40.彼らもまた、私の民
私が女王に即位してから、なんだかんだで四か月。だいたいあと二か月逃げ切れば、ひとまずあの破滅の未来がそのまま繰り返されることだけは避けられるだろう。
思えばここまで、色々なことがあった。即位後すぐに、ならず者たちが盾の領地で暴れだした。あの時の黒幕は、結局分からずじまいだ。
そして王宮に戻ったとたん、私の食事に毒が盛られた。下手人は結局逃げ切ってしまい、これについても背景は分かっていない。
その次は、憂国軍の騒動だ。結局、彼らの後ろについていた偉い人というのが誰だったのだろうか。ジェレミーが今も調べてくれているらしいが、一向にはかどっていない。
で、落ち着いたと思ったら冠の家からの嘆願書だ。全く、よってたかって私を休ませないつもりなのだろうか。
それにしても、分からないままになっていることが多いというのは少し不安だ。本格的に調べたくはあるが、いかんせん日常の執務もあるのでそう多くの時間を割くことができない。ニコラに頼んで、一度じっくりと調べてみるべきだろうか。
そんなことを考えながらてきぱきと執務をこなしていたある日、今度は意外な人物が意外な話を持ってきた。
私の執務室、私の机から少し離れたところに、エルデが立っていた。城下町をぶらついている時と全く同じ、穏やかでのんびりとした態度だ。一方で、すぐ横に付き添っているアネットは、大いに困った顔をしている。
仕事の手を止めて、二人に向かって話すようにうながした。エルデはともかく、アネットは明らかに困りごとを抱えているようだったから。
アネットは眉間にしわを寄せたまま、ためらいがちに話し始める。
「ええっと……エルデが、というより精霊の人たちが、最近困ってるみたいなの」
「最近、人里に出てくる精霊が増えたんだ。ぼくも、その一人だね」
「それでね、精霊の人たちって、彼みたいにのんびりしている人が多いから」
「もめ事に巻き込まれることも増えてきてしまったんだよ。うっかり正体がばれて騒がれてしまったりとか、人間の決まり事を知らなくて失敗してしまったりとか」
エルデが小首をかしげて苦笑した。
「ぼくたちには敵意も悪意もないんだけど、人間の人たちにそれを分かってもらうのが難しくて」
「このままじゃ、人間と精霊の仲が悪くなっちゃう……」
「そうしたら、ぼくたちはまたどこかの森の奥、人間のこないところに引っ込むと思う。それが一番、穏便な解決法だから」
「わたし、エルデとお別れしたくない……」
アネットは涙目で語り、エルデは当事者とは思えないほどのんびりと話している。それにしても、たいへん息の合った説明だった。
「つまり、そうなる前に手を打って欲しいと、そういうことなのね」
そう問いかけると、二人はこくこくとうなずいた。
私としても、人と精霊が敵対するよりも、共存している方がいい。もめ事の種は、少ないに越したことはないのだ。少しだけ考えて、もう一度口を開く。
「私が首を突っ込めば、たいがいのもめ事はすぐに片付けられると思うわ。ただそれだと、時間がかかり過ぎてしまう。私の時間を全部そちらにつぎ込んでも、足りないわ」
思わず眉間にしわを寄せた次の瞬間、すぐ近くから冷静な声が割り込んできた。
「ならば、法を整えるというのはいかがでしょうか」
もちろん、声の主はニコラだ。先日打ち明け話を聞かされてからというもの、彼は人が変わったかのように朗らかに、精力的に私を補佐するようになっていたのだ。
といっても、彼は相変わらず表情に乏しいので、周囲の人間はほぼ誰もその変化に気づいていないようではあるが。
「人と精霊がもめた場合に備えて、法を整備する。そうすれば、ほとんどのもめ事は容易に、手早く解決できるようになるでしょう」
「あの、でしたら僕もお手伝いします!」
ニコラと同様に私の執務を手伝っていたガブリエルが、顔を紅潮させて立ち上がる。
「僕、法律については特に勉強したんです。今はもうない古い法律とかについても。だからきっと、姉様の力になれると思うんです」
そっと目線をニコラに移すと、彼も静かにうなずいていた。彼も異論はないらしい。
「そうね。だったら、その方向で進めてみましょうか。エルデ、アネット、あなたたちもそれでいい?」
「あなたが力を貸してくれるんだから、ぼくには異論はないよ」
