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47.*忠臣、だったもの

 ジェレミーは、王の執務室でため息をついていた。たった一人、肩を落として。


 彼は首尾良く、女王リーズを追い出すことに成功した。彼は今、彼女に代わって王としての執務をこなしているところだった。


 彼が腰かけていたのは王が座るべき椅子ではなく、その近くに置かれた長椅子だった。いつもニコラやガブリエルが座っていたその場所に腰を下ろし、彼は黙々と書類を処理し続けていた。


「申し訳ありません、陛下。しかし私の目的は、まだ果たされていないのです」


 ここにいない女王に向かって、彼は静かにわびる。


 彼は、三十年前のできごとに思いをはせていた。珠の家の当主が亡くなり、次の当主を選ぶための儀式が執り行われた時のことを。その当時彼は、珠の家の一員だった。


 王宮の一番奥に建てられた聖堂に、『珠』は安置されていた。一族の者は一列に並び、順に『珠』に触れていった。しかるべき者が触れれば『珠』は輝きを放ち、その身の内に吸い込まれていく。そしてその者が、次の当主となる。


 それは幾度となく繰り返されてきた光景だった。いつものように、いずれ誰かが当主に選ばれるのだと、その場に集まった誰一人として疑っていなかった。


 しかしこの時、『珠』は最後まで沈黙を貫いた。一族の血を一滴でも引く者は全て呼び出され、『珠』に触れた。けれどやはり、次の当主が選ばれることはなかった。


 前代未聞のこの事態に、他の家の当主と、時の王は難しい顔を見合わせていた。どうして次の当主が選ばれないのか。これは、何かの凶事の前触れではないのか。珠の家の人間が、何か神を怒らせるようなことをしたのではないか。そんな意見が、次々に飛び出してきた。


 そのことは、やがてあちこちの貴族たちにも知られ始めた。そうして貴族たちの不安は民にまで広がっていき、このままでは国が傾きかねないところまで来ていた。


 時の王は、苦渋の選択に迫られた。神の加護を、聖具の力を失った珠の家をどうするのか。そうして彼は、一部を切り捨て、国全体の安定を図ると決めたのだった。


 珠の家は取り潰され、その存在自体が闇に葬り去られることとなった。一族の者は散り散りになり、当時十歳ほどの少年だったジェレミーも、両親と生き別れになってしまった。


 ひとりぼっちになったジェレミーは出自を偽って、冠の家に連なる貴族の養子となることに成功した。彼はひたすらに己の力を磨き、王宮に勤める文官となった。その後も彼は努力を怠らず、一度たりとも歩みを止めることがなかった。


 彼の目的、それは聖堂に封じられたままになった『珠』を奪い返すことだった。あの時、『珠』が当主を選ばなかったのには、きっと何か事情がある。彼はそう考えていたのだった。


 奪い返した『珠』に改めて珠の家の当主を選ばせ、珠の家を復興させる。ただそのためだけに、彼はその人生を賭けて戦っていたのだった。たった一人で。


 そうしてジェレミーは王の側近にまで上りつめた。しかし彼は、そこで初めて挫折を味わうことになった。


 聖堂は厳重に封印されていて、当主を選ぶ時以外に、聖堂の扉が開かれることはまずなかったのだ。王ですら、そこに立ち入ることは許されていなかったのだ。


 じりじりと時間だけが過ぎていくことに、彼は焦りを強くしていた。どうにかして『珠』を手に入れたい。けれど、聖堂には立ち入ることができない。あそこに入るには、王宮の全権を握るしかないのだろうか。彼はそんなことを考えるようになっていた。


 そんなある時、まだ十二歳のリーズが剣の家の当主となった。彼女は恐るべき剛腕をもって、くせ者ぞろいの一族を見事にたばね上げていた。


 彼女のやり口は大変強引で、そして悪辣なものだった。そのことをジェレミーが知った時、ふと彼は思った。今の王はもう長くない。彼女が女王となれば、このにっちもさっちもいかない事態を動かせるかもしれない、と。


 彼女の悪行を民に吹き込み、民の不安と怒りをあおる。そうして民たちが暴動を起こし、王宮に乗り込むように仕向け、混乱に乗じて聖堂に立ち入る。


 いつも誠実で善良なジェレミーの頭に浮かんだそんな計画は、日に日に具体的になっていった。この計画が実行に移されれば、きっと多くの犠牲が出るだろう。そのことが分かっていても、彼はこの計画について考えずにはいられなかった。


