を飛ばせばせいぜい一、二時間で着く。子供の頃から乗馬の訓練も積んでいるので、これくらいの遠乗りは訳もない。
馬を走らせながら、セレスタンのことを思い出す。彼は星屑のように光る銀の髪に夜明けの空の色をした紫の瞳の、優美な物腰のさわやかな好青年だ。いつも穏やかで甘い笑みを浮かべていて、貴族のみならず騎士や平民からの人気も高い。
ただ彼は、私とニコラが後ろ暗い行いに手を染めていたことに気づいていた節がある。誰に対してもにこやかな彼は、私に対してだけどことなくよそよそしかったのだ。彼に冷たくされたからといって痛くもかゆくもなかったので、放置していたけれど。
「とにもかくにも、内乱の芽は摘まないとね……」
小声でつぶやく私の目の前、街道の向こうに、大きく荘厳な城の姿が見え始めていた。
盾の城に着き、門をくぐってすぐの広場で馬を降りる。出迎えの者を待っている私たちの耳に、思いもかけない声が飛び込んできた。
「あっ、ようこそリーズ! じゃなかった、陛下!」
荘厳で静まり返った石造りの城には似つかわしくない、明るく無邪気な声が響き渡った。それに続いて、広場の奥から一人の少女が跳ねるようにして近づいてくる。ふくらはぎ丈の優しい桃色のスカートが、彼女の動きに合わせて軽やかに揺れていた。
「アネット、どうしてあなたがここに?」
彼女はアネット、数か月前に冠の家の当主となったばかりの十七歳の少女で、私やセレスタンと共に玉座をかけて争った相手だ。そして前の人生において、彼女は反乱軍の旗頭として、内乱の中心地にいた。
彼女が何を考えてそんなところにいたのかは知らない。今まで彼女とはほとんど関わりがなかったけれど、もしかしたら私は彼女に憎まれていたのかもしれない。もう、確認のしようがないけれど。
腹の奥の方がじりじりと熱くなるような感覚を覚えながら、可愛らしく笑っているアネットに歩み寄る。
こちらを見上げているぱっちりとした水色の目は青空のように澄み渡り、そよ風にふわふわとなびく髪は、桃色を帯びた甘い金色をしている。とても愛くるしい、無邪気な美少女だ。そのほっそりとした体格は、どことなく妖精を思わせる。
「わたし、あなたが女王になってからはここでお世話になってるの。……じゃなくて、なってるんです」
明るく答えたアネットは、すぐにあわてて敬語に直している。かつて王座をかけて争っていた頃の感覚、同輩だった頃の感覚が抜けていないらしい。もっとも、アネットは誰に対しても人懐っこくて、普段から敬語を忘れがちだが。
しくじったと言わんばかりの顔で口元を押さえているアネットに、苦笑しながら声をかけた。
「前と同じ話し方で構わないわ。私もまだ、陛下と呼ばれることに慣れていないの」
「そうなの? だったらその気持ちに甘えちゃおうかな。ありがとう、リーズ」
私の言葉を聞いて、アネットが安堵したように息を吐く。その無邪気な表情を微笑ましいとは思ったものの、同時に苦いものがこみあげてくるのも感じていた。
次の王を決める勝負の場で彼女を打ち負かした私は、前の人生で彼女が率いる反乱軍に敗れた。もちろん、彼女はそんなことを知らない。知る訳がない。だから彼女は、いつも通りにふるまっている。
けれど私は、彼女に対してどう接していいか分からなかった。それこそ、ガブリエル以上に扱いに困っていた。
「どうしたの? なんだか困っているみたいに見えるけど」
うっかり考え込んでしまっていたらしい。いつの間にか、アネットが私のすぐ目の前まで来ていた。小首をかしげて、上目遣いにこちらを見上げている。
「いいえ、なんでもないわ」
困っているといえばそうなのだが、その理由を説明する訳にはいかない。あいまいに笑って、お茶をにごす。
と、可愛らしい眉間にうっすらとしわを寄せて、アネットが小首をかしげた。不思議そうな顔をしている。
「リーズって、そんな風に笑う人だったかなあ? 何だか、雰囲気が変わったみたい」
「……そんなに変わった? どこか、おかしかったかしら」
「おかしくなんてないわ、とっても素敵だと思う!」
アネットは目を輝かせて、そう力説している。
「やっぱりリーズは、笑っているほうが素敵だと思うわ。わたしと同い年なのに大人っぽくてかっこいいなあとは思っていたけれど、そういうのも可愛い」
「そ、そうなの?」
思わずたじろいだ私に、アネットは力いっぱいうなずいた。どうにも、こういう話題は落ち着かない。何か他の話を、と考えているうちに、あることに気がついた。
私が今日この時ここに来ることは、既に知らせてある。それなのに、どうしてここの主であるセレスタンは、いつまで経っても姿を現さないのだろうか。
しかも彼だけではなく、迎えの者すら誰一人出てこない。おかげで私たちは、城門をくぐってすぐの広場で、乗ってきた馬の手綱を持ったまま立ちっぱなしで待たされる羽目になっているのだ。
下にも置かないもてなしをして欲しいなどとは言わない。でもこれは、いくらなんでも失礼ではなかろうか。一応、私は女王だというのに。
「ところでアネット、セレスタンはいったいどうしたのかしら」
そう尋ねたまさにその時、広場の奥、城の中から声がした。
「出迎えが遅れて、申し訳ありません。ようこそおいでくださいました、陛下」
いっそすがすがしいほど見事な棒読みと共に、セレスタンがゆっくりと姿を現す。その麗しい顔からは表情が消えていて、完璧としか言いようのない仏頂面になっていた。




