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42.破滅の未来

 それからも小さなもめ事はあったようだが、全てニコラが適切かつ迅速に処理していた。国の中も日に日に落ち着いていき、私たちは穏やかに過ごしていた。


 もうじき、私が即位してから半年が経つ。これならきっと、あの破滅の未来も訪れないだろう。ほんの少しだけ、安心してもいいのかもしれない。


 けれどそんな考えが甘かったのだと、すぐに心から思い知らされることになった。




「陛下、内乱です!」


 血相を変えたジェレミーが、執務室に飛び込んできた。いつもおっとりとしていて落ち着いた彼が初めて見せたあわてぶりに、ガブリエルが驚いて飛び上がる。


「ジェレミー様、何が起こっているのか説明願えますか」


 この中でただ一人、私が見てきた破滅の未来を知っているニコラが固い声で尋ねる。


「私にも詳細は……ただ、民が一斉に蜂起し、陛下の首を取らんと王都に集まっているようです。『悪の女王を倒せ』と、彼らは口々にそう言っていました」


 真っ青な顔でジェレミーはそう告げると、震えながらひざまずいた。


「恐れながら申し上げます、陛下。ここにおられては危険です。まだ民が押し寄せていない今のうちに、いったん王宮を離れた方がよろしいかと」


 あまりに急激に状況が変わってしまったことに、頭がついていかない。彼は、ここから逃げろと言っている。それだけは理解できた。


「……これほど突然に、それほど大規模な内乱が起こるとは信じられません。王宮を脱出するのは、状況をある程度把握してからでも遅くないのでは」


 冷静なニコラの言葉に、反射的に飛びついた。すぐに振り返り、ミロシュを見る。


「そうね。ミロシュ、すぐに偵察に出てもらえるかしら」


 しかしそこに、珍しくもガブリエルが割って入った。


「でも、危険だというのならミロシュさんは姉様のそばにいてもらったほうがいいと思います」


 ミロシュは無言で、こちらを見返してくる。彼に偵察に出てもらうか、それともここの守りを固めるか。


 しかし私には、悩む時間すら与えられなかった。


「大変です、陛下!」


 まさにその時、やはり真っ青になったサラが駆け込んできたのだ。騎士見習いでしかない彼女が女王の執務室に立ち入ることなど、本来であればまずないことなのだが、それだけの緊急事態が起こっているのだろう。


「民の群れに、王宮の正門を突破されました! 彼らは武器を持ってはいませんが、数に任せて押し寄せてきています! このままでは、こちらまでたどり着かれるのも時間の問題です……いかが、いたしましょう」


 普通の王であれば、騎士たちに民衆を排除するよう命じるところなのだろう。だが、私は。


 あの破滅の未来において、騎士たちは私を守ろうとして懸命に戦った。そして民たちは死に物狂いで抵抗し、結果として多くの血が流れた。無気力に陥った悪の女王などという、おおよそ人の上に立つに値しない存在のせいで。


「……武器の使用は禁止する。民を傷つけてはならない。自分の身が危なくなったら退きなさい。逃亡、または投降しても構わない。サラ、この命をみなに伝えて」


「はい、陛下の仰せのままに!」


 サラがきびきびとした動きで部屋を出ていく。青ざめたままのジェレミーの顔には、小さな驚きの表情が浮かんでいた。


「まさか、もう門を突破されるなんてね。となると、ここまで民が押し寄せてくるのも時間の問題ね」


 大きくため息をついて、ジェレミーに向き直った。


「私がここにいたら、余計な血が流れてしまいかねない。だから私は、一度ここを出るわ。民たちの説得は、あなたに任せていいかしら」


 ジェレミーは誰に対しても平等で、勢力争いには無縁だ。そして誠実で、他人を安心させるような雰囲気もある。彼ならば、たけり狂う民衆をなだめ、説得することもできるかもしれない。


「セレスタンと協力して、ことにあたってちょうだい。難しい任務になるけれど、頼んだわよ」


「陛下のご信頼に、全力で答える所存にございます」


 私の言葉に、ジェレミーはためらうことなくうなずいた。こちらも重々しくうなずき返してから、背後のニコラたちを振り返る。


「ニコラ、ミロシュ。急いで支度を済ませて。みなで隠し通路から城外に出るわよ」


 既にその言葉を予測していたらしく、ニコラは重要な書類をまとめて袋に突っ込んでいた。ミロシュは「取ってくる物がある」と言い残すなり部屋を飛び出している。ガブリエルだけはおろおろとしながら、私とジェレミーを交互に見ていた。


