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33.*義弟は頑張っている

「姉様、僕の自信作です。どうぞ!」


 そんな言葉と共に、ガブリエルはタルトのひとかけらが乗せられたフォークを差し出していた。彼の向かいでは、義姉にして女王であるリーズが、たいそう困った顔をしていた。


 ここはリーズの私室で、今は午後のお茶の時間だ。前にお手製のケーキを義姉に褒められてから、彼は時折こうして手料理を持ってくるようになったのだ。


 今日彼が持参したのは、桃の砂糖煮をたっぷりと使ったタルトだ。彼はそのひと切れをフォークで切り分けて、義姉に向かって差し出していたのだ。満面に笑みを浮かべながら。


「……その、自分で食べられるから、フォークを渡してもらえるかしら」


 戸惑いを隠せずに、それでも義弟を気遣うようにリーズがつぶやく。ガブリエルは天使のように愛らしい顔をちょっとくもらせると、しっかりとフォークを握ったままうつむいて答えた。


「こうやって食べると、もっとおいしくなるって聞いたんです」


「……誰に?」


「アネットさんです」


 即答した義弟に、リーズはああ、とうめきながら額を押さえた。


「そうね、あの子はそういうのが好きそうだものね……」


 でもそういうのって、普通は恋人同士とかでするものじゃないかしら、などとリーズはつぶやきながら、差し出されたタルトをにらんでいる。


 彼女の少しつり気味のぱっちりとした緑色の目は忙しくさまよっているし、赤い唇はきゅっと引き結ばれている。ここからどうするのか、一生懸命に考えているらしい。


 そんな義姉をこっそりと上目遣いに見ながら、ガブリエルは小さく笑みを浮かべた。


 彼は幼い頃からずっと、義姉のことを慕ってきた。彼女が彼のことをかえりみることはなかったけれど、それでも彼は義姉だけを見てきた。一度でいいから姉様に笑いかけてもらいたい、褒めて欲しいという、到底かなうはずのない望みを胸に抱きながら。


 そうして彼は、戴冠式の日も彼女を訪ねていった。きっといつもと同じように、ろくに会話もできないのだろうと思っていたが、それでも一言、祝いの言葉を述べたかったのだ。


 彼の勇気は、思いもかけない形で報われることになった。女王となったリーズは彼を迎え入れ、彼と言葉を交わし、彼に触れてくれたのだ。


 そしてそれから彼女は、戸惑いがちではあるが彼にきちんと接してくれるようになっていったのだ。ガブリエルはあれからずっと、天にも昇るような心地でいた。


 ガブリエルがそんなことを思い出していた間も、リーズはくるくると表情を変え続けていた。眉間にしわを寄せたり、困ったように目線を動かしたり。


 姉様は可愛らしいな、とガブリエルはこっそりと微笑む。きっと今の彼女なら、そのことを口にしてもしかりつけてくるようなことはないだろう。しかし彼は何も言わずに、微笑みながら義姉を見守っていた。まるで彼女の表情の一つ一つを、胸に焼きつけるように。


 けれどさすがに、これ以上リーズを困らせてはいけない。残念だけれど、ここはあきらめよう。ガブリエルがそう判断してフォークを下ろしかけた時、リーズが決意した顔でつぶやいた。


「……弟のちょっとした頼みくらい、聞いてやるべきなのでしょうね」


 独り言のようにそう言うなり、彼女は可愛らしい口をぱかっと開けた。そのまま身を乗り出して、ガブリエルが手にしていたフォークに食いつく。そうしてタルトを頬張って、もぐもぐと口を動かした。


「本当ね、とてもおいしいわ」


 桃のタルトを飲み込んで、リーズがにっこりと笑う。恥ずかしかったのかほんのちょっと口元が引きつっていたけれど、彼女は懸命にそれを隠そうとしているようだった。そんな気遣いに、ガブリエルの胸がまた少し温かくなる。


