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20.*少女の恋物語

 アネットは夢心地だった。一度会ったきり、ずっと会えなかったあの人にようやく会うことができたからだ。それもこれも、みんなリーズのおかげだった。


 困り果てていたアネットに、リーズは鮮やかに解決策を示してくれたのだ。やはり、リーズはとても頼りになる。


 寝台に入っているのに、興奮からかアネットは中々寝付くことができなかった。枕をぎゅっと抱きしめる彼女の頭を、様々な思い出がよぎっていく。




 彼女が初めて彼、エルデに会ったのは、新しい王を選ぶための勝負、そのまっ最中のことだった。その日、珍しく彼女は落ち込んでいた。


 領地の統治はうまくいかないし、冠の家の人たちは彼女に冷たいし、通りすがりのリーズにはお説教されてしまった。そんなことが積み重なって、ちょっとだけ彼女はしょんぼりしていたのだった。


「リーズも励ましてくれているんだし、頑張らないといけないのは分かってるんだけどなあ」


 そんなことをつぶやきながら、彼女はとぼとぼと城下町を歩いていた。実のところリーズがアネットに投げかけたのは、説教というよりも嫌味に近いものだった。しかし妙なところで鈍く、そして異様に前向きなアネットは、そのことに気づいてはいなかった。


 重い足取りで歩き回るうちに、アネットは静かな一角にある公園にたまたまたどり着いていた。泉のほとりで足を止め、思いつめた表情で周囲をきょろきょろと見渡す。


 誰もいないことを確認してから、彼女は『冠』を呼び出した。繊細で美しい金の環が、彼女の頭にふわりと浮かび上がる。額のところには、彼女の瞳の色をそのまま映したような水色の宝石が輝いていた。


 この『冠』は、気軽に呼び出していいものではない。彼女はそのことを十分に理解していたが、この時は辛さのほうが勝ってしまっていたのだ。


「ねえ、そこのあなた、ちょっと話を聞いて欲しいの」


 周囲の茂みに向かって、アネットは呼びかける。そこから飛び出してきたのは、手のひらにすっぽりと収まるほど小さな灰色のリスだった。


 リスは彼女の足元にやってきて、黒いつやつやとした目で彼女を見上げる。アネットは微笑むと、泉のほとりの草地に腰を下ろした。


「……わたしね、王様になんてなりたくないし、当主の仕事も向いてないの。それなのに、こんなところにくる羽目になっちゃった。これが私を選んだせいで」


 しんみりとつぶやきながら、アネットは『冠』に手を伸ばす。リスが彼女の腕を駆け上がり、肩にちょこんと座った。ふわふわの尻尾が、彼女の頬をくすぐる。


「ふふ、くすぐったい。……はあ、これさえなければ、今すぐにでも村に帰れるのになあ」


 彼女の頭にはまっている『冠』、そしてリーズが持つ『剣』とセレスタンが持つ『盾』。これらの聖具を有する者は、それぞれの家の当主となると決められている。


 そして、聖具は他の者に譲り渡すことはできない。持ち主が死ぬまで、ずっと持ち主と共にあるのだ。


 そんな事情から、冠の家の一部の人間はアネットを亡き者にして当主の首をすげかえようと企み始めていたのだが、彼女はそんな動きには気づいていなかった。冠の家の人たちは、みんなわたしには冷たいな、と悩んでいるくらいで。


 ただ、アネットは疲れていた。ずっと自然豊かな田舎の村で静かに暮らしていた彼女にとって、王都での暮らしはあまりににぎやかで、刺激の多いものだったのだ。


 綺麗な街並み、ずらりと並ぶ店、当主としての豊かな暮らし、そういったものは彼女にとっては素晴らしく魅力的ではあったけれど、それでも彼女はずっと思い続けていたのだ。故郷に帰りたい、と。


