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3.変わってしまったもの

 どうにかこうにか仕事を終え、自室に戻る。女王になる前、私は剣の家の当主として、同じような執務をずっとこなし続けてきた。


 だから、執務が多いこと自体は特に気にしていなかった。ただ、こうして書類の山に忙殺されていると、どうしても思い出してしまう。


 前の人生の、味気ない生活。ただ黙々と執務をこなし、食事をして眠る。それ以外、何もない生活。女王としてどう生きるかという道しるべを持たなかったせいで、ただ空しさしか感じられなかったあの日々を。


 乱雑に服を脱ぎ捨てながら、暗い記憶を振り払う。そのまま一人で寝間着に着替えて、寝台に倒れこむ。天蓋から優雅に垂れ下がる布を、ぼんやりと見つめた。


 普通の女王であれば、着替えから何から、たくさんの侍女に囲まれ続けて暮らす。けれど私は、最低限の侍女のみを傍に置き、できるだけ自分のことは自分でこなすようにしていた。


 理由は単純だ。私には、敵が多いからだ。だから周囲に置く人数は、最低限に留めたかった。


 五年前、十二歳で剣の家の当主となった私は、まず一族の者たちをまとめ上げなくてはならなかった。幼い私が当主に選ばれたことが不満だったのか、こそこそと陰で良からぬことをたくらむ者も一人や二人ではなかった。


 一族の者は海千山千のくせ者ぞろいで、そして私の味方はあきれるくらい少なかった。


 だから私は、ありとあらゆる手を使ってきた。権謀策術は当たり前、時には暗殺なんて手段も。その結果、一族の手綱を取ることには成功した。けれどその結果として、私は潜在的に敵を抱えることになった。


 それだけではない。新たな王を選ぶための勝負の場でも、私は同じような手を使い続けてきた。そうして私は、悪の女王と呼ばれても仕方のない存在になった。たぶんその過程でも、敵は増えていったと思う。


 あの頃は、女王になることしか考えていなかったから、手段を選びはしなかった。けれど今は、そのことを後悔している。


 前の人生の、最期の瞬間を思い出す。燃え盛る炎に包まれる王宮、その玉座から見た光景を。胸が引き裂かれるような、あの思いを。


 内乱を防ぐために、これ以上敵を増やしてはいけない。これからは、もう後ろ暗い手段を使ってはならない。そのことは分かる。


 でもそれだけでは駄目だ。きっと私の知らないところで、物事は動いている。一刻も早く手を打たなくては、またあの破滅がやってくる。それなのに、何をどうすればいいのかがちっとも思い浮かばない。


 大きな羽枕を抱えてうつ伏せになり、深々とため息をつく。


「……どう動いていいのか分からなくても、動くしかない」


 私には、迷っている時間すらない。


「私自身が動くには限界がある。まずは広く国中を調査させるしかない。具体的な方法については、ニコラに相談すれば……」


 そうつぶやいて、ふと口をつぐむ。このまま素直に、ニコラを頼ってしまっていいのだろうか。そんなことを考えてしまったのだ。


 前の人生で、彼は私を見限った。彼がいなくなったと知った時は、とても悲しかった。どうして彼がそんなことをしたのかは、未だに分からない。


 うかつな行動をとったら、また彼に見限られてしまうかもしれない。そうなったらきっと、前以上に悲しく感じられるだろう。


「……本当に、どうしたらいいのかしら。たった一人で、あの破滅に打ち勝てるのか……」


 また仰向けに転がって、ため息をつく。すっかり疲れ果ててしまっているのに、どうにも目が冴えて眠れない。


 ここで悩んでいても仕方がない、さっさと休むのが一番だ。そう分かっていても、起き出して執務室に戻りたいという気持ちがわき起こり続けていた。戻ったところで、打つべき手は何も浮かんでいないのに。


