49.*王宮の不運な一日
「今のところ、うまくいってるみたい」
王宮のすぐ外の森の中、手の上に小鳥を乗せたままアネットがにっこりと笑う。彼女の額には、『冠』が輝いていた。その隣ではリーズが、そわそわした顔でアネットと小鳥を交互に見ている。
「そう、では状況を教えてもらえるかしら」
「うん、あのね……」
そうしてアネットは語りだした。今しがた小鳥から聞いた、王宮の中の大騒ぎについて。
現在リーズたちは、王宮奪還のための作戦をついに実行に移していた。あの手この手を使って王宮にいる人間を減らすか足止めしてから、ジェレミーをおびき出して捕まえるという作戦だ。
一番最初に動いたのはアネットだ。『冠』の力をふるう彼女の指示を受けて、王宮のあちこちで動物たちが忙しく動き回っていた。
最初に騒動が起こったのは食料庫だ。食材の確認をしようと中に入った不運な料理人は、そこの惨状に目をむくこととなった。
食料庫の中にしまわれていたたくさんの食料は、どれもこれもネズミにかじられていたのだ。それも、律義に一口ずつ。
「ああ、なんということだ、これでは食料が全滅だ……猫たち、お前たちはいったい何をしていたのだ」
ネズミを捕るために飼われている猫たちは、周囲を走り回るネズミにはお構いなしといった顔で、棚の上で優雅に毛づくろいをしていた。
料理人は帽子を脱ぎ捨て、髪をかきむしる。この先に待ち構える、面倒極まりない作業に思いをはせながら。
傷みかけの食材や、ネズミにやられた食材は全て貧民たちへの施しに回されるのがこの王宮のならわしだった。
そして今、彼の目の前には駄目になった食材が山のように積まれている。厨房関係の者たち総出でかかっても、食料の運び出しと新たな食料の仕入れだけで、半日はつぶされてしまう。
「こんなことになるとは……不運なこともあるものだ」
料理人がため息をついていたのとほぼ同じ時刻、今度は騎士の控室と兵士の詰め所で同時に悲鳴が上がった。
「なんだこれは!」
彼らの手には、すっかり使い物にならなくなった鎧があった。金属の板をつないでいた革紐が千切られ、鎧の部品がすっかりばらばらになってしまっていたのだ。
「被害状況は?」
「駄目です、予備まで含めて全てやられました! 犯人は、おそらくネズミかと」
そんなことを言い合っている騎士たちの足元を、ネズミがちょろりと走り抜ける。
「まったく、どういうことなのだ……至急、革紐の在庫を取ってこい。急いで修理するぞ」
騎士見習いにそう言いつけながら、騎士は大きくため息をついた。
「今日は一日、これにかかりきりになりそうだな……」
騎士たちの災難はこれ一つではなかった。王宮のすぐ外にある馬小屋では、居合わせた者たちが大声を張り上げながら右往左往する羽目になっていた。
何がどうしたのか、馬たちが全て逃げ出してしまい、そこらを好き勝手に走り回っていたのだ。
馬屋番と騎士たちは力を合わせて馬を捕まえようと駆けずり回る。手の空いている者が次々に呼び出され、集団で馬を追い回す。しかし馬たちはのびのびと走りながら器用に逃げ続け、一向に捕まる気配がなかった。
いつも聞き分けが良くおとなしい馬たちの不可解な行動に、人間たちは汗だくになりながらも首をかしげていた。
「ついてない日だなあ、まったく」
誰からともなく、そんな言葉が漏れていた。
そして彼らは知らなかったが、同様の騒ぎは他の場所でも起きていた。
書類がしまわれた部屋では猫たちがはしゃぎまわり、掃除をしたばかりの廊下を泥だらけの犬たちが走り抜ける。
今や王宮は、すっかり混乱のるつぼになってしまっていたのだ。人間たちはみな、その後始末に追われる羽目になっていたのだった。
それらの報告を聞いたリーズは、大いに満足げな笑みを浮かべていた。
「第一段階はひとまず問題ないようね。それではガブリエル、あなたの出番よ」
「はい、姉様。僕も頑張りますね」
そう答えたガブリエルの姿は、いつものものとは全く違っていた。いつもは簡素な略装に身を包んでいる彼は、今は侍女のお仕着せであるドレスをまとっていた。長い金髪のかつらをかぶって、ほんの少し化粧もしているようだった。
「どこからどう見ても、女の子にしか見えないよね」
一仕事終えたアネットが、まじまじとガブリエルを見て微笑む。ガブリエルは一瞬困ったような顔をしたが、すぐに可愛らしくうなずいた。
