35.一難去ってまた一難
平穏を楽しんだのもつかの間、やっぱり次の騒動がやってきた。こういう嫌な予感だけきっちりと当たらなくてもいいのに、と心の中だけでぼやく。
次の知らせは、ニコラが持ってきた。いつもの執務の途中、彼はやけに美しい書状を差し出してきたのだ。
「冠の家から、陛下にあてて嘆願書が届きました」
「嘆願書? 冠の家から? あそこの人たちが、そんなものを出してくるなんて思いもしなかったわ」
「そうですね。あの家の方々は、リーズ様にいちいちおうかがいを立てることなく、自己判断で好き勝手に振る舞われるでしょうから」
「やっぱり、あなたもそう思うのね。あそこは王にも他の家にも、やけに非協力的だから」
首をかしげながら、彼が差し出した書状を受け取る。
女王である私のもと、この国を統治している三つの家にはそれぞれ伝統的に特色がある。
私が当主である剣の家に属する貴族たちには優れた者が多いが、全体としてのまとまりに欠ける。くせ者ぞろいの彼らには、私も苦戦させられてきたものだ。ニコラがいなければ、たぶん私はとっくの昔に謀殺されていただろう。
セレスタンが当主を務める盾の家の人間たちは、心配になるくらいまっすぐで正義感あふれる者が多い。良くも悪くも策略の類に不慣れだが、大体のことはとびぬけた団結力で乗り切っている。
そして今回問題になっている冠の家、形式上はアネットが当主であるはずのこの家の連中は、とにかく自尊心が高く、他の家を見下しがちだ。そして彼らは他の家を出し抜くべく、日々陰謀をめぐらしているらしい。だからニコラは、昔から冠の家の監視だけは欠かさない。
昔は、もうひとつ家があったと聞いている。私が生まれるよりずっと前に、何やら不祥事があったとかで取り潰されたのだそうだ。その家についての資料は全て封じられ、むやみに口にしないようにお触れが出されたらしい。
そのせいで、私はその四つ目の家についてはほとんど何も知らないに等しい。私だけでなく、この国の若者はみな似たようなものだろう。
今の私の立場であれば、その家についての封じられた資料を読むこともできる。内乱の芽のほうが落ち着いてからでも、一度目を通してみようか。
そんなことを考えつつ、書状を開く。過剰なまでに豪華な模様が刷り込まれた紙に、やけに気取った文字が並んでいた。
「……アネットから当主の地位をはく奪しろ? 何よ、それは?」
書状の内容に、思わずすっとんきょうな声を上げてしまう。
今のアネットには、当主として冠の家をまとめていくだけの力はない。こういった場合、普通は当主代理を立て、当主は隠居する。
しかし冠の家の連中が求めているのは、もっと深刻なものだった。女王の名のもとに、アネットから当主の地位をはく奪し、冠の家のしかるべき者を当主として指名しろ、と彼らは主張していた。
聖具である『冠』は、アネットが死ぬまで彼女のもとを離れない。そしてアネットは、私やセレスタンによって守られてしまっている。どうしても当主という地位が欲しい彼らは、手詰まりになってこんなことを言い出したのだろうか。
「そんな処分、聞いたことがないわ……それに、聖具の意志をそこまで無視するなんて」
あきれながらつぶやく私に、ニコラが静かに話しかけてくる。
「いきさつはともあれ、当主たるアネット様が冠の家を離れ、盾の家や王宮にとどまり続けているのは事実です。当主としての執務に、一切たずさわることなく。ですから冠の家の者たちは、このような要求をしてきたのでしょう」
「でもそれは、あの家の面々がアネットのことを消そうとしていたから、仕方なく避難しているだけのことよ。彼女は執務をしたくても、できない状況に置かれてしまった。元はと言えば、自分たちのまいた種じゃない」
「……確かにそうなのですが、冠の家の方々がそのような行いに出たということについて、客観的な証拠がありません。賊が冠の家に関わる者だと、セレスタン様がそう感じられた。それだけなのですから」
ニコラは顔色一つ変えずに、そう答える。彼の言う通り、アネットが当主の執務をまっとうせずに盾の城や王宮に滞在していることについて、客観的に周囲を納得させられるだけの根拠はないのだ。
セレスタンに証言してもらうという手もあるにはあるが、そうすると今度は冠の家と盾の家の間がもめてしまいかねない。下手をすると、そこから内乱、というか内戦に移行してしまうおそれもあった。
「表面的には、冠の家の主張には筋が通っている、ということね……」
腕組みして考え込む。この場合、嘆願書の内容をまるごと飲んでしまうのが、一番早い。しかし事態は、そう単純なものではないのだ。新米の女王として、冠の家になめられたままというのは大変まずい。今後の統治に支障が出かねない。
「……決めたわ。実際にあちらに出向いて、冠の家の者たちと話し合ってくる。アネットも連れて」
「認めたくはありませんが、それが一番堅実な手でしょうね。あちらの言い分をそのまま飲む訳にはいきませんし、かといって突っぱねるのは危険です」
淡々とそう口にした後、ニコラはふうとため息をついた。
「……だからといって貴女が直接出向くのも、危険が伴うので反対したいのですが……きっと貴女は、私の言うことなど聞いてくださらないのでしょうね」
気のせいか、彼はどことなく寂しげな表情をしているように見える。最近彼は、時折こんな顔をするようになった。
その理由が気になってはいたが、どう尋ねればいいのかが分からないまま、今まで放置してしまっていたのだ。
たぶん私は、彼に見放されてしまわないか、今でも心の片隅で恐れているのだろう。だから彼にきっちりと向き合ってしまうのが怖くて、ついつい先延ばしになっているのだと思う。
でも、いつまでも逃げてはいられない。そうやって問題から目をそむけ続けていたせいで、私はかつて破滅したのだから。あの過ちを繰り返す訳にはいかないのだ。
この件が片付いたら、彼ともきちんと話をしよう。そう思いつつ、私はアネットを呼び出すことにした。
私の執務室に呼び出されたアネットは、事情を聞くなりきょときょとと視線をさまよわせた。
「えっ? 冠の家、というか冠の城に行くの? リーズが? それと、わたしも?」
「さすがに、あなた抜きに話をするのもね。ここでしっかり話し合って、根本的に解決してしまわないと、あなたはいつまでも逃げ隠れすることになるわよ」
そう言い聞かせると、彼女は唇をかんでうつむいた。
「あそこの人たち、すっごく怖いから……どうしても、行かないと駄目?」
そうやっておびえている彼女の姿は、なんとも可憐で、思わず守ってやりたくなるような弱々しいものだった。セレスタンが彼女を保護せずにいられなかった気持ちも良く分かる。
自信たっぷりに背筋を伸ばして立ち、ぽんと胸を叩く。
「大丈夫よ。何があっても、私が守るから。少々不愉快な思いをするかもしれないけれど、大船に乗ったつもりでいてくれればいいわ」
「わっ、かっこいい……リーズ、素敵……」
さっきまで不安に震えていたアネットが、目を輝かせて頬を染める。礼儀正しく控えていたニコラが、あきれたように目を細めた。
「ひとまず、あなたにも来てもらうとして……今のうちに、あなたの意思を聞いておきたいのよ。その内容によって、これからどう動くかが決まってしまうから」
そう尋ねると、アネットは困ったように目線を上にそらした。
「……わたし、当主の地位にも仕事にも、興味はないんだけど……代理を立ててもらえれば、それでいいのに」
「そう言うと思ったわ。ただ、たぶんそこまで単純な話ではないの」
予想通りの答えが返ってきたことに苦笑しながら、小首をかしげているアネットに順に説明していく。
「冠の家は、三つの家の中でも一番自尊心が高くて、立場や肩書にこだわるの。あなたが生きている限り、あの家はきちんとした当主を掲げることができない」
今の女王、つまり私は剣の家の当主だ。そのことも、冠の家の連中からすると腹立たしいことこの上ないだろう。先王は冠の家の当主だったから、あそこの連中は「玉座をよその家に盗られた」と考えていてもおかしくはない。
「……うん。だからあの家の人たちは、わたしを消そうとしたのよね」
「そうよ。今回の嘆願書も、おそらくは同じ狙いなのだと思うわ。まずは正式にあなたの権力を完全に奪って、それからじわじわと追い詰めていくつもりなのでしょうね」
私の言葉に、アネットの顔がどんどんうつむいていく。
「あちらの言うことをそのまま飲んでも、あなたの身の安全は保障されるとは限らないの」
ため息をついて、言葉を続ける。しゅんとしてしまったアネットを励ますように、意識して明るい声を出しながら。
「私が介入すれば、あなたをしっかりと守ってあげることはできる。ただそうすると、今度は冠の家が私に反抗する可能性が出てくるのよ」
「……もとより、冠の家はリーズ様と良い関係を築いているとは言いがたい状態です。ここで下手に事を荒げると、最悪内乱が引き起こされる可能性もあります」
すかさずニコラが割って入り、衝撃的な一言を口にする。私は、何が何でも内乱を阻止したい。そしてニコラも、そのことをよく承知している。
けれどアネットは、私たちのそんな事情を知るよしもない。それでも『内乱』という言葉は、彼女を震え上がらせるに十分なものだったようだ。
「ああ、そんなにおびえなくてもいいのよ。私たちがきちんと交渉すれば済む話だから」
「でもわたし、交渉とかそういうの、ほんと苦手で……」
「大丈夫、任せておいて。私とニコラの二人がかりならなんとかなるわ」
朗らかに笑いかけると、アネットはぎこちなくうなずいた。まだおびえの名残を浮かべながら、それでも健気に微笑もうとしている。
「うん。あのね、わたしにできることがあったら言ってね。頑張るから」
「ええ、その時はよろしく頼むわ」
それから私たち三人は、顔を突き合わせてあれこれと話し合った。冠の家で何が起こるか分からないし、今のうちにしっかりと打ち合わせておくに越したことはない。
一難去って、また一難。平和な未来は、まだ遠いようだった。




