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37.隠されていた寂しさ

 そうして冠の城で一泊することになった私たちは、晩餐の後に客室に案内された。しかしそこは、目がちかちかするくらい豪華なものだった。絨毯もカーテンも、やけに複雑な模様が織り出されたもので、しかもふんだんに金糸が使われている。


 私が五年過ごした剣の城では、装飾の類は最小限だった。その代わり機能性が重視されていて、とても過ごしやすい場所だったのだ。


 今暮らしている王宮は、この国で一番古い建物だ。かつてはかなり華やかだったのだろうが、長い年月を経たことで、落ち着いた雰囲気となっていた。


 セレスタンの居城である盾の城は、まさに質実剛健といった建物だった。がっしりとしていて重厚な、守るための城だった。


 それらと比べると、冠の城はあまりにも華美で、うんざりするほど装飾が詰め込まれたものだった。こんなところで眠ったら、悪夢を見るかもしれない。


 ぶるりと身震いして部屋を出て、隣の部屋に向かう。そちらの部屋は、ニコラのためにあてがわれたものだった。


「ちょっといいかしら、ニコラ。明日の話し合いをどう戦うか、相談したいと思っていたの」


 笑顔でそう言った私に、ニコラはやけに暗い顔を向けてきた。いつになく、覇気がない。最近彼は元気がないようだったが、今日の彼はさらに重々しい空気をまとっていた。


「……相談など、必要ないでしょう。貴女はあの食えない老女たち相手に、十分に渡り合っておられました」


「でも、あの二人は取り付く島もなかったのよ。何か違う攻め手はないか、あなたに聞きたかったの」


 重ねて笑いかけると、ニコラの表情が消えた。平坦な声で、彼は弱々しくつぶやく。


「……私でなくとも良いのでしょう。私が、おらずとも」


「どうしたの、突然」


 私の問いかけに答えることなく、ニコラはぼそぼそとつぶやき続けている。


「きっと貴女は本当に、破滅の未来を見てこられたのでしょう。それゆえに、行いを変えなくてはと、そう思われた」


 彼は一度も私を見ない。彼の琥珀色の目は、伏せられた黒く長いまつ毛に半ば隠れていた。


「そして貴女はとても立派に、二度目の生を生きておられる。たくさんの者たちに囲まれて、みなに愛される女王としての道を歩まれている」


 前向きな言葉の内容とは裏腹に、彼の声はとても重苦しいものだった。


「それはとても喜ばしいことだと、私にも分かっています。ですが」


 そこでニコラは言葉を切り、そっとため息をついた。ひどく痛々しげな、小さな吐息だった。


「……今の貴女のそばに、私の居場所はない。そう、思えてしまうのです」


 部屋に静寂が満ちる。開けたままの窓から吹き込んだそよ風に、ろうそくの炎がゆらめく。


 うつむいたまま動かないニコラを見つめ、ゆっくりと深呼吸する。内心の動揺を隠すように、ことさらに明るく言い放つ。


「そんな訳ないでしょう。あなたにはずっと助けられてきた。これからも、助けてもらわないと困るわ」


「貴女は、もう一人ではない。私一人くらい、いようがいまいが大差ないでしょう。……どうか、もう私のことは捨て置いてください」


「ニコラ」


 どこかすねたように、ニコラはそんなことをつぶやく、彼をたしなめるように、さらに語気を強めて尋ねた。


「あなたは、私のそばにいるのが嫌になったの?」


 真正面からの問いに、ニコラは一瞬ためらったようだった。けれどすぐに、すらすらと言葉を返してくる。


「……嫌、ではありません。ただ時折、ひどく辛いように感じられるだけで」


「だったら、私のそばにいなさい。これは命令よ」


「どうして、そこまでして私を引き留めるのでしょうか。あの未来から、少しでも離れるためですか」


 ニコラはまっすぐにこちらを見て、薄気味が悪くなるくらい静かに答える。


「ああ、そういえばそんなこともあったわね。でも今の私には、そんなことはどうでもいいの。たとえ一人になったって、あの未来にあらがってみせる、そう決めたから」


 さらりと言い切って、さらに自分の主張を重ねる。自分にかまうな、という彼の言葉を聞いて思ったのは、彼を失うのは嫌だ、ということだけだった。あの未来のことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。