 手の上にリスを乗せて、彼女はあれこれと思いついたことを喋り続ける。リスはあいづちを打つように、可愛らしく鳴き声を上げていた。


 ぽかぽかと温かな日差しに、そっと頬をなでていくそよ風。木々は静かにこずえを揺らし、花は誇らしげに咲き誇っている。


 それはとても、気持ちのいい日だった。こんな風に愚痴を言い続けているにはもったいないほどに。彼女はふと、そう思う。にっこりと笑って、リスを地面に下ろした。


「だいぶ気分も軽くなったし、そろそろ戻らなくちゃ。話を聞いてくれて、ありがとう」


 そうして立ち上がり、彼女はくるりときびすを返す。


 いつからそこにいたのか、見知らぬ男性が彼女を優しい目で見ていた。




「あれって絶対、ひとめぼれだったよね……」


 思い出した勢いで恥ずかしくなったのか、寝台の中でごろごろと転がりながら、アネットははしゃいだ声を上げる。


 あの時、エルデは驚くくらい周囲の風景に溶け込んでいたのだ。故郷の野山を思わせる緑豊かな風景の中、ごく自然に立っている男性の姿に、彼女の目は釘付けになってしまった。


 いつも快活で人懐っこいアネットだったが、彼相手にはろくに口もきけなかった。彼女はこれまでにないほど、胸が高鳴っているのを感じていた。顔を真っ赤にしたまま黙り込む彼女に、彼は優しく笑いかけてくれたのだった。


「こんにちは、ここは素敵な場所だね」


 彼がかけてくれたそんな言葉を、アネットは今でもしっかりと覚えている。それから二、三言葉を交わして、彼女は勇気を出して訪ねたのだ。また会えますか、と。


「気持ちのいい日、気持ちのいい場所にぼくはいるよ」


 エルデはためらうことなく、そう答えた。それ以来アネットは、執務の合間を縫ってはあの公園に足を運び続けた。エルデの言葉の意味をいまいち理解できていなかった彼女には、そんなことしかできなかったのだ。


 最初の頃彼女は、どうしてそこまでして彼に会いたいのか分かっていなかった。けれど幾度となく彼を探し、待ち続けているうちに、彼女はようやく自分の気持ちに気がついたのだった。


 どうしても、エルデに会いたい。彼女は、もうそれしか考えることができなくなっていた。彼女の頭からは、故郷に帰りたいという気持ちすら吹き飛んでいた。もちろん、自分が次の王の候補であることなど、彼女は完全に忘れ去っていた。


「でも、結局あれからずっと会えなかったんだよね……」


 あの頃の悲しい気持ちを思い出して、アネットは枕を抱きしめてしゅんとする。空振りが続いたせいで、もう二度と彼には会えないのではないかと、彼女はそんなあきらめの気持ちを抱くようになっていたのだ。


 だから彼女は戴冠式の後、セレスタンが差し伸べた救いの手をためらうことなく取った。もうエルデには会えない、故郷にも戻れそうにない。ならば少しでも、落ち着いて暮らせるところに行こうと、そう彼女は決めたのだった。


 それがひょんなことから、また王都に滞在する機会を得てしまった。アネットは矢も盾もたまらず、エルデを探して出かけるようになってしまったのだ。それでもやはり、彼女は彼を見つけることができなかった。


「本当に、リーズには感謝しないとね」


 リーズのおかげで、エルデに会えた。リーズが背中を押してくれたから、アネットは勇気を出して、エルデと次に会う約束を取りつけることができたのだ。ちゃんと日時と場所を決めて、丸一日、二人一緒に過ごす約束を。


「お礼、したいな……」


 うっとりとした顔で天井を見上げながら、アネットがつぶやく。どうにかしてリーズに感謝の気持ちを伝えたいと、彼女は強く思っていた。


「できることなら、お仕事を手伝ってあげたいけど……たぶん、余計に邪魔になっちゃうし」


 アネットは王宮に来てから、リーズたちの仕事ぶりを目にする機会に恵まれた。恐ろしく有能なニコラと、気弱そうに見えて着実かつ大胆に仕事を片付けているガブリエル、その二人に助けられながら、リーズは猛烈な勢いで執務をこなしていた。


 それを見て、アネットはつくづく思った。こんな人たち相手に、勝てる訳がなかった。リーズが女王になってほんとに良かったなあ、と。


「だったらやっぱり、あれかな」


 彼女はくすりと笑い、頭の中で計画を立て始める。きっとリーズも、喜んでくれるはずだ。そう思うと、彼女は心が浮き立つのを感じていた。


 大切な友人を喜ばせるための、素敵な計画。それを考えているうちに、いつしかアネットは幸せな眠りに落ちていた。

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