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36.冠の城の老婆たち

 嘆願書が届いてから数日後、私たちは冠の城を目指していた。


 セレスタンが王宮の近くにある盾の城で暮らしていたように、本来であればアネットも冠の城で暮らし、当主としての執務にいそしむはずだったのだ。


 しかし彼女はこうして、冠の家を離れてしまっている。今冠の城にいるのは、冠の家の人間たちが勝手に選んだ臨時の当主代理だ。先日嘆願書を送ってきたのも、その代理の仕業だったりする。


「ああ、やだなあ……行きたくないなあ」


 冠の城に向かう馬車の中で、アネットは幾度となくそうぼやいていた。


 王宮から冠の城まで、馬車でも一時間半程度だ。今回はならず者の討伐ではなくただの話し合いなので、ごく限られた者だけで向かう。


 いつも通り、代理はジェレミーに頼んできた。代理の身分を示す金の指輪を彼に渡すのは、これでもう何回目だろうか。いっそ彼に預けっぱなしでもいいのかもしれないと、そんなことをこっそりと思う。


 そして今、私はアネットと二人、豪勢な馬車に乗っていた。ニコラとミロシュが騎乗して並走し、それに最低限の護衛として騎士が三名。女王の来訪とは思えないくらいの少人数ではある。


 女王である私は、その気になれば圧倒的な兵力をもって冠の家に脅しをかけることだってできる。けれどあえて、私たちはそうしなかった。逆に、少数精鋭のみで堂々と彼らに立ち向かい、勝利をもぎ取る。それが、今回の目的なのだ。


 ちなみにニコラとミロシュはいつもの服ではなく、華美にならない程度の正装をまとっている。普段は比較的質素な装いを好む二人だが、こうしてきちんとした格好をするととても見栄えがする。


 切れ長で涼やかな目元が冷徹な印象を与えるニコラと、彫りが深く異国風の顔立ちがなまめかしいミロシュ。二人並ぶと、一対の彫像のようですらあった。それを本人たちに伝えると間違いなく機嫌が悪くなるので、黙っておくことにする。


 そして今回、ガブリエルは同行していない。ついてきたがっていた彼を説得して、王宮に残してきたのだ。今度こそ無茶をしないようにね、と付け加えて。


 策略好きでこちらを見下している冠の家の連中のことだ、話し合いがうまくいかなかった場合に備えて罠の一つや二つ仕掛けていてもおかしくはない。最悪、アネットを守りながら戦いつつ撤退などという事態になる可能性だってあった。


 だから正直、ガブリエルがいると足手まといになってしまいかねない。彼には時々剣を教えているけれど、まだ自分の身を守れるかどうかも微妙なところなのだ。


 ついてきたがっていたのはガブリエルだけではなかった。当然のような顔をして、セレスタンまでもが私たちに同行しようとしていたのだ。どうも彼は、自身のことをアネットの保護者か何かと間違えているのではないかと思う。


 しかし、彼は彼で問題があった。確かに、彼は剣の腕は立つ。が、策略の類はからきしだ。おそらく、彼は交渉の場ではほぼ役に立たない。下手をすると、余計な一言で流れをぶち壊す危険すらある。


 なので彼については、王宮の守りを頼むという口実で王宮に足止めすることにした。ガブリエルがまた無茶をしないか、それとなく気にかけておいて、とついでに頼んでおく。


 それにしても、と彼の様子を思い出して小首をかしげる。私が「だったら私が留守の間、王宮を守っていて欲しいの。あなたが一番適しているから。信頼しているわ」と口にした時の彼の様子は、いつもにも増して不可解だったのだ。


 セレスタンは顔を赤くして目を泳がせながら、「どうしてもと頼むのなら、受けてやらなくもない。あくまでも、この国のためなのだから」とか何とか言っていた。言葉は小憎らしいのに、その表情はどうにも憎めないものだった。こうして思い出しただけで、なんだか笑えてしまう。


 思い出し笑いをかみ殺している私を現実に引き戻したのは、弱々しいアネットの声だった。


「うわ、もう見えてきた……うう、怖いよう」


 アネットは恐る恐る窓の外を見て、身震いしながら縮こまっていた。窓の外には、日差しを受けてきらきらと輝く白亜の城が、遠くに姿を現していた。






 冠の城の正門をくぐった私たちは、冠の家の者たちの手厚い出迎えを受けた。騎士たちに執事たち、それにその他の使用人たちが綺麗に列をなし、全く同じ姿勢で微動だにせずに立ち並んでいる。それはなんとも見事な、荘厳な眺めだった。


 背筋を伸ばして、馬車をゆっくりと降りる。そこはやや小ぶりながら、とても繊細な装飾が至る所に施された、笑えるくらいに豪華絢爛な城だった。あの白いしっくいの装飾を汚れ一つないまま保つのに、いったいどれだけの人手が必要になるのやら。


 そんなことを考えていると、城の奥から二人の人影がゆっくりと近づいてきた。


「ようこそおいでくださいました、陛下」


「わざわざ足を運んでいただけるとは思いもしませんでした」


 抑揚のない静かなしわがれた声が二つ、次々にそんなことを告げてくる。その声の源は、今私の目の前に立っている小さな老婆たちだった。


 この二人の老婆はララとルル、ずっとずっと昔から実質的に冠の家を支配している存在だ。恐ろしく年老いているというのにしわの一本に至るまでそっくりな双子で、私は未だにどちらがどちらか区別がついていない。


