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45.一時撤退、立て直し

 セレスタンの申し出を受けて、私たちはいったん盾の家の領地に逃げ込み、そこで態勢を立て直すことになった。


 彼はいつになく張り切っていた。連れてきていた配下の騎士たちにあれこれと言いつけていたと思ったら、あっという間に必要な分の馬車を手配してしまったのだ。


「……ここでセレスタン様と合流できたのは幸運でした。私たちだけでは、移動の手段を確保するのにも苦労したでしょうから」


「だが、油断はできない」


 馬車に揺られながら、向かいに座ったニコラとミロシュがそんなことを言っている。私の隣では、ガブリエルが私の肩にもたれて眠っていた。どうやら、昨夜はあまり眠れていなかったらしい。あんな粗末な木の小屋の、それも床で休んだのだから、無理もないだろう。


「それにしても、ジェレミーがね……」


 しみじみとそうつぶやくと、すかさずニコラが頭を下げた。


「申し訳ありません。私がもっと目を光らせておくべきでした」


「あなたは悪くないわ。まさかこんなことになるなんて、誰が予想できたというの。だいたいそれを言うなら、女王の代理の証である金の指輪を預けっぱなしにしていた私も悪いのだから」


 大いに悔いている様子のニコラを励ましていると、不意に彼が口をつぐんだ。深い琥珀色の目で、まっすぐにこちらを見つめてくる。


 いつも表情に乏しい彼の顔は、きつく引き締められていた。まるで、何かを決意したように。


「リーズ様、覚えておられるでしょうか。かつて私が、『逃げないでください』と貴女に言ったことを」


 もちろん覚えている。あの破滅の未来について彼に打ち明けた時、彼は確かにそう言った。しかしどうして、彼は突然そんなことを言い出したのだろうか、不思議に思いつつ、小さくうなずく。


「あの時の言葉を、撤回いたします。リーズ様、このまま逃げてしまいませんか」


 ニコラらしくもない言葉に、ただ目を丸くすることしかできない。ミロシュもまた、同じように目を見張っていた。


「やけになっている訳ではありません。リーズ様は王宮を追われたとはいえ、今なお『剣』の所有者であり、剣の家の当主であらせられます」


 思わず、右手を見た。私が望めば、いつでもこの手の中に現れる『剣』。それは私が死ぬその時まで、離れることなくこの身の内にある。


「貴女がこのまま行方をくらましてしまえば、剣の家の領地を中心に混乱がまき起こっていくでしょう。そうなればいずれ、事態を収拾させるためにジェレミーが乗り出してくるはずです」


 ニコラは語る。いつも以上に強い光を、その目に浮かべて。


「その機を見計らって王宮に忍び込み、逆賊ジェレミーを討てばいい。私たちが力を合わせれば、それも可能でしょう」


 そう言って、ニコラはちらりと隣のミロシュを見た。二人は静かに見つめ合ったまま、口元に小さな笑みを浮かべる。普段の彼らからは想像もつかない、確かな信頼を感じさせる表情だった。


「……それに、そのままどこか遠くで新しい人生を送るのも、悪くはないかもしれません」


 おそらく冗談を言っているのだろうが、ニコラはいたって真顔だ。けれど、その琥珀色の目はかすかに揺らいでいる。彼自身、どうしていいのか分かっていないのかもしれない。


 馬車の中が、しんと静まり返る。かたんかたんという車輪の音だけが、規則正しく聞こえていた。


 ニコラの提案にも、一理ある。行方をくらましてしまえばあの破滅の未来からはより遠ざかることができるだろうし、折を見て王宮を奪還することもできるかもしれない。それに、全部忘れてどこか遠くで生きるというのも、それはそれで魅力的な響きだ。


 少し考えて、ふうと息を吐く。にっこりと笑って、口を開いた。


「提案ありがとう、ニコラ。でも、私は逃げないわ」


 ジェレミーが追い出したのは、女王にして剣の家の当主である私だ。そしてセレスタンも、彼への不服従を明らかにしている。さらに『冠』を持つアネットも、私たちと行動を共にしている。


 剣、盾、冠の三当主ないしそれに準ずる者が全て、ジェレミーのもとを離れているのだ。放っておいても、国は多かれ少なかれ乱れてしまうだろう。そうなれば、苦しむのは民たちだ。


 絶対に、ジェレミーを止めなくてはならない。それも、可能な限り速やかに。本格的に国が乱れ、傾いてしまう前に。


 内乱が起こってしまったにもかかわらず、私の中には恐怖はなかった。もしかすると、この中で一番この事態に動じていないのは、私なのかもしれない。


 その理由は分かっていた。この二度目の人生で、私はたくさんの絆を手に入れることができたからだ。心から信じられる相手、私を信じてくれる相手が、私のそばにいてくれる。みんながいれば、破滅の未来だってきっと叩き壊せる。そう素直に信じられた。


