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30.刃ではなく言葉で

「二コ、ラ……?」


 眠気と懸命に戦いながら、突然現れたニコラの方に目をやる。周囲ではロブたちと兵士たちが小競り合いをしているようだったが、それを確かめるだけの余裕は今の私にはなかった。


「ええ、私です。貴女は仮にも女王なのですから、付き合う相手はもう少し選んでください」


 ざわめきが、さらに大きくなった。どうやら私の正体がはっきりしたことで、ロブたちがさらに動揺しているらしい。


 困ったように目を細めているニコラのすぐ後ろから、ジェレミーまでもが顔を出した。


「陛下がしばしば外出されておられることには気づいておりましたが……このようなことになっていたとは。ご無事でしょうか?」


 ミロシュの腕にぶら下がりながら、ジェレミーを見つめる。深くて暗い赤をたたえた穏やかなその目は、心配そうに私を見つめている。緊迫したこの状況の中で、彼の存在は私を少しだけほっとさせてくれていた。


「大丈夫よ。……少しばかり体が重いけれど、それだけだから」


 どこぞの令嬢リジーとしてではなく、この国を治める女王リーズとしての顔で、彼に答える。ジェレミーは私の姿を見て、気遣うように尋ねてきた。


「私たちが駆けつける前に、いったい何があったのでしょうか。それに、そのお姿は……」


 彼がそう言いたくなるのも無理はない。私はごく普通の令嬢が着るような普段着で、しかも全身に酒を浴びてずぶ濡れだ。さっきからくらくらするのは、もしかしたら酒のせいもあるのかもしれない。


「……ええと……」


「そこの連中をかばって、俺の吹き矢を受けた。……眠り薬としびれ薬の塗られた、矢だ」


 言いよどむ私の声にかぶせるようにして、ミロシュが言い切る。ニコラの琥珀色の目がすっと細められた。


「つまり、リーズ様の体調が優れないのは君のせいなのですね。どうして治療もせずに、放置しているのですか」


 いらだたしげに、ニコラが吐き捨てる。ミロシュは小さく息を吐いて、ゆっくりと答えた。


「……解毒剤はない。一晩もあれば、自然と治る」


 短い言葉だったが、そこには後悔と謝罪の意がありありと浮かび上がっていた。対するニコラはちっと舌打ちをして、くるりとこちらに背を向ける。


「そうですか。……ならば私は私の仕事をするまで。兵たちよ、反逆者を捕らえなさい。一人も逃がしてはなりません」


「待って!」


 どうやら、ニコラも怒っているようだった。それも無理はないだろう。彼が事情をどこまで知っているかは分からないが、少なくとも私が軽率な行動を取ったことだけは理解しているはずだ。


 そして目の前の若者たちが、私のおかしな行動の原因だということも把握しているようだった。ニコラは彼らのことを、まるで虫でも見るような冷たい目で見つめている。


 この事件の後始末を彼に任せてしまったら、大変なことになる。私やガブリエルはお説教程度で済むだろうし、サラについては弁護してやれるだけの材料がある。けれど、ロブたちはどうなることか。


 ミロシュの腕を放し、重い体をひきずるようにしてニコラの前に立ちはだかった。ガブリエルとミロシュが、少し遅れてついてくる。


「どうしてお止めになられるのですか。彼らはほかならぬ貴女を倒そうとしていたのでしょう。それも、『憂国軍』などと、身の程を知らぬ名を名乗ってまで」


 ニコラの目からは、いつもの落ち着きも余裕も消え失せていた。その琥珀色は、たぎる怒りに震えている。


「見たところ、女王への反乱も、そこの建物への放火も、どちらも未遂に終わっています。彼らが貴女に剣を向けていたことについても、貴女の正体を知らずに行ったことのようですね」