「今の僕の一番の武器はこれですから。それでは、いってきます」
いつもよりしとやかに王宮の方に歩いていく義弟の背中を、リーズはじっと見守っていた。その手が自然に動き、祈りの形に組み合わされていった。
侍女姿のガブリエルは、普段の彼からは想像もつかないほど堂々と王宮の中を進んでいく。動物たちの騒動はまだ収まっていないらしく、辺りはやけに騒がしく、時々叫び声すら聞こえていた。
そんな声に動じることなく歩き続けて、やがて彼は目当ての人物を呼び止めた。普段より少しだけ高く、か細い声で。
「サラさん、少しお話がしたいのですけれど」
「はい。……あら?」
「どうか、お静かに願います」
何かに気づいたという顔をするサラの腕を取って、ガブリエルは人気のない方に歩いていく。騎士見習の女性と年若い侍女にしか見えない二人は、そうして廊下の片隅で向き合った。
「あなたは、もしかして……」
「はい。僕がこうまでしてここに来たのには、訳があるんです」
警戒しながらも目を丸くしているサラに、ガブリエルは静かに語り掛ける。
「サラさんは、姉様……女王リーズが、悪の女王であると思いますか?」
その言葉に、サラの目がさらに見開かれた。あわただしく周囲を見渡すと、ほんのわずかに首を横に振る。ガブリエルはほっとした顔で、彼女に一歩歩み寄った。
「姉様は、ジェレミー様としっかり話し合いたいと、この国に平和と安定を取り戻したいと考えています。そのために、あなたにも協力をお願いしたいんです」
サラは驚きのあまり何も言えなかったが、唇を引き結んで小さくうなずいた。ガブリエルはさらに声を落として、やや早口で言う。
「実は、憂国軍の、いえ自警団のみなさんについてなのですが」
かつて憂国軍と名乗っていた若者たちは、既に労役を終えて王都に戻っている。彼らはほかならぬジェレミーの管理下に置かれ、自警団として活動しているのだ。
無駄に血の気が多く、女王のことを敵視していた彼らは、ジェレミーの動きに賛同してしまっている可能性が高い。彼らの動きも、できることなら封じておきたい。リーズたちはそう判断したのだ。
「半日でいいんです。彼らを、王都の外におびき出してはくれませんか」
「……成り行きでそうなったとはいえ、彼らは私の元仲間です。彼らをあざむくのは……」
サラのその返事を予想していたのか、ガブリエルは全く動じなかった。にっこりと笑って、彼女の耳にささやきかける。
「『悪の女王が攻めてくるぞ』って、そう言えばいいんです。姉様がこちらに向かっていることは、まぎれもない真実ですから」
普段のおどおどとした様子をどこかに投げ捨てたガブリエルの顔には、他者を誘惑するかのようなあでやかな笑みが浮かんでいた。サラが思わず顔を赤らめ、ぶるりと身震いする。
「自警団のみなさんを、城下町の正門に集めてください。後はジェレミー様からの命令があるまで待機しておくべきだ、と言い張れば大丈夫です」
リーズとガブリエルはかつて、自警団の前身である憂国軍の拠点に通っていた。二人の知る憂国軍の人間たちは、みんな熱意にあふれてはいたが、少々、いやかなり向こう見ずで、どうしようもなく単純なところがあった。
そんな彼らであれば、こんな見え見えの罠でも引っかかってくれるだろう。そしてサラは、リーズたちと憂国軍、その両方と面識があり、かつリーズに敵対していない唯一の人物だった。
サラはしばし迷っているようだったが、やがてためらいながら口を開いた。
「リーズ様は、陛下は……本当に、平和をもたらしてくださるのですか?」
すがるような目をしたサラに、ガブリエルは重々しくうなずく。さまよっていたサラの目線が、ぴたりと彼の上で止まった。そして彼女も、ゆっくりと大きくうなずき返す。
そんな二人を、窓枠に止まった小鳥がつぶらな黒い目でじっと見つめていた。
「ガブリエル君も、うまくいったみたいね」
そう笑うアネットの手に止まっていたのは、つい先ほどガブリエルとサラを見つめていた小鳥だった。彼女はたった今、小鳥からの報告を聞いたのだ。
アネットの言葉に、リーズが大きく息を吐く。周囲に付き従っている男たちを見渡して、不敵な笑みを浮かべた。
「それじゃあ、いよいよ最終段階に移るわ。みんな、頼りにしてるから」
彼女を見つめる様々な色の目は、みな力強くきらめいていた。