「私は女王として、やれることをやりたいの。それに、今の私は一人ではないわ。何もかも投げ出して、たった一人で破滅に追い込まれたあの時とは、違う」


 自信たっぷりにそう言い放つと、揺らいでいたニコラの瞳がぴたりと止まった。その顔にわずかに差していた不安の影が、日なたの霜のように消えていく。


 そしてニコラは、惚れ惚れするほど見事に、にっこりと笑った。隣のミロシュが、信じられないものを見たといった顔で身じろぎする。


「……はい。ならば私は、今後も全力で貴女を支えましょう」


「俺を忘れないでくれ」


 小首をかしげながら話を聞いていたミロシュが、不意にニコラの言葉をさえぎった。


「我が君が何について話しているのか、俺には分からない。だが、それでも俺はあなたを守る。そのことに、変わりはない」


 ミロシュはそう言って、自分の胸をとんと叩く。彼の忠誠は時々度を越しているようにも思えるが、それでも頼もしい味方の一人だ。


「ありがとう、ミロシュ。もちろん、あなたのことも頼りにしているわ。……そうね、あなたにも話しておいた方がいいかしら」


 彼になら話しても大丈夫だろう。そう確信できるくらいには、彼のことも理解できている。だから私は、かいつまんで話すことにした。あの破滅の未来について、この二度目の人生の目的について。


 一通り聞き終えたミロシュは、大いに納得がいったという顔で深々とうなずいた。


「それで俺の任を、暗殺から護衛に変えたのか」


「ええ。もう後ろ暗いことはやめると、そう決めたから」


「俺は、あなたのそばにいられれば何でもいい」


 即座にそう答えてから、ミロシュはいきなり座席を立った。そのまま流れるように、私の前の床にひざまずく。馬車の揺れなどものともしていない。


「その未来の俺は、ずいぶんとふぬけていたらしい。だがここにいる俺は、何があろうと我が君を守る」


 彼はそのまま私の手を取って、手の甲にくちづける。それを見たニコラが、声を荒げた。


「ミロシュ、リーズ様になれなれしく触れないでもらえますか」


 その拍子に、ずっと眠っていたガブリエルが目を覚ます。


「あれ、僕、眠ってしまってたんですね。ごめんなさい、姉様。重くなかったですか」


「ガブリエル様、目覚められたのならそろそろリーズ様から離れてください」


「そうだな。これからは猫の手も借りたいくらいに忙しくなる。お前ももっと、しっかりしろ」


「……そういうミロシュさんは、どうして姉様の手を握っているんですか」


 さっきまでの重々しい空気はどこへやら、三人はわいわいと騒いでいる。そんな彼らを見守りながら、そっとつぶやいた。


「やはり、これくらい騒がしい方が落ち着くわね」


 一人っきりの静寂とは正反対の、温かな騒々しさ。胸に満ちる愛おしさに思わずくすりと笑ったその時、馬車が静かに止まった。


 ミロシュが素早く立ち上がり、外の様子をうかがう。用心しながら馬車の扉を開け、外に出て行った。


「……我が君、目的地に着いたようだ」


 その言葉に、私たちも馬車を降りる。そこは森に囲まれた小さな屋敷の前だった。すぐそばに、とても美しいせせらぎが流れている。


「ここは、盾の家の当主のための隠れ家だ。王都にも近いし、いったん身を落ち着けるにはいいかと思ってな」


 別の馬車から降りてきたセレスタンが、朗らかに笑いながらそう説明する。彼の後ろには、アネットとエルデも姿を現していた。


 そっと振り返ると、ニコラとガブリエル、それにミロシュが笑顔を返してくる。また前を見ると、セレスタンとアネット、エルデがこちらを見ていた。


 ジェレミーがいったい何を考えて、王宮を乗っ取ったのかは知らない。けれど私は女王として、何が何でも王宮を奪還するつもりだ。


 あちらにはたくさんの民と、それに兵士やら騎士やらが山のようについている。対するこちらは、私を含めた七人と、それにセレスタンの手勢が少々。笑えるくらいの兵力差だった。


 しかし私は、負ける気がしなかった。大切な仲間たちがいてくれるのだから、兵力差だってひっくり返せる。大きく深呼吸して、みなに笑いかける。


「みんな、ここまで一緒に来てくれてありがとう。……どうかこれからも、よろしくね」


 そうして私たちは、まるで行進でもしているかのように整然と、屋敷の中に踏み込んでいった。

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