22.悪夢のきれはし
サラは、私たちを港のはずれにある大きな倉庫に連れていった。この辺りは港の中でも人通りが特に少ないということもあって、昼間だというのに辺りはしんと静まり返っていた。ただ波の音だけが、辺りに響いている。
「こちらへどうぞ」
倉庫の裏側に隠れるようにしてついている小さな扉を開け、サラは中に入っていく。その中には雑多な荷物が所狭しと積み上げられ、まるで迷路のようになっていた。
その間を縫うようにして進むと、倉庫の片隅の床がぽっかりと切り取られているのが見えた。どうやらそこには、石造りの下り階段があるようだった。
階段の壁はむき出しの岩肌で、足元も岩を削り出したものだった。足を滑らせないように気をつけながら階段を降りていくと、その先は同じような岩の通路になっていた。この階段や通路は、自然にできた洞窟に手を加えたものだろう。
細くて長い地下通路の突き当たりには質素な木の扉があり、その前に番人らしき男が座っていた。よく鍛えられた体をしているが、身なりといい雰囲気といい、ごく普通の平民のように見える。港の荷揚げ人足といったところだろうか。
サラはその男性に近づくと、小声で何やら話し込み始めた。やがて男性が立ち上がり、扉を開ける。
そのとたん、予想もしていなかったざわめきが扉の向こうからあふれ出てきた。
扉の向こうは天井の低い、広い部屋になっていた。天井も壁もごつごつとした岩がむき出しになっていて、床だけがかろうじて平らに加工されている。壁のあちこちには窓のような穴が開いていて、すぐ近くに海が見えていた。
部屋の中には様々な机が置かれ、椅子もある。ちょうど、城下町の食堂のような雰囲気だった。
そこでくつろいでいたらしい人たちが、驚きと警戒もあらわにこちらを見ていた。集まっているのは二十名ほどだろうか、そのほとんどは若い男性だ。ところどころに、女性の姿も見えている。
アネットが尻込みしたように半歩下がる。サラは背筋をぴんと伸ばしたまま、部屋の真ん中まで進み出た。アネットをうやうやしく指し示し、静かに告げる。
「冠の家の当主、アネット様をお連れしました」
その一言に、部屋の中が静まり返る。思わず身構えた次の瞬間、私はわき起こる歓声に圧倒されてしまった。
「アネット様、どうか私たちをお導きください!」
「俺たちの、旗頭に!」
一気に注目を浴びたアネットが、動揺を隠せずに問いかける。サラに、そして周囲の人間たちに。
「あの、いったい何のことですか?」
彼女の消え入りそうなつぶやきに、その場の全員が唱和する。
「あの悪の女王の圧政から民を解放するために、どうかお力を貸してください!」
悪の女王。その言葉に、一気に血の気が引いた。あの前の人生で、民は口々にその名を叫んでいた。悪の女王を、私を倒せと高らかに叫びながら、武器を手に王宮に押し寄せてきた。
あの時の私は、何もかもに疲れてしまっていた。女王としての暮らしを、たった一人で続けていくことに絶望していた。このまま終わりにしてくれるならそれもいいかもしれないなと、そんなことを考えていた。
でも、今は。あの記憶を思い出しただけで、恐ろしくてたまらない。みなと共にあるこの暮らしを、壊されたくない。
震えそうになる体を、懸命に抑え込む。お腹のところで両手をぎゅっとにぎり合わせ、耐える。
そんな私には目もくれず、周囲の人間たちは熱狂的に言い立てる。
「新しい女王は、それはもう悪辣極まりない外道なのだという話だ」
「女王を放っておけば、いずれこの国は傾くだろう」
「だから俺たちは、声を上げたのだ。悪の女王を倒すために」
あまりの勢いに戸惑いつつ、アネットがちらりとこちらを見る。その顔は、大丈夫? と言っているようだった。彼女も訳が分からないなりに、私が罵倒されていること、この場で私の正体を知られるのは良くないということを悟っているらしい。
「アネット様が私たちの先頭に立ってくだされば、さらに多くの者が集まります。私たちはまた一歩、目的に近づけるのです」
彼らはそんなことを熱心に口々に言いながら、きらきらとした目をアネットに向けている。
あの破滅の未来、そこで反乱軍を率いていたのはアネットだった。きっとあの時も、彼女はこんな風に引っ張り出されてきたのだろう。
ここで彼らを、彼女を止めなくてはいけない。そうでないと、あの未来に一気に近づいてしまう。そう分かっているのに、私の舌は縫い留められたように動かなかった。ここでしくじってしまったら。そんな恐怖に、勝てなかったのだ。
「その、わたしとしては、できればお断りしたいんだけど……」
ぐるぐるとめぐる恐怖のらせんを断ち切ったのは、アネットの軽やかな声だった。
「わたし、女王のことを知っているの。とっても強くて、ちょっと怖いところもあったけれど、すっごくいい人よ」
不満のどよめきが、周囲から漏れる。アネットは苦笑して、さらに続ける。
「あの人に敵対するなんて、わたしは嫌だなあ」
「アネット様は、だまされているんだ!」
ほんわかとした彼女の声を、誰かの叫びがかき消す。たちまち辺りは、驚くほど騒がしくなってしまった。
もうすっかり収拾がつかなくなってしまっている。アネットは困り顔でこちらを見たが、私も恐怖を顔に出さないようにするので精いっぱいだった。
このまま暴動になったりしなければいいのだけれど、とおびえた頭でぼんやりと考える。もしそんなことになったら、隠れて私たちの後をつけているミロシュがどう出るか分からない。
彼は間違いなく、私の身の安全を最優先させる。たぶんアネットのことも守ってくれるとは思うが、周囲の人間たちについては命の保証ができない。
こんなことなら、サラの申し出を断っておけばよかった。今さらながらにわき上がる後悔の念に、ぐっと唇をかみしめる。
「全員、静粛に!」
大混乱の部屋の中に、サラの声が響き渡る。全員が黙ったのを見届けて、サラがアネットの前で膝をついた。
「アネット様、どうか私たちに機会をいただけないでしょうか。私たちの考えについて、しっかりと知っていただく、そのための機会を」
「ええっと……まあ、それくらいなら……」
しぶしぶうなずいたアネットの言葉に、また部屋中から歓声が上がった。私はそれを、唇をかみながらただ聞いていた。
ここのことは口外しないことと、また折を見てここを訪ねることを約束して、私はアネットと共に帰路についた。途中まで見送ってくれたサラに別れを告げ、二人でとぼとぼと王宮へ戻っていく。
「……大変なことになっちゃったね。それより、大丈夫? ずっと顔色が悪かったけれど」
「え、ええ。ちょっと驚いただけだから。まさか、あんなふうに言われるなんてね」
「ひどいよね。女王様は強くてちょっと怖いけど、悪い人じゃないのに。あの人たち、どうしてあんなことを言ってるのかなあ」
「ありがとう、アネット」
一瞬、アネットに打ち明けてしまおうかと思った。私が見てきた、あの破滅の未来について。口を開きかけて、思いとどまる。
アネットには今のまま、無邪気なままでいて欲しかった。あの未来のことを知ったら、きっと彼女は悲しんでくれるだろう。私のことで彼女が顔をくもらせるのは、何だか嫌だった。
だから何も言わずに、ゆっくりと微笑んでみせた。アネットは何か言いたそうにしていたが、彼女も黙ったまま微笑み返してきた。
そんな私たちを、傾き始めた太陽が優しく照らしていた。