 結局その気持ちに負けてしまい、ゆっくりと上体を起こす。その時、ごく控えめに扉を叩く音が聞こえてきた。


「リーズ様、起きておられますか」


 続いて、ニコラの抑えた声が聞こえてくる。ええ、まだ起きているわ、と答えると、彼は静かに言葉を続けた。


「安眠に導くお茶をお持ちしましたが、いかがいたしましょう」


 特に拒む理由もないので、そのまま彼を迎え入れる。彼は茶器一式が乗せられた銀のお盆を手に、無駄のない足取りで近づいてきた。


 彼と出会ってから五年、その間に幾度となく彼はこうやってお茶を持ってきてくれていた。それも、私が疲れていたり悩んでいたりする時に。


 彼はそれだけ、私のことをよく見て、私の身を案じてくれているのだ。もしかすると、彼は私自身よりも私について詳しいかもしれない。


 慣れた手つきで支度を整えるニコラをぼんやりと眺め、湯気を立てるティーカップを受け取った。いつもと同じ、優しい味がする。


 弱気になっていた私の心を、お茶はそっと温めてくれた。その拍子に、つい本音がこぼれ出る。


「ねえ、ニコラ……私、逃げてしまいたいの。どこか遠くへ、ガブリエルを連れて。そうして、静かに穏やかに暮らしたい」


 ガブリエルは私のことを慕ってくれている。だったらそうやって二人で逃げてしまうのが、一番簡単な解決法のように思えた。どこでどう起こっているか分からない内乱を阻止するより、彼を連れて民から逃げ切るほうがまだたやすいように思えたのだ。


 ニコラはお茶のポットを手にしたまま固まっていたが、やがて大きく息を吐き、ポットを盆に戻した。いつもより少し大きなかちゃん、という音が、静かな室内に響く。


「……冗談にしては笑えませんね。どこか、お加減でも悪いのですか」


「どこも悪くはないわ」


 私の答えに、ニコラの琥珀色の目が不安げに揺れる。この五年間、一度も見たことのない表情だった。


「ならばどうして、女王の座を捨てるなどと言い出されたのですか。ずっと貴女が何よりも望んできたものを、ようやく手に入れられたというのに」


 いつも静かに落ち着いている彼の声が、だんだん上ずってきた。彼は一歩進み出ると、寝台に腰かけたままの私の手を取り、握りしめた。その間も、彼の目はまっすぐに私の目を見つめ続けている。


「それだけではありません。ずっと無視し続けてきた、ありていに言うなら疎んじておられたガブリエル様に、あのように優しい声をかけられるとは。いったい、どういう心境の変化なのでしょうか」


 つかまれた手が痛い。彼は無意識のうちに、力を込めてしまっているようだった。それくらい、彼は取り乱している。ほかならぬ、私のせいで。


 どう答えよう。ありのままをそのまま答えても、信じてもらえるとは思えない。何かそれらしいことを言って、煙に巻いてしまおうか。そう考えて、すぐに思い直す。


 ニコラはとても聡明で、私のことをよく知っている。下手な嘘やごまかしは、通じそうになかった。


 覚悟を決めて、大きく息を吸う。


「……私は、破滅の未来を見てきたの」


 さすがの彼も、何のことなのかすぐに理解できなかったらしい。ニコラの眉間に、かすかにしわが寄った。


「その未来では、国中を巻き込む大きな内乱が起こってしまった。私の、過去の行いのせいで。そうして私は、燃える王宮で命を落とした」


 空いた方の手を彼の手に重ね、そっと握りしめる。


「もう、死にたくない。でもこうしている間にも、きっとどこかで内乱の芽が生まれていると思う。なのに、どう対処していいか分からない。そのことが恐ろしくて、逃げたいだなんて言ってしまった」


 小さく息を吐いて、微笑みかける。極限まで見開かれたニコラの琥珀色の目に、部屋の明かりが映り込んで揺らめいていた。


「ごめんなさいね、動揺させてしまって」


 ニコラは呆然としていたが、やがて大きく息を吐き、肩を落とした。


「……にわかには信じがたい話ですが、真実なのでしょう。そうでなければ、貴女があのようなことを口にされるはずはない」


 自分自身に言い聞かせるような口調で、ニコラがつぶやく。彼は一度目を伏せて、それからまたこちらを見つめた。


「リーズ様、ひとまずその内乱とやらを阻止いたしましょう。私も助力いたします。ですから、どうか……女王としての座を捨てて逃げるなどと、二度と口にしないでください」


 すがるような目で、彼は訴える。まるで子供のような心細げな表情が、その顔にははっきりと浮かんでいた。


「ええ、約束するわ。もう逃げたりしないと」


 そのまま私たちは、じっと見つめ合っていた。ありがとうございます、というささやき声が、かすかに聞こえてきた。


 やがてニコラは私の手を放し、ゆっくりと立ち上がった。気まずそうに咳払いをし、優雅に頭を下げる。


「……夜分遅くに、お騒がせいたしました。どうか、良い夢を」


 部屋を出る時にちらりと見えた彼の顔には、かすかな笑みが浮かんでいるように思えた。

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