46.四つ目の家の当主
セレスタンが言うところの隠れ家は、思ったよりもずっと居心地のいい場所だった。
建物自体は小さく、私たちと騎士全員がどうにか滞在できるくらいの部屋数しかなかったが、食料も薪もたっぷりと蓄えられているし、すぐ近くを流れるせせらぎは驚くほど澄み切っていて、水にも事欠かないようだった。
「ここは代々の当主が、執務に疲れた時などにこっそり逃げ込んでいた場所なんだ。ここに当主がいる場合、よほどの緊急時以外はそっとしておくこと。そんな不文律もある」
得意げに、セレスタンが説明する。彼の紫色の目は、いたずらっ子のように細められていた。
「素敵な場所ね。私も、隠れ家を作ってみようかしら。昨晩泊まった小屋を改装するのもいいかもしれない」
「リーズ様、それより前に片付けなくてはならない問題があるでしょう」
和やかに談笑する私たちの間に、ニコラが割って入る。どことなく不機嫌そうだ。
「ああ、そうだったわね。とにもかくにも、ジェレミーを何とかしなくてはね」
隠れ家の居間に置かれた椅子に、みなが思い思いに腰かけている。その顔を順に見渡してから、改めて宣言する。
「私は、ジェレミーを止めて王宮を奪還したい。彼が何を考えてこんなことをしたのか知りたい。けれど、私一人の力ではそれも難しい」
私一人では難しい。けれど決して、不可能ではないのだ。私には『剣』がある。望むもの全てを切ることができるこの聖具があれば、ジェレミーのところまで単身たどり着き、彼を捕らえることだってできるだろう。
しかしそれでは駄目なのだ。その方法では、目的を果たすまでにいったいどれだけの人間が傷つくことになるのか、想像もつかない。そんなことをしたら、それこそ私は悪の女王になってしまう。
無関係の人間を傷つけたくないというのなら、別の手もあるにはある。ミロシュに命じて、ジェレミーを暗殺するか、あるいは意識不明に追い込めばいい。彼がいなくなれば、混乱する民をまとめ直すのもずっと容易になる。
ただ、そうしてしまうとジェレミーの真意を知ることが難しくなってしまう。彼にもきっと何か理由がある。こんな思い切ったことをせざるを得なかったと納得できるような、そんな事情が。その理由が分からないままになってしまうのは、できる限り避けたかった。
ジェレミーはいつも誠実だった。誰に対しても真摯に向き合う、立派な人物だった。こんなことになった今でも、私は彼のことを信じたいと思ってしまっていた。
「だから、みんなの力を貸して欲しいの。ここにいる全員の力を合わせれば、きっとこの問題も解決できる」
その言葉に、ニコラとガブリエル、それにミロシュはすぐさまうなずいた。どこまでもついていくと言わんばかりに、優しく微笑んでいる。
「わたしにできることって、あるかなあ?」
「きっとあるよ。自信をもって」
アネットとエルデが、相変わらずのんびりと話し合っていた。やがて二人は目を見かわして、こちらに向き直る。穏やかな、そっくりな笑みがその顔には浮かんでいた。
自然と、みなの目線はセレスタンの上に集まっていた。彼は美麗な顔をきりりと引き締めて、まっすぐにこちらを見すえている。盾の家をまとめる者としてふさわしい威厳を、彼はまとっていた。
「……私は、ジェレミーの行いを容認できない。そして、リーズが危地に陥っているのを見過ごすこともできない」
眉間にしわを寄せて、セレスタンが口ごもる。
「ただ、過去にリーズが良からぬ行いに手を染めていたのも知っている。悪の女王と呼ばれても仕方がない、そんな側面があることを」
「……そこについては、反省しているわ。でも、女王になってからは心を入れ替えたの」
つい自己弁護してしまった私を、セレスタンはちらりと見た。その目には、何とも言いようのない複雑な色が浮かんでいる。
「ああ。私はそのことも知っている。だが、民はそのことを知らない」
彼は深々と息を吸い、それからゆっくりと吐き出した。うつむいた拍子に、彼の暗い銀色の髪が目元を半ばほど覆い隠した。
「民に、君の今の姿を正しく伝えるべき、なのだろうな。その上で、民の審判を受けるといい」
セレスタンが顔を上げ、重々しくうなずいた。
「……だが、今のままではそれも難しい。だからひとまずジェレミーと会い、この混乱を収めるしかないだろう。そのためであれば、私も君に加勢しよう」
どうにかこうにか、全員の力を合わせることができそうだった。そのことに、つい安堵のため息が漏れる。
「ありがとう。みんながいればきっと乗り越えられる。私はそう信じているから」
にっこりと笑う私に、アネットとエルデ、それにガブリエルは満面な笑みを返してきた。ミロシュは見守るような優しい笑みを浮かべているし、ニコラの琥珀色の目もいつもより柔らかかった。
ひとりセレスタンが難しい顔をして横を向いたが、その耳は赤い。相変わらず不審な態度ではあるが、これはこれでいつも通りだ。
ようやく、いつもの調子が戻ってきた。そう思った時、またもやその場をひっくり返すような知らせが舞い込んできた。
この隠れ家に誰かが来るのは、よほどの緊急事態の時。そうセレスタンは言っていた。そしてどうやら、その緊急事態が起こってしまったようだった。
盾の城からやってきた早馬がもたらした知らせは、こんなものだった。
「『珠の家の当主ジェレミーが、悪の女王に代わって王となると宣言した』ね……もう、何がなんだか」
知らせが記された紙を手に、頭を抱える。次から次へと訳が分からないことばかりで、そろそろ頭が痛くなりそうだ。
「姉様、珠の家というのは確か、昔なくなった四つ目の家ですよね」
ガブリエルが首をかしげながらそんなことを尋ねている。それに答えたのはニコラだった。
「はい、ちょうど三十年前に廃された家です。その領地は、剣と冠の家に配分されたと聞いています。もっとも、その家についての資料は王宮の書庫に封じられ、当時をくわしく知る者は堅く口を閉ざしていますから、その詳細については謎ですが」
「手が空いたら、その資料を見てみようかと思ったこともあったのだけれど……こんなことになるのなら、もっと早くに調べておくべきだったわ」
またもや襲ってきた後悔に、がっくりと肩を落とす。四つ目の家についてしっかりと調べていたら。ジェレミーに金の指輪を預けっぱなしにしていなければ。最近、後悔してばかりだ。
「しかし何故、ジェレミーはその家の当主などと名乗ったのだろうか?」
セレスタンが難しい顔で、首をしきりにひねっていた。そんな彼に、エルデがのんびりと答える。
「本当に当主なんだと思うよ。あなたたちが聖具を持っているように、その人も聖具を手に入れた。そういうことじゃないかな」
「確かに、そう考えるのが一番自然なのだけれど……そうすると、一つ大きな問題が出てきてしまうのよね」
「そうなの、リーズ?」
アネットが、これまたのんびりと答えた。どうも彼女は、事の重大性にまだ気づいていないらしい。
「そうなのよ。彼が持つであろう『珠』がどんな力を持つのか分からない。そのまま動くのは危険だわ」
王宮に忍び込むにせよ、正面突破するにせよ、最終的にジェレミーに会って話し合い、可能な限り穏便に王宮を返してもらうのが私たちの目的だ。彼の能力が不明なまま作戦を立てるのは、大変危険だ。
「最悪、私の『剣』と相打ちにする手もあるけれど……」
私が持つ『剣』は、何でも望むものを切れる。しかし例外もあって、他の聖具だけは切ることができない。
昔々、時の当主たちがいたずら心を起こして実験してしまったのだ。何でも切れる『剣』で、全てを防ぐ『盾』に切りかかったらどうなるのだろうかと。
結果から言えば、相打ちだった。二つの聖具は強い光を放ちながら消え去り、その後しばらく呼び出せなくなってしまったのだそうだ。当時王だった冠の家の当主は、この向こう見ずな当主たちに大目玉を食らわせたらしい。
みなで困り果てていると、突然セレスタンが立ち上がった。
「よし、ここは私に任せてくれ。一人だけ、そういったことを話してくれそうな当てがある。明日の夕方には戻るから、ここで待っていてくれ」
そう言い終えた時にはもう、彼の姿は扉の向こうに消えてしまっていた。玄関の戸が閉まる、ばたんという音がした。
「……ものすごい張り切りようね」
静かになった室内に、私の独り言だけが流れていった。
「あっ、ねえねえリーズ」
一度この場は解散することにして、三々五々割り当てられた客室に向かう。その途中、やけに愉快そうな顔をしたアネットに呼び止められた。
「ちょっとだけ、教えておこうと思って」
そう言うと、彼女は私の肩を引っ張り、耳元に口を寄せてきた。内緒話をする時のように、両手を口の横に添えている。
「あのね、セレスタンのことなんだけど。……彼ね、あなたの力になりたいって、ずっと悩んでたのよ」
「えっ?」
彼が悩んでいたようには全く見えなかったし、そもそもさっきだって、私に味方していいのか、かなりためらっているようだったのに。それが私の力になりたがっていたとは、いったいどういうことなのか。
そう言うと、アネットはにいっ、と笑った。愉快でたまらない、そういった笑みだった。
「あれ、たぶん照れ隠しよ。『なぜ私はリーズの前では素直に振る舞えないのだろうか』って、ぼやいているのを聞いちゃったの」
「そうだったの……」
彼の不審な態度の理由がようやく明らかになった訳だが、それはそれでどう対応したらいいのか分からない。思わず眉間にしわを寄せると、アネットがさらに声を落としてささやいた。
「でもね、今は知らなかったことにしてあげて。たぶんセレスタンも、戸惑ってるところだから。きっとそのうち彼も、少しずつ慣れていくと思うの」
分かったわ、と返しながら、こっそりと苦笑をかみ殺す。いつもアネットの保護者のようにふるまっているセレスタンだったが、まさかそのアネットにこんな気遣いをされているとは、露ほども思うまい。
少しだけ気分が軽くなったのを感じながら、アネットと別れ客室に歩いていった。