「出迎えありがとう。嘆願書を読んだわ。ことがことだから、直接話をするのが一番だと思ったの」


 老婆たちは全く同じ形の笑みを作り、同時にうなずく。私の後ろにいるアネットを見た時だけ、二人の目が年齢に似合わない鋭い光を放っていた。




 そうして冠の城の応接間に場所を移して、私はララとルルの二人と話し合うことになった。交渉にはニコラも参加する。アネットは同席するが、基本的には口を挟まない。というより、挟みたくないらしい。ミロシュは他の騎士たちと一緒に、部屋の外で待機することになった。


 いつもよりずっとゆっくりとした動きで、出されたお茶に口をつける。ミロシュがいないので毒見は頼めないが、おそらくその点については大丈夫だろうと、私とニコラの意見は一致していた。


 目の前の二人、『冠の家の双子』の名は、この国でも有数の策略家として知られていた。冠の家の先代の当主、つまり先王ですら、この二人の操り人形だったらしい。


 そうやって長きに渡り器用に立ち回り続けたこの二人であれば、訪問してきた女王に堂々と毒を盛るなどという安直な方法を取ることはないだろう。少なくとも、話し合う前であれば。


 お茶を二口ほど飲んで、カップを机に戻す。一つ深呼吸して、目の前の双子をまっすぐに見た。


「……回りくどいことはこの際抜きにして、こちらの提案を言うわ」


 これから私たちが相手にするのは、海千山千、百戦錬磨のつわものだ。下手な駆け引きを挑んでは、長引く泥仕合になってしまうかもしれない。そんなことになったら、アネットはいつまでも宙ぶらりんのまま過ごさなくてはならなくなる。


 それくらいならいっそ、真正面から直球勝負を挑んでしまうのもありだろう。私とニコラが出した結論は、そんなものだった。


「あなたたちの要望の通り、冠の家の実権は正式にあなたたち二人に預ける。当主を名乗ってくれてもいいわ。その代わり、アネットの身の安全を約束してちょうだい」


 老婆たちの目が、アネットに注がれる。アネットはずっと落ち着かない様子だったが、身を縮めてうつむいた。


 先日アネットから聞き出したところによれば、彼女は『冠』に選ばれてこの城に来てから、あの二人に毎日のようにいびられていたらしい。


 田舎出の小娘にしかるべき教養と立ち居振る舞いを教え込もう、そう考えたくなるのは、まあぎりぎり分からなくもない。


 しかし彼女たちはことあるごとに堂々と、しかも本人を目の前にして悪口を言いまくっていたのだそうだ。「あの男も、どこの馬の骨とも分からない娘相手に子をもうけるとは」とか「よりによってこんな、一族として認めることすらできない者が『冠』に選ばれるとは」とか。口にするのもはばかられるような、そんな罵詈雑言も混ざっていたらしい。その時の二人の顔は、それはもう恐ろしかったと、アネットは震えながら語っていた。


 私の言葉の余韻だけが残る部屋の中で、二人の老婆はまるで置物にでもなったかのように静止していた。息を飲みながら見守っていると、やがて二人は同時ににいっと大きく笑った。びっくりするくらい同じ形にゆがめた唇で、二人は流れるように言葉をつむぐ。


「陛下、それではまるで私たちが、彼女を害しようとしているように聞こえます」


「彼女もまた、私たちと同じ冠の家の血を引く者。そして、『冠』に選ばれし者。どうしてそんな者に、危害を加えなくてはならないのでしょうか」


「それは、あなたたちが一番良く分かっているでしょう」


 のらりくらりと逃げる二人に、びしりと言い放つ。何も反論は飛び出てこなかった。畳みかけるように、さらに言葉を続ける。


「あなたたちはずっと前から、冠の家の実権を握っている。その上に抱くお飾りの当主として、アネットはふさわしくない。あなたたちはそう思っているのでしょう」


 それからもばんばん言葉をぶつけていったが、どうにも手応えはなかった。悔しいが、やはり経験の差の分、こちらが不利なようだった。


「陛下は余計なことを気になさらないでください。当主としての権限さえ私たちに渡していただければ、後はこちらで良いようにいたしますから」


 ララだかルルだかが、涼しい顔をしてそんなことを言っている。良いように、の内容がこれっぽっちも信用できないからこそ、こうしてじかに乗り込んで話し合っているというのに。


 それからも私たちは、あれこれと言葉を交わし続けた。ニコラも加わって四人で話し続けたが、話は同じところをぐるぐると回り続けていた。


 ため息をつきながら、窓の外に目をやる。ここに到着したのは昼過ぎだったが、いつの間にかもうすっかり日が暮れてしまっている。


「今日はこちらで休んでいかれませ、陛下」


「ささやかではありますが、精一杯おもてなしいたします」


「ゆるりと疲れを癒していただいて、明日また改めてお話を、ということではいかがでしょう」


 相変わらず抑揚のない声で、双子はゆるゆるとそう提案する。さすがにもう疲れていたので、その言葉に甘えることにした。


 目の端で、ニコラがぴくりと眉を動かすのが見えた。

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