27.*右腕と影の密談
「君がわざわざ私のところに来るとは、珍しいこともあったものですね」
夜遅く、リーズが眠りについた後。ミロシュはただ一人、ニコラの部屋を訪れていた。
ニコラは相変わらずの無表情だったが、その眉間にはほんの少しだけしわが寄っている。一方のミロシュは、彫りの深い顔を引き締め、とても真剣な表情をしていた。
「俺も、ここには来たくなかった」
「そうでしょうね。そんな君が来たということは、リーズ様にかかわることですか。手短に話してもらえますか」
リーズに対するうやうやしい態度とはまるで違った、高圧的で鋭い目でニコラはミロシュをにらみつけている。意外と抜けているリーズは気づいていなかったが、これが彼の素の顔なのだった。
ミロシュは小さくうなずくと、静かに話し始める。
「我が君は、このところ頻繁に城下町に出かけている」
「それは私も知っています。リーズ様には『剣』があるし、認めたくはないですが君もついている。多少の息抜きくらい、問題ないでしょう」
「我が君が出入りしているのは、反徒の拠点だ」
こともなげにミロシュが口にした言葉に、ニコラがはっきりと顔をしかめる。
「反徒? 今のところ王都におかしな動きはないと聞いていますが」
「今のところは、血の気の多い若者が集まっているだけだ。ただその思想は、間違いなく反徒そのものだ」
ニコラはふうと息を吐いた。苦々しい声で、低くつぶやく。
「全く、人騒がせですね。それならば今のうちに、全員捕縛してしまいましょう。兵を差し向けますから、さっさと拠点の場所を言ってください」
それで万事解決だろう、とばかりにニコラは肩をすくめる。そんな彼に、ミロシュは真顔のまま首を横に振った。
「それは我が君の意志に反する」
「どういうことですか」
「我が君は、可能な限り穏便な解決を望まれている。そのために自ら、彼らについて探っている」
ミロシュの言葉に、ニコラは椅子の背もたれによりかかって深々とため息をついた。
民が蜂起し内乱が起こった未来を見たと、リーズはニコラにそう告げていた。ニコラはその言葉を全て信じた訳ではなかったが、それでも彼女がその未来を本気で回避したいとやっきになっていることは理解できていた。
その未来を知ったせいなのか、彼女の行動は大きく変わってしまっていた。かつての彼女であれば、反徒などさっさと捕らえておしまいにしていただろう。自ら潜入してまで彼らの事情を知ろうなどとは、絶対にしなかったはずだ。
変わったのは、それだけではない。彼女はガブリエルを大切に扱うようになり、ミロシュを日の当たる世界に引っぱり出した。かつて敵対していたアネットやセレスタンとも、すっかり友好的な関係を築いてしまっていた。
ニコラは目線を動かして、近くに立っているミロシュの顔を見すえる。その浅黒い顔には、以前にはなかった朗らかさのようなものが浮かぶようになっていた。リーズの身を守るようになってから、彼もまた変わっていた。冷徹な暗殺者から、誇り高い護衛へと。
「……あの方は、変わられた。そして周囲を、変えていく……」
どことなく悔しげに、ニコラが目を伏せる。ミロシュはその表情の中に、寂しさのようなものをかぎ取っていた。しかしあえてそのことには触れずに、淡々と言葉を返す。
「ニコラ。俺も、我が君の行いには反対だ」
ミロシュの言葉が予想外のものだったのだろう、ニコラがはじかれたように顔を上げた。
「お前の言う通り、我が君は変わられた。俺は、その変化を肯定する。しかし今回の行いは、危険だ」
ニコラが琥珀色の目を見張る。ミロシュはもっと明るい満月色の目をまっすぐにニコラに向けて、きっぱりと言い放った。
「俺は我が君を止めたくはない。しかし我が君の身に危機が迫ったなら、それを取り除く。我が君の意に反してでも」
「……君も変わりましたね。前はもっと、意志のない忠犬だったというのに」
どことなく皮肉を込めた口調で、ニコラが口を挟む。ミロシュはそれにはまったく取り合わず、さらに続けた。
「しかし、もしもということがあるかもしれない。だから、お前も協力してくれ」
「いざという時に備え、リーズ様をお守りするための手はずを整えておけと、そういうことですか。……思うところは多々ありますが、そうすべきなのでしょうね」
「頼む。それでは」
用件は済んだとばかりに、ミロシュがきびすを返す。その背中を、ニコラは黙り込んだまま見送っていた。
ニコラの部屋を後にしたミロシュは、リーズの部屋のすぐ隣にある自室に向かっていた。リーズの護衛を担当すると決まった時に、彼はここに移り住んでいたのだ。
