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39.乙女たちはお年頃

 ひとまず、アネットと冠の家の関係もどうにか落ち着いた。火種としてはまだ消えておらず、依然としてくすぶったままなので警戒を怠ることはできないが、それでも表立って何か仕掛けてくることはしばらくないだろう。


 なんだかひどく疲れた気分で、王宮の執務室に戻る。心配そうな笑顔のガブリエルが、そこで私たちの帰りを今か今かと待ってくれていた。


「お帰りなさい、姉様。ご無事で良かったです」


「大げさよ。私たちは話し合いに行っただけなのだから」


「それで、どうでしたか……?」


「まあ、合格点といったところかしらね。あなたもきちんと留守番できていたようで、良かったわ」


 よしよしと頭をなでてやると、ガブリエルはやけに不満そうな目を向けてきた。


「……僕、子供じゃありません」


 最近、私の周囲の人間はなんだかおかしい。ただ私にかまってもらえれば嬉しいと言わんばかりだったガブリエルは時折こんな顔をするようになったし、ニコラもあんな打ち明け話をしてきた。そしてミロシュも。


 先日、私の腕の傷跡に口づけてきた時の、彼の異様な雰囲気を思い出して身震いする。敵意は感じなかった。それなのに、どうにも落ち着かなかった。あれ以来、彼はあんな雰囲気をかけらほども見せていないから、こちらもいつも通りに接してはいるけれど。


 おかしいというならセレスタンもだ。盾の城で再会した時はあんなにも見事な仏頂面だったのに、今ではなんとも妙な態度を取るようになっている。親切なのにぶっきらぼうで、とげとげしいのに思いやり深い。そして、しょっちゅう赤面しては視線をそらしている。謎だ。


 全くもって、いったい彼らはどうしてしまったのだろうか。そんなことを考えながら一日を終え、自室に戻って寝間着に着替える。


 こんこんと、軽やかに扉を叩く音が聞こえてきたのは、そろそろ寝ようかと思っていた、そんな時のことだった。




「こんばんはリーズ、遊びにきちゃった」


 寝間着の上から一枚羽織っただけの姿で、アネットが顔をのぞかせる。少々はしたないふるまいではあるが、彼女が使っている客間からこの部屋まではそう遠くないので、ここは大目に見ることにする。さすがにこのなりで王宮を横断しようとしたら、止めるが。


 寝台の上でくつろいでいる私を見ると、彼女は顔を輝かせた。


「ねえ、そっちに行ってもいい?」


 どうぞ、と答えると、彼女はぱたぱたと駆け寄ってきてぴょんと寝台に飛び乗った。王のためのこの寝台は異様なほどに大きくて、その気になれば三人くらい余裕で眠れる。アネット一人が乗ったところで、寝台はびくともしなかった。


「あのね、今回のことのお礼を言いに来たの。あの怖い人たちから守ってくれて、ありがとう」


「あら、友人として当然のことをしたまでよ。それに冠の家の動向は、私もずっと気にしていたから。一度、きっちりと釘を刺しておかないといけないなと思っていたから、ちょうど良かったわ」


 さらりとそう返すと、アネットはさらに目を輝かせて前のめりになった。両手をぱんと打ち合わせて、興奮した口調で語る。


「昼間のあれ、とってもかっこよかった! ミロシュさんが戦ってるところは初めて見たけれど、すっごく息が合ってたね」


 そのミロシュが一番強いのだけれどね、という言葉を飲み込んで、あいまいにうなずく。と、アネットがふと動きを止めた。何か、気づいたことがあるらしい。


 彼女はじりじりとこちらににじりよってくると、上目遣いで笑った。


「……ねえ、一つ聞きたいことがあったの。ずっと前から、気になってて」


「……何かしら」


 なぜか声をひそめた彼女につられるようにして、小声で尋ねる。アネットは私の耳元に口を寄せて、ささやいた。


「リーズって、気になる人とかいないの?」


 全く予想もしていなかったその言葉に、思考が真っ白に凍りつく。


「気になる人って、どういう意味かしら」


「どういうって、そういう意味よ。リーズの周りって、素敵な人がたくさんいるし」


 ひときわ可愛らしくにっこりと微笑むと、アネットは指折り数えながら一つ一つ名前を挙げていった。


「ええっと、まずはニコラさん。いつもリーズのことを支えてて、頼れる人だよね。リーズを見てる時だけ、ちょっと目が優しいし」


「そうなの?」


「うん。間違いないよ。ニコラさんってすっごく表情が分かりにくいけどね。あと、今朝から妙に清々しい顔をしてる気がするの。何か、いいことでもあったのかな」


 ぼんやりしているとばかり思っていたが、意外とアネットは鋭いようだった。感心する間もなく、彼女は次の名を挙げる。


「次は、ガブリエル君。義理の弟さんだけど、血はつながってないんだよね? あの子、いつも一生懸命だよね、リーズの力になるんだって。あれって、ただ姉弟だからっていうのとは、ちょっと違う気がするんだ」