「わたしも! リーズが動いてくれるなら、もう大丈夫!」
「そう期待されると、責任を感じてしまうわね。まあ精いっぱい頑張るわ」
さっきまでの泣きそうな顔はどこへやら、アネットは満面の笑みでぴょんぴょん飛び跳ねていた。そんな彼女に苦笑で答えながら、そっとエルデを見た。
前の人生に幕を引いたあの内乱に、精霊たちは関わっていなかった。少なくとも、私の知る範囲では。だからエルデたちの困り事は、私の未来にはおそらく関係ない。
でも、彼らの問題を放置しておきたくはなかった。人間ではないにせよ、彼らもまた私が治める民なのだから。女王として、彼らが平和に生きられる国を作りたい。それは義務というより、願望に近いものだった。
そう考えている自分に気づき、ほんの少しだけおかしさがこみ上げてくる。かつての私は、女王としての人生に何ら価値を見出せず、無気力に生きていたのに。
くすりと笑った瞬間、視界が揺らいだ。最期に見た燃える王宮の姿が目の前に浮かび上がり、すぐに消える。
背中を冷や汗が流れる。どうして今、あの風景がよみがえってきたのだろう。まさか、私はまたあの未来に近づきつつあるということなのだろうか。
ぐっと目をつぶって、今見たものを頭から追い出す。もしそうだとしても、私にできることは、今なすべきことは変わらない。不吉な幻に、気を取られている暇はない。
何事もなかったかのように微笑み、ニコラとガブリエルを呼び寄せる。もうあの炎の残像は、きれいに消え去っていた。
「基本としては、この法の構造を転用できると思うんです」
「そうですね。細部については、こちらを参考にしましょう」
午前中の執務を終え、自由になった午後。私たち三人と、それにミロシュはまた執務室に集まり、話し合っていた。精霊たちを守るための法律を作るためだ。
ガブリエルが嬉々として思いついたことを口にし、それをニコラが適宜修正していく。私が口を挟むすきなど、ほとんどなかった。のんびりと二人を眺めている間に、どんどん内容がまとまっていく。
「精霊って、所属する土地がないですよね。だから、ここの条文は削って……」
「それは構わないのですが、代わりとなる文を足しておくべきですね」
ガブリエルが法律について勉強していたというのは本当らしい。こうやって聞いているだけでも、彼が努力した痕跡がありありとうかがえる。
どうやらニコラも彼の成長に感心しているらしく、彼の琥珀色の目はいくたびも見開かれていた。もちろん、ごくわずかにだが。
二人はやけに張り切っていた。時折、妙に期待に満ちた目でこちらをちらちらとうかがいながら、じきに法律の素案をまとめ上げてしまった。どことなく得意げに、それを差し出してくる。
さっと目を通してみたが、特に問題はなさそうだった。短く簡潔で、それでいて解釈に困るようなあいまいさはない。これなら、特に問題もなく運用できるだろう。
にっこりと笑って、二人を褒めたたえる。
「二人とも、見事だわ。私の出番がまるでなかった」
「私は、貴女の補佐をするためにいるのですから。この程度の仕事など、貴女の手をわずらわせるまでもありません」
「良かった、やっと僕も役に立てました……」
ニコラは鼻を高くしているし、ガブリエルは感涙にむせんでいる。二人とも反応が大げさだが、良い働きをしてくれたことは確かだった。
ただ、何か足りないような気がする。これ以上足し引きできそうにない文面をじっと見つめて、静かに考える。
やがて、私は微笑んでペンを手にとった。二人が作り上げた文章のすぐ前に、そっと書き加える。
『精霊たちもまた、王が守るべき民である』
ニコラとガブリエルはじっと息を飲んで私の手元を見守っていたが、添えられた文言を見て同時に笑った。
「全体が引き締まったように思えます。さすがはリーズ様」
「本当です……姉様は、やっぱりすごいです」
「同感だ」
今まで無関心を貫いていたミロシュまでもが私の背後に立って、感心したようにつぶやいている。
「みんな、褒めすぎよ。思ったままを書き添えただけなのだから」
そう答えつつも、私の顔にも笑みが浮かんでいた。この法律が、いつまで使われるか分からない。
けれど、今ここでこの素案を作った私たちの気持ちが、この一文を介して後の王に伝わっていけばいい。そんなささやかな願いが、胸の中にあった。