「あなたの料理はどれもおいしいから、太ってしまいそう」


 困ったように、嬉しそうにつぶやくリーズに、ガブリエルが焦ったように声をかける。


「えっと、もしかして……迷惑だったでしょうか」


「いいえ。また気が向いたらでいいから、何か作ってくれると嬉しいわ。食べ過ぎてしまったとしても、そのぶん余計に体を動かせばいいだけだから」


 明るく笑いながら、リーズは首を横に振る。ガブリエルはほんの少し前のめりになって、すぐに答えた。


「でしたら、僕も運動に付き合います」


「あら、そう? だったら一度、剣術の稽古でもつけてあげましょうか。あなたも自分の身くらいは守れるようになっておいたほうがいいでしょうし」


「はい、ぜひお願いします! ……姉様に教えてもらえるなんて、夢みたいです」


「もう、大げさなんだから」


 姉弟二人っきりののどかな時間は、まだ始まったばかりだった。






 その日の夕方、彼は自室で夕日を眺めていた。見えるもの全てが、義姉の髪を思わせる赤橙に染まっている。この静かな時間を、彼はとても気に入っていた。


 彼は自然と、昼間のことを思い出していた。また一つ、リーズの新たな顔を知ることができた。そんな満足感から、自然と彼の顔に笑みが浮かぶ。


 どうして義姉が変わり始めたのか、そのきっかけがなんだったのか、ガブリエルは今でも分かっていない。けれど彼は、あまりそのことを気にしていなかった。彼女のふるまいがどれほど変わろうとも、彼女が彼にとって大切な存在であることに変わりはなかったのだ。


「どんな形であれ、姉様が元気で幸せでいてくれれば、僕はそれでいいんです」


 まるで目の前にリーズがいるかのように、彼はつぶやく。その目線の先には、一面の温かな赤が広がっていた。


「そのためにも、僕はもっと頑張ります。どうか、見ていてください」


 義姉が優しくしてくれるのは嬉しい。でも自分は、それに甘えることなく強くなり、彼女の力になるのだと、彼はそう決めていた。強くなれ、という彼女の言葉は、彼の心の中にしっかりと刻まれていたのだ。


 そしていつか、リーズの一番近くで、ずっと彼女を支えていけたなら。最近の彼は、そんなことを思うようになっていた。


「でも、強くなるのって難しいですね」


 ガブリエルは窓枠に頬杖をついて、ほうとため息を漏らした。


「この前、憂国軍のみなさんと争いになった時、僕は怖くて動けませんでした。姉様を守らなくちゃって思うのに、どうしても足が動かなかった。ただ震えながら、姉様のそばにいることしかできなかった」


 うつむいてつぶやき続ける彼の声に、泣いているような響きが混ざる。


「姉様は、あの時ためらいなく僕を助けてくれた……あれがどんなに勇気のいることだったか、今の僕には分かる」


 かつて盾の家の領地で起きた騒動の中で、リーズはためらうことなく彼をかばった。あの時セレスタンが割って入らなかったら、彼女は間違いなく重傷を負っていただろう。


 そのことを思い出し、ガブリエルは身震いする。自分の無謀で軽率な行いのせいで、大切な義姉を危険にさらしてしまったのだ。


「……泣いていたって、なにも変わらない。姉様が、教えてくれた」


 ぐいと目元をぬぐって、ガブリエルは顔を上げた。夜空を思わせる深い青の瞳が、また周囲の風景に向けられた。


 日はさらに傾き、空の端には夜の闇がにじみ出ていた。リーズの赤と、ガブリエルの青を同時に抱く空に、彼は語り掛ける。


「僕はまだ弱い。でもいつか、姉様を守れるくらい強くなってみせる。今はただ、僕にできることをするんだ。一つずつ、着実に。そうすれば、いつか……」


 遠くに見える山の端に、ひときわ明るく輝く一番星が姿を見せていた。

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