「私にとってあの子は弟であって、そういう目で見たことはないのだけれど」


「あの子、まだ子供だもんね。でもあと数年したら、きっとびっくりするくらいにかっこよくなるよ」


 自信たっぷりで言い放つアネットの勢いは、少しも衰えることがない。


「それで、ミロシュさん。わたしはあの人のことはあんまり知らないけど、リーズのことをとっても大切にしてるよね。ちょっと普通じゃないくらいに」


 腕に触れた彼の唇の感触を思い出して、そわりと身震いする。あの記憶は決して不快なものではなかったけれど、やはりどうにも落ち着かないのだ。


「……そうね。彼は見ての通り異国の出で、私が子供の頃から仕えてくれているわ」


「そうなんだ。ちょっと身分違いかもしれないけど、剣の家の当主にして女王なら、その辺も問題ないもんね」


 彼女の言う通り、三つの家の当主は割と自由に配偶者を選べる。というのも、当主たちが宿している聖具のちょっと変わった性質のせいだ。


 この聖具は、持ち主が死んだのち一族の中から次の当主を選び出す。誰が選ばれるかは聖具のみぞ知るといったところだ。ただ一つだけはっきりしていることがあって、前当主の実子だけは決して選ばれない。


 そんなこともあって、過去の王や当主たちは、結構、いやかなり好き勝手放題にやっていた。お忍びで出会った町娘を王妃としたとか、他国から来た流れ者と結ばれたとか、そんな話は山のようにある。いくらなんでもそれはどうかと思ってしまうような、とんでもない話が。


 だから私がその気になれば、ミロシュを王配とすることも可能なのだ。もっとも私は、彼のことをそういう目で見てはいないが。


 アネットは楽しそうな目で私の顔をじっと見ていたが、また小首をかしげて言葉を続けた。


「セレスタンも雰囲気が変わったよね。最初はリーズに対してよそよそしかったのに、すっかり仲良しになっちゃった」


「仲良し?」


 思わず、すっとんきょうな声が出た。前よりは打ち解けたかなとは思っていたが、仲良しなどと言われるとは。


「うん、仲良し。リーズといる時のセレスタンって、格好つけてなくて、なんだか子供みたい。微笑ましいよね」


 セレスタンは、アネットの保護者のようにあれこれと世話を焼き続けている。そんな彼女に子供のようだと思われているなどとは、おそらく彼も気づいてはいないだろう。


「うーん、ジェレミーさんもすっごく魅力的な人だけど……ちょっと年が離れすぎてるかな? 愛があれば年の差なんて、っていう考え方もあるけど」


 そこまで一気に言ってから、ふとアネットは顔をこわばらせた。恐る恐るといった様子で、そっと尋ねてくる。


「……その、エルデは……どうなのかな」


「彼は知り合い。あるいは友人ね。決してそれ以上のものではないから、安心して」


 即答すると、彼女はほっと息を吐く。たいへん分かりやすい。


「それで、リーズは誰のことが気になるの?」


「みんな、私の大切な仲間よ。今はそれで十分」


「えーっ、つまんない」


 口をとがらせるアネットに笑いかけて、そっと胸を押さえる。いつかは、私にもそういう相手が現れるのかもしれない。けれど今は、それどころではないのだ。


 即位から半年の期間を、何が何でも乗り切る。内乱の芽をひたすらにつぶし、破滅の未来が来ないようにあらがい続けることこそが、今の私が唯一なさねばならないことなのだから。


「……いつか、また、ね」


 まだ何事かつぶやいているアネットに聞こえないように、唇だけでそっとつぶやいた。平和になったら、破滅を打ち破ることができたら。その時はもっと真剣に考えてみる、かもしれない。そんなことを思いつつ。

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