この部屋には、リーズの寝室に通じる隠し通路がある。ここにいれば、いつでも彼女のもとに駆けつけることができる。今の彼には、ここ以外の部屋で休むなど考えられなかった。
足音もさせずに自室に入り、耳を澄ませる。長年暗殺者として働いてきたことで研ぎ澄まされた彼の耳には、リーズの穏やかな寝息が聞こえていた。そのことに、ほっと胸をなでおろす。
「我が君……あなただけは、何があっても守り抜く」
隠し通路のある壁をまっすぐに見つめ、ミロシュは静かに言う。眠るリーズに語り掛けているような、優しい声だった。
「十年前、俺を拾ってくれたあの時から……俺の全ては、あなたのものだ」
ミロシュは壁に手をついて、額をこつんと壁につける。紫がかった灰色の髪が、さらりとこぼれて彼の顔を隠していた。
彼の胸には、かつてリーズにもらった言葉が今も刻まれていた。彼は親とはぐれた末に奴隷として売られ、そこから命からがら逃げ出したものの、裏路地で力尽きてただ静かに死を待っていた。そうして物陰に倒れ伏していたら、場違いに軽やかな少女の声が降ってきたのだ。
『こんなところで倒れて、どうしたの』
その時のミロシュには、そちらを見る気力すらなかった。目を閉じたまま、放っておいてくれ、とだけ答えたのだ。
『放っておいたら、あなたは死んでしまうわよ?』
さらに重ねて、彼女は問う。ミロシュはわずらわしさに眉をひそめ、別に構わない、とつぶやいた。
するとリーズは、彼のかたわらにひざをついて、彼の頬に触れてきた。さすがに驚いた彼が目を開けると、彼女は高らかに言い放った。
『あなたが生きるのをあきらめてしまったというのなら、その命は私がもらうわ。これからは私が、あなたの生きる理由よ』
彼はそれから、その言葉を支えに生きてきた。彼はリーズの力となるため、自ら進んで暗殺者となった。その選択を、一度たりとも後悔したことはなかった。全てはリーズのためだったのだから。
そしてこれからは、この手で彼女を守っていく。突然与えられたこの新しい任を、彼はたいそう気に入っていた。より分かりやすく彼女の役に立てるだけでなく、大切な主をすぐ近くで見ていることができる。
彼女は最初の頃こそ落ち着かない顔をしていたが、やがて彼が陰から見守っていることにも慣れ、自然な表情を見せるようになっていた。女王として肩ひじ張っていないときの彼女は、とても愛らしい、年頃の少女の顔をしていた。
降ってわいた特権に思わず微笑みながら、ミロシュはじっと壁を見つめていた。その向こうで眠るリーズの姿が、見えているかのように。
ミロシュが去った部屋の中、ニコラは一人ぼんやりと宙を見つめていた。普段ほとんど表情を変えない彼にしては珍しく、途方に暮れたような、ひどく心細げな顔をしていた。
「どんどん、リーズ様が遠くなってしまわれる……」
彼が彼女と出会った時、彼女はまだ十二歳の少女だった。しかし彼女は既に王者の風格を備えていた。彼女は初対面のニコラに、いきなりこう言い放ったのだ。
『私はどんな手段を使ってでも、剣の家をまとめ上げなくてはならないの。だから私は、あなたに賭ける。あなたがいれば、きっとその目的は達成できる』
その言葉に、当時のニコラはこう問いかけた。もしも目的が達成できなかったり、自分が裏切ったらどうするのか、と。
リーズは優雅に微笑んで、こう答えた。
『その時は、自分の見る目がなかったとあきらめるわ。とにかく今は、これが最善の道なの』
その言葉に、ニコラは心奪われた。そうして彼は、彼女の右腕となった。
リーズにとって腹心と言えるのはニコラとミロシュの二人だけ、しかもミロシュはただ命令をこなすだけの道具に等しい存在だった。リーズに知恵を貸せるのは、彼女を本当の意味で支えていけるのは、ニコラだけだったのだ。
彼は、リーズの共犯者であることに喜びを感じていた。後ろ暗い策略の数々を通して、彼はリーズと堅く結びついていると、そう思っていたのだ。
しかし今の彼女は、もうすっかり別人のようになっていた。女王としての威厳を備えつつも、年頃の少女らしい顔を見せるようになっていた。ぎこちないながらも、他者への思いやりや愛情を示すようになっていた。
きっと彼女は、みなに愛される女王になるだろう。彼女が見たという破滅の未来は、もう訪れないに違いない。
それはリーズにとって、とても喜ばしいことだった。けれどニコラは、苦しいと思わずにはいられなかったのだ。
「……リーズ様……私はあの頃が、懐かしい。周りには敵しかいなかった、あの頃が」
ひどく切なげなその声は、誰に聞かれることもなく夜の闇に吸い込まれていった。




