44.たくさんの仲間たち
「リーズ、そこにいるんでしょう?」
近づいてきていた声、それはなんとアネットのものだった。小屋の中で息をひそめている私たちの間に、困惑が走る。
「あの、アネットさんが呼んでますが……」
「いえ、まだ彼女が味方とは限りません」
今にも出ていこうとするガブリエルを、ニコラが止めた。ニコラは、あの破滅の未来を知っている。あの未来で、アネットがどんな役回りを務めていたのかも知っている。彼が警戒するのも、もっともな話だった。
そしてミロシュは、身構えながら私の方を見ている。ここからどうするのか、指示を待っているらしい。
アネットは大切な友人だ。それは間違いない。私は、彼女のことが好きだ。
けれど、彼女が民に言いくるめられてあちらについたのかもしれないという考えを消し去ることができない。あの破滅の未来をなぞるように、彼女が敵になってしまったとしたら。そもそも彼女はどうやって、ここを突き止めたのか。
考えれば考えるほど、疑いが大きくなっていく。彼女を素直に信じきれないことに、自己嫌悪を覚えてしまう。私は、どうすればいいのだろう。
ぐっと奥歯をかみしめ、そろそろと腰を浮かす。彼女を信じようと立ち上がりかけた時、また別の声が飛び込んできた。
「リーズ、私たちは君を害するつもりはない、むしろ……味方だ! だから、出てきてくれないか」
今度はセレスタンの声だ。立ち上がりかけた足が止まる。彼は以前、私のことを敵視していた。私のかつての行い、悪行としか言いようのない行いを、彼は知っているから。
彼は私のことを見直したと言ってくれた。けれどやはり気が変わって、私を女王の座から追い落とそうとしているのかもしれない。いずれまた私が悪の道に走るのではないかと、そう考えているのかもしれない。私を油断させて、おびき出そうとしているのかもしれない。
駄目だ、どんどん考えが暗く、ひねくれていく。私が判断を誤れば、ガブリエルたちの身も危うくなるかもしれない。そんな重圧が、さらに私の視野を狭めてしまっていた。
「ねえリーズ、ぼくたちと話をしてもらえないかな。ぼくたち精霊を守ろうとしてくれたあなたに、力を貸したいんだ」
ふわりと舞い込んできたエルデの柔らかな声に、ごちゃごちゃにからみ合っていた思考の糸が一気にほぐれる。目の前が明るくなったような、そんな心地だった。
なんだ、簡単なことじゃないか。私はアネットが好きだ。セレスタンのことも。そうしてエルデも、大切な友人だ。
彼女たちを信じられなくて縮こまるだなんて、それではまるで前の人生の私だ。ニコラに捨てられた悲しみにかられ、ミロシュまで放り出して一人きりになった愚かな私。
大きく微笑んで、立ち上がる。迷いのない足取りで小屋の扉に向かい、一気に押し開ける。
やぶに半ば埋もれた獣道の向こうに、アネットたちの姿が小さく見えていた。そちらに向かって、ゆっくりと歩き出す。
ニコラは口を開きかけたようだったが、そのまま無言で私の隣に付き従った。ガブリエルもあわてて立ち上がり、同じようにそばにやってくる。
ミロシュの気配はしない。おそらく物陰にひそんで、後をつけてきているのだろう。憂国軍の拠点に通っていた、あの時と同じように。
そうして四人一緒に進むうち、やがてアネットたちの姿がはっきりと見えてきた。アネットの額の『冠』が、朝日を鮮やかに反射している。
おそらく、彼女は小鳥や動物たちに頼んで私の居場所を突き止めたのだろう。かつて、エルデを探し出した時に使ったのと、同じ方法だ。
彼女の隣にはセレスタンとエルデ。エルデはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべていたが、セレスタンの顔はいつになくこわばっていた。と言うより、大いに戸惑っているようでもある。
アネットは私の顔を見て、にっこりと笑った。いつも、王宮で顔を合わせている時と何も変わらない笑顔だった。
「リーズ、無事だった? 良かった、ちゃんと見つけられて」
「ええ、みんなのおかげで何事もなかったわ。あなたがここにいるということは、王宮のほうも落ち着いたのかしら」
そう問いかけたとたん、アネットが困ったような顔をして口を閉ざした。代わりに、セレスタンが答えてくる。
「……驚かないで聞いて欲しい。王宮は、乗っ取られた」
「えっ、民はそこまで!?」
ガブリエルは驚きを隠せなかったらしく、うわずった声を上げている。セレスタンはそんな彼の方をちらりと見ると、苦々しい顔で続けた。
「乗っ取ったのは民ではない。……ジェレミーだ」
予想外の言葉に、私とニコラが同時にうめき声を漏らす。いつも穏やかで頼りになって、様々な執務を丁寧にこなしてくれていた彼。私の知る中で、最も裏切りや反乱とは無縁の人物だと、そう思っていた。
「そもそも、民が王宮に押し寄せてきたことについても、彼が一枚かんでいたようだった」
セレスタンは悔しげに拳を握りしめている。ぎりぎりと音がしそうなくらいに、強く。
「ジェレミーは『悪の女王は無事に王宮から追い出した』と宣言して、そのまま自分が女王の代理となることを公言したのだ。彼の手には、女王の代理としての立場を証明する金の指輪があった」
「あっ」
思わず声が出た。そう言えば、先日冠の城に出向いた時にジェレミーに金の指輪を渡したままになっていた。どうせじきにまた代理を頼むことになるだろうから、預けたままでもいいかな、などとのんきに考えていたのだ。あの時の自分の横っ面をはたいてやりたい。
「もちろん、私は異論を唱えた。しかし『あの悪の女王にくみするのであれば、貴殿もまた悪であるとみなされますが、よろしいでしょうか』と言われてしまった」
セレスタンが重々しく告げる言葉に、私たちは何も言うことができなかった。
「民のみならず王宮に仕える騎士や文官たちまで、すっかり混乱してしまっていた。自分たちはいったい、何を信じればいいのかと。私は、彼らに答える言葉を持たなかった」
小さくため息をついて、彼は静かに続ける。
「だから私はそれ以上抵抗することなく、黙って王宮を出たのだ。……君を、探すために」
そこで言葉を切り、セレスタンは紫の目でまっすぐにこちらを見た。暗い銀色の髪が、朝日を受けてきらきらと輝いている。ひどく真剣な、熱意のこもった目つきだった。
「君は民の血を流さないために、率先して王宮を出たと聞いた。一方のジェレミーは、君を悪の女王だと声高に叫んでいる。どちらを信じるべきか、私には分かっていた。君がこのまま追われ続けるのを、見過ごす訳にはいかない」
私が王宮からさっさと逃げ出したのには、もう一つ理由がある。あの破滅の未来と同じ状況にはなりたくない、そんな利己的な考えだ。
けれどセレスタンは、私の行動があくまでも民のためのものなのだと判断し、評価してくれている。そのことがどうにも気まずく、また同時に嬉しくもあった。あんな風に言い切れるくらいには、彼は私のことを信じてくれている。そう、実感できたから。
少しだけあごを引いて視線をそらし、ありがとう、と礼を言う。そこに、アネットが軽やかに割り込んできた。
「わたしはあの騒動が起こった時、エルデと城下町にいたの。なんだかとっても怖い感じだったから、城門のすぐ外で様子をうかがってたのよ」
「そうしたら、セレスタンが配下の騎士を連れて出てきたんだ。ひどく恐ろしい顔をしていたよ。ぼくたちは彼から状況を知って、一緒にあなたを探すことにしたんだ」
普段と全く変わらない調子で、エルデが言う。緊迫したこの状況で、二人の明るさは救いのように感じられた。
ほっとため息をついて、三人に笑いかける。
「……ひとまず状況は分かったわ。教えてくれてありがとう。それじゃあ、あなたたちも気をつけて」
彼らのおかげで、現状を知ることができた。それはとてもありがたい。ただこうなると、いったん王都から離れるしかないだろう。剣の家の領地のどこかに逃げ込んで、それからどうするか考えるしかない。
そう考えながら小屋の方に戻ろうと一歩踏み出したとたん、腕が後ろに引っ張られた。首だけを回してそちらを見ると、セレスタンが険しい顔で私の腕をつかんでいた。
「君はこれから、どうするつもりだ」
「どう、って。ひとまず、剣の家の領地に逃げ込もうかと思っているのだけど。あそこなら、土地勘もあるし」
「……私のところに来い。盾の家の領地の方が安全だ」
「確かにそちらの方が安全かもしれないけれど、私を連れ込めばあなたにもいらぬ疑いがかかってしまうでしょう。余計な迷惑をかけたくないのよ」
「それがどうした。私は、君が悪の女王ではないことを知っている。ジェレミーの行いは、決して許すことのできないものだ。君の信頼を踏みにじったあげく、王宮を乗っ取るなど」
怒りからか叫び出しそうになっているセレスタンの声に、明るいアネットの声が重なった。
「そうよ。どうせそのうち、リーズは王宮を取り返しに行くんでしょう? その時、人手が多い方がいいと思うわ」
いつも通りののんびりとした口調で、エルデも言葉を添える。
「ぼくも手を貸すよ。精霊のために法を定めてくれたお礼、まだしてないから」
三人とも、私の身を案じてくれているのだ。そしてそのために、力を貸すと言ってくれている。
「……ありがとう」
そう答えた私の声は、いつになく湿っぽいものになっていた。