 口調だけは冷静に、ニコラが並べたてる。その落ち着きが、逆に不気味だ。


「貴女が望むのであれば、彼らを比較的軽い罪状で裁くことも可能でしょう」


「だったら」


「しかし私は、彼らを許す気はありません。我が女王陛下にたてついたこと、彼らには存分に後悔してもらいましょう」


 私の言葉をさえぎって一気に言い切ると、彼はいったん口を閉じた。低く押し殺したようなうなり声が、その薄い唇から漏れてくる。


「どんな手を使ってでも、厳罰に処してやります」


 辺りがしんと静まり返る。みな、彼の気迫に飲まれてしまっているようだった。


 けれど私まで、この空気に飲まれる訳にはいかない。今ここでニコラを止められるのは、私だけだ。ゆっくりと息を吸い、一気に吐き出した。腹に力を込めて、思い切り叫ぶ。


「……だったら、その前に私も罰してちょうだい!」


 力一杯叫んだからなのか、少しだけ体が軽くなった。舌をかまないように気をつけながら、一生懸命にニコラに呼びかける。


「彼らがこんな行いに出たのは、元はといえば私のせいよ」


 一声ごとに深呼吸しながら、思いを言葉にしていく。憂国軍の存在を知ってから、ずっと考えてきたことを。


「私は女王になるために、ありとあらゆる手を使ってきたわ。正々堂々と玉座を手にしたとは、とても言えない」


「ですが彼ら民には、何ら不利益を与えなかったでしょう。私たちが追い落としてきた貴族たちに糾弾されるならともかく、ごく普通の民にとやかく言われる覚えはありません」


 やはりいらだたしげに、ニコラが答える。けれど彼の琥珀色の目は、ほんの少し揺らいでいた。


「ええ、そうよ。でも民が望んでいたのは、何ら後ろ暗いところのない公明正大な女王だった」


 これからは、清く正しく国を治めていくつもりだ。その思いが民に広く知られるまでには、まだかなりの時間がかかるだろう。それまでは、ひたすら辛抱あるのみだ。


 そんなことを考えながら、ニコラにゆっくりと微笑みかける。


「たとえ道理にかなっていても、割り切れないことというのはあるものよ。あなただって、さっき似たようなことを言っていなかった?」


 どんな手を使ってでも厳罰に処してやると、彼はさっき確かにそう言った。いつになく、頭に血が上った様子で。


「……それ、は」


 図星を刺されたのだろう、ニコラがわずかにたじろぐ。一瞬訪れた沈黙を、別の声がそっと破った。


「ニコラ殿、私からもお願いいたします。どうか彼らに、やり直す機会を与えてはくれないでしょうか。国の未来を憂いるその思いを、正しく生かすための機会を」


 今の今まで様子見に徹していたジェレミーが、頃合いと見て私たちの間に割って入ったのだった。低く柔らかなその声に、ニコラがわずかに目を見張る。どうやら彼は、ジェレミーの声で少し冷静さを取り戻したらしい。


 そんなニコラを見て、ジェレミーは優しく目を細める。まるで子供に言い聞かせているようにゆったりと、彼は言葉を続けた。


「ひとまずは彼らの身柄を、私に預けてはいただけませんか。陛下が回復なされてから、ゆっくりと彼らの処遇を決めてもよいかと存じます」


 ニコラは戸惑い顔で、口を開こうとする。けれど何も言わないまま、唇をぎゅっと引き結んだ。


 みなが固唾を呑んで見守る中、彼はぎこちなく首を縦に振った。張りつめていた空気が、ふっと緩む。


 ガブリエルが胸に手を当てて、大きく息を吐く。


「良かった……ジェレミー様には、いくら感謝しても足りませんね」


「ええ、本当に、良かった、わね」


 安心したら、急に体が重くなってきた。いよいよ本格的に、薬が回ってしまったらしい。ふらりと倒れかかった私を、ミロシュがすかさず抱き留めた。


 ゆっくりと目を閉じて、彼の胸に額をつけたまま尋ねる。


「これ、一晩すれば……治るのよね」


「ああ。その間、我が君の身は俺が守る」


「僕も、姉様を守ります。ですからどうぞ、ゆっくりと休んでください」


 すぐ近くから、ミロシュとガブリエルの声がする。二人の声は、もうすっかりいつも通りだった。


「ええ……お願いね。それじゃあ、また明日」


 大きく微笑んで、私は意識を手放した。

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