 なぜなのかは分からないけれど、ニコラはやけに弱気になっている。彼の性格から言って、下手な励ましや慰めは通じないだろう。理詰めで説明しようとすれば、逆に彼に言いくるめられてしまうかもしれない。


 だったら、感情のおもむくまま強引に押し通すまで。


「私は、あなたがいないと嫌なの。私が目指す平和な未来には、あなたも含まれるの」


 掛け値のない本音を、晴れやかにぶつける。彼の主として、女王として、そして同志として。


「辛いのなら、正直に言いなさい。私たちの間に隠し事なんて、……めったにないことでしょう」


 先日憂国軍について彼に黙っていたことを思い出してしまい、少しだけ口調が揺らいでしまう。ニコラの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


「私はあなたが辛くならないよう、あらゆる手を尽くす。そんなことしか約束できない。でもそれでも、あなたを失いたくないの」


 うつろな目でこちらを見つめ続けている彼に歩み寄り、その手を取った。逃がさない、という思いを込めて、しっかりと手を握る。


「だからお願い。あなたの思いを、きちんと聞かせて。何もしないまま手後れになるのは、もう嫌なの」


 わがままな小娘が自分勝手を言っているようにしか聞こえなかっただろうそんな言葉は、それでも確かにニコラの胸を打ったようだった。


 彼は切なげに微笑むと、私の手を振りほどいてゆっくりとひざまずいたのだ。そのまま優雅にこうべを垂れる。


「……はい。我が君の、御心のままに」


 いつになく仰々しく振る舞う彼の声は、どことなくはずんでいるように聞こえた。なんとなく、嫌な予感がする。


「それでは、さっそくですが聞いていただけますか?」


 顔を上げたニコラの顔は、それはもう見事ににっこりと笑っていた。




「それにしてもまあ、たっぷりとため込んだものね、色々と」


 どうにかニコラの説得に成功してから、ざっと三時間は経っただろうか。もうすっかり夜もふけてしまっていた。


「ええ、貴女とも長い付き合いになりますからね。心の中にしまい込んだものも、多くなってしまうんですよ」


 ニコラはそれはもうたっぷりと、存分に語り続けたのだった。私と出会ったあの時から今に至るまで、彼はどんなことを感じ、考えてきたのかを。


「あなたほどの有能な人間が、どうして当時十二の小娘にあっさり仕えてくれたのか不思議でならなかったけれど、やっと疑問が解けたわ」


「あの時の貴女の堂々たる態度に、私は決めたのですよ。この方を、生涯の主としていく、と」


 人間、いったい何がどう転ぶか分かったものではない。まさか、あの時の私の不遜な態度を気に入ったから、私に仕えることにした、だなんて。


「ですから、最近の貴女には……少しばかり、残念なものを感じていたのです。敵を作ることをためらいもせず、ただひたすらに目的に突き進んでいたころの貴女が懐かしいと、そう思っていました」


 まるで初々しい乙女のように、どことなく恥じらいながらニコラが告白する。


「かつて孤高の当主だった貴女は、たくさんの人に愛される女王となってしまわれた。……今までは、私が貴女のことを独占していたのに、と思うと、つい寂しくて」


 独占、ときたか。どうやら彼の目にミロシュは映っていなかったらしい。ミロシュは暗殺やらなんやらでほぼずっと私の近くにはいなかったし、それもある意味仕方のないことなのだろうか。


「あなたは冷静で、感情的になんてならないと思っていたのだけれど……案外、可愛らしいところもあったのね」


「それはもう、そんな思いを表に出して、日常の執務に支障が出てしまっては大変ですから」


「支障、出るかしら。問題なさそうな気もするけれど」


「出ます。それに、そんな細かいことをいちいち気にしている人間だと思われるのは、大いに不本意です」


「でも今、こうして全部喋ってしまっているでしょう」


「また執務に戻れば、何事もなかったような顔をいたします。ですので、リーズ様もそのおつもりで」


 しれっと言ってのけるニコラに、思わず笑いがこみ上げる。彼とは長い付き合いだけれど、こんなお茶目なところがあるなんて知らなかった。


 ここに来た目的がすっかり忘れ去られてしまっているけれど、こうして彼と語り合っているのは楽しかった。


 どのみち明日になれば、またあの海千山千の双子との戦いが始まる。今のうちに気分転換して、英気を養っておこう。


 自分自身にそんな言い訳をしながら、さらに楽しげに語るニコラをのんびりと見つめていた。

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