 どうか、リーズ以外の誰かが玉座についてくれますように。いつしか彼は、そう祈るようになっていた。


 しかし彼の祈りも空しく、玉座を勝ち取ったのはリーズだった。その時、彼は自分の心の中の悪魔に屈してしまった。長年温められていた計画は、静かに動き出した。


 かつてのリーズに負けず劣らず悪辣で、そして用意周到な彼の計画は、驚くほどうまくいってしまった。女王はあっさりと王宮を明け渡し、そして彼は『珠』を手に入れた。


「……『珠』が私を選んだのは、さすがに想定外でしたが」


 ため息をつきながら、ジェレミーは右の手のひらを上に向ける。そこに光がわき起こり、リンゴほどの大きさの、深い赤をたたえた宝玉が姿を現した。その表面には、金色のツタのような形をした金属の飾りがいくつもからみついている。


 彼は『珠』を手でもてあそびながら、もう一度ため息をつく。何もない宙に、小指の爪ほどの小さな炎が浮かび上がった。それはふわふわと漂いながら、数を増していく。


「地、水、火、風。それらの精霊たちと同じ力を有する聖具、ですか」


 その言葉を合図にしたかのように、全ての炎が同時に消えた。と、窓が閉められた執務室の中に、つむじ風が巻き起こる。部屋の中のものを何一つとして動かすことなく風は吹き荒れ、またすぐに消えた。


「使いこなせるようになるには、しばらくかかりそうですね」


 ジェレミーがそう言って、『珠』をにぎりこんでいた手の力を抜いた。次の瞬間、金色をまとった赤い宝玉はきれいに消え去っていた。


「あとは、珠の家を正式に復興するだけ。ずっと望んでいた目的を達成するまで、あと一歩のところまで来ました。……それなのに、気が重くてたまりません」


 今のところ、ジェレミーの計画は大変順調だった。それにもかかわらず、彼はずっと浮かない顔をしていた。


 リーズが女王となったことで、彼は彼女と関わり、その人となりを知ることになった。彼の目に映るリーズは、少々気が強いものの、いたって素直な明るい女性だったのだ。ずっとジェレミーが想像していた人物像とは、あまりにもかけ離れていた。


 こんな彼女を、悪の女王に仕立て上げてしまっていいのだろうか。彼は迷ったが、彼の計画はもう動き始めてしまっていた。もう、彼自身にすら止めるのは難しくなっていた。


「……陛下に、打ち明けてしまえばよかったのでしょうか。私の目的を、余すところなく」


 もしかしたら、リーズはあっさりと彼に協力してくれたかもしれない。そう思いつつも、彼はどうしても打ち明けることができなかった。


 かつて珠の家の人間たちは、他の家の当主たちや王に懇願したのだ。いずれきっと『珠』は当主を選ぶ、どうか家を取り潰すことだけはしないでくれ、と。しかし結局時の王は、その願いを聞き入れてはくれなかった。あの時の絶望を、今でもジェレミーはありありと思い出せた。


 もしリーズに打ち明けて、その結果今までの努力が水の泡になってしまったら。彼はそんな心配を、どうしても消し去ることができなかったのだ。


 彼が迷っている間も、動き出した計画はどんどん先に進み続けていた。そうしてついに、民による内乱が起こった。なおも迷いが晴れなかった彼は、この内乱を通して、最後にリーズを見極めることにした。


 もしも彼女が民を傷つければ、彼女はまぎれもない悪の女王として、民の記憶に残ることになるだろう。そうなれば、ジェレミーの筋書き通りにことが運びやすくなる。


 まずあり得ないが、彼女が民に討たれてしまえば、それはそれで問題なかった。混乱を収めると称して、そのままジェレミーが王宮に居座ればいいだけのことだからだ。


 しかし彼女は、そのどちらの道も選ばなかった。彼女は近しい者たちだけを連れて、ためらうことなく王宮を後にしたのだ。どうか民を説得してくれと、よりにもよってジェレミーに頼んだ上で。


 ジェレミーの悩みはさらに深くなった。彼女は、彼が有能な忠臣であるということを、これっぽっちも疑っていなかった。その上で、この混乱を最も適切に収められるだろう方法を選び取った。


 女王が逃げ出したとなれば、少なからずその威厳に傷がつくだろうに、彼女はそれを少しも気にかけている様子はなかった。


「……やはり、私は間違えてしまったのでしょうね」


 ジェレミーの赤い目が、ふっと窓の外に向けられる。彼の主の髪とよく似た、鮮やかな赤橙に染め上げられた空が、その向こうには広がっていた。


「ですが、もう戻れないのです。私は、こんな道しか選べなかったのです」


 彼はぐっと右手を握りしめて、歯を食いしばった。


「陛下と私の道が、これ以上交わらなければいいと、そう心から願います。お互いのために」


 ゆっくりと彼の両手が組み合わされ、祈りのような形をとった。彼はそのまま顔を伏せてしまう。


 窓から差し込んだ夕日が、彼の全身を赤橙に染め上げていた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 陛下と私の道がこれ以上交わらなければいいって、いやいやいや。 ロシアのエカテリーナ2世の例のように、長年皇帝はアレで妃は有用と王侯貴族に示され続けたケースならともかく、普通に考えれば王…
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