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2.私たちは生きている

 そうして私は、女王としてもう一度この国を治めることになった。


 今度こそ、内乱を未然に阻止してみせる。そう誓ったのはいいけれど、正直なところ困り果ててしまっていた。


 女王としての執務、処理しなくてはならない書類の山に、私はつかまってしまっていたのだ。これでは、内乱を阻止するために行動を起こす暇すらない。


 だいたいこの書類というものは、明らかに数が多すぎる。処理しても処理しても、一向に減ることがない。目を離した隙に勝手に分裂して増殖していたとしても驚かない。


 視線をさまよわせながら、前の人生の記憶をたどる。


 確か、即位してから一か月くらいは、特に書類の量が多かった。新たな女王が即位したことに伴い、細々とした事柄を決める必要があったからだ。その間は、毎日朝から晩まで書類仕事に追われていた。おそらく今回も、同じ目に合うのだろう。


「前回と同じことをしていたら、また同じ破滅がやってくる。急いで手を打たなくてはいけないのに……」


 燃えゆく王宮と共に私が最期を迎えたのは、即位からちょうど半年経った日のことだった。それでなくても残り時間は短いのに、一か月も拘束される訳にはいかない。


 もどかしさにぎりりと奥歯をかんだ時、行儀良く扉が叩かれた。どうぞ、と声をかけると、きびきびとした動きで男性が部屋に入ってきた。


 とろりとしたつやのある黒髪を短く整えた、姿勢のいい細身の男性だ。機能性を重視した、飾り気のない略装に身を包んでいる。その後ろには、相変わらずおどおどとしたガブリエルまでくっついてきている。彼もまた、昨日のものとは違う簡素な略装をまとっていた。


「陛下、執務の進み具合はいかがでしょうか」


 黒髪の男性はこちらに一礼すると、はきはきと尋ねてくる。あふれる知性を感じさせる、軽やかで流れるような口調だ。


「今まで通りに呼んでちょうだい、ニコラ。……まあ、それなりには進んでいるわ」


 ニコラとは長い付き合いだ。私が女王になるより前から、彼は私の右腕として働いてくれている。そして彼はずっと、私のことを『リーズ様』と呼んでいたのだ。


 前の人生で彼は、やはり私のことを『陛下』と呼ぶようになった。けれど彼は、私を捨てた。内乱が起こってしばらくした頃、なおもぼんやりと生きていた私を置いて、ある日突然行方をくらましてしまったのだ。


 彼に『陛下』と呼ばれた瞬間、そんな記憶が一気によみがえってきた。彼がいなくなってしまった時に感じた空しさと、ちりちりと静かに胸を焦がす悲しみも。


 だからとっさに、彼の呼び方を改めさせてしまった。そうすることで、あの破滅の未来からさらに一歩遠ざかることができるのではないかと、そんな馬鹿げた思いもあった。


 しかしニコラは琥珀色の目をわずかに見張り、いつもよりほんの少しだけ長く、私の目を見つめていた。普段ほとんど表情を変えない彼が、こうもはっきりと動揺を表に出すのは珍しい。


 けれど、それも当然だろう。私は長い間、ただ女王になることだけを夢見ていた。陛下と呼ばれる日を、ずっと待ち望んでいたのだ。


 彼は誰よりも、そのことを良く知っているのだから。ここにいる彼は、夢をなくした私がすっかり抜け殻のようになり、無気力に日々を過ごすようになってしまうだなんて知らないのだから。


「……承知いたしました、リーズ様」


 彼はまだ戸惑い気味だったものの、ほぼいつも通りの無表情に戻ってそう返事をした。その顔を見ているうちに、ふと思いつく。


「ちょうどいいわ、手伝ってもらえるかしら。さすがに、執務の量が多すぎるのよ」


「そうおっしゃられると思っておりました。重要度の低いものについて、女王代理として処理いたします。それらの内容については、後程まとめて報告いたしますので」


 突然のそんな頼みにも、彼は顔色一つ変えずにうなずく。相変わらず冷静で、そして飲み込みが早い。というより、彼は私が助けを必要としていると予想していたらしい。


「ええ、任せたわ」


 ニコラはとても優秀だ。彼が協力してくれるなら、この書類の山もじきに片付くだろうし、内乱に対抗するための対策を練る時間を作れそうだ。


 実のところ、内乱を阻止するために何をすればいいのか全く分からない。破滅が訪れるのは半年後だが、おそらくもう内乱の芽は