「ほら、ガブリエル。私たちは先に向かいましょう」


 彼の手を引いて、王宮の一番奥まった、今はほとんど使われていない一角に向かって走る。そこにある小部屋に、城外への通路がひっそりと隠されているのだ。


 ここを出る前に、アネットとセレスタンには事情を説明しておきたかった。しかし二人が滞在している客間は、隠し通路のあるところとは全く逆の方向にある。そちらに立ち寄っている余裕はなさそうだった。


 途中、窓から外をこっそりとのぞく。王宮の塀のすぐ向こうに、たくさんの人間が詰めかけているのが見えた。


「姉様、あれは本当に内乱なのでしょうか……姉様は、『悪の女王』なんかじゃないのに……」


 同じように外を見ていたガブリエルが、泣きそうな声でつぶやく。


「分からないわ。あとは、ジェレミーたちに任せましょう。この事態が落ち着いてから、何があったか調べればいいわ」


 おびえているガブリエルを励ますように、いつも通りの調子でそう話す。けれど私も、内心では大いに動揺していた。


 予兆なんて、どこにもなかったのに。私は女王に即位してからずっと、後ろ暗い行いに手を染めてはいなかったのに。それなのにどうして、民はみな口々に『悪の女王』などという言葉を口にしているのだろうか。


 憂国軍に出会った時のことが、脳裏によみがえる。彼らも、どういう訳か私のことを『悪の女王』と呼んでいた。そういえば彼らはもう労役を終え、王都に戻ってきているらしい。


 もしかしたら、彼らが一枚かんでいるのだろうか。それとも、まだ判明していない彼らの背後の黒幕の仕業か。


「……今ここで考えても、答えは出ない。行きましょう」


 ガブリエルの肩を抱こうと、手を伸ばす。その自分の手は、一目で分かるくらいはっきりと震えていた。


 落ち着け、大丈夫だ。自分にそう言い聞かせる。今ここで王宮を出ることができれば、あの破滅の未来は再現されない。


 ガブリエルを、どんな手を使ってでも守り抜け。ニコラを、ミロシュを、信じるんだ。みんな、私の大切な仲間だ。もう私は一人っきりではない。あの時とは、たくさんのことが違っている。


 そのままガブリエルの肩を強引につかみ、走り出す。あの恐ろしい記憶から、逃げ出すように。




 王宮の奥まった、いつもはしんと静まり返った一角の、ごくありふれた小さな部屋。ぱっと見たところは質素な客間のような雰囲気のその部屋に、私たちは集まっていた。


 ガブリエルはしっかりと私の左手を握り、ニコラは腰の剣に手をかけ、油断なく身構えている。ミロシュは大きな荷物を背負い、部屋の片隅でかがみこんでいた。隠し通路の入口を開けようとしているのだ。


 ゆっくりと床板がずれていき、やがて人ひとり通れるくらいの穴がぽっかりと開く。ミロシュが用心しながら穴の奥をのぞきこみ、そのままするりと穴の中に身を躍らせる。


 私たちが固唾を飲んで見守る中、突然ミロシュがぬっと穴から姿を現す。


「向こう側には誰もいない。今のうちに」


 そう言って、彼はまた頭を引っ込めた。私たちはうなずき合うと、ためらうことなくその穴に足を踏み入れていく。


 岩壁に作りつけられていた鉄のはしごを下り、薄暗い石の通路に降り立つ。最後尾についたニコラが、すぐに入口を元通りに閉じる。


 ミロシュが手にしている燭台以外に、明かりは何もない。その明かりを追いかけるようにして、ひたすらに前に進み続ける。


 誰も、何も言わない。うかつに声を出したら、荒れ狂う民衆に見つかってしまうかもしれない。そんな考えが、ちらりと脳裏をよぎる。


 暗闇が怖いのか、迫りくる民が怖いのか、ガブリエルが小さく鼻を鳴らした。どうやら、泣きたいのをこらえているらしい。


「……大丈夫。大丈夫だから」


 そんなことしか言ってやれない自分が歯がゆかった。ジェレミーとセレスタンはうまく場を収めてくれるだろうか。アネットは、争いに巻き込まれていないだろうか。


 周りの暗闇のせいで、どんどん考えまでもが真っ黒に染まっていく。それをはねのけるように、さらに大股で歩き続けた。




 じきに私たちは、無事に王宮を逃れることができた。隠し通路の出口は、王都を取り囲む防壁の外に通じているのだ。背後には防壁、目の前には林が広がっている。この辺りは街道からも離れているので、誰かが偶然通りがかるようなこともない。


 傾き始めた太陽に染め上げられた橙色の木々は、いつもと何一つ変わらない姿を見せていた。涙が出そうになるくらい、穏やかで平和な光景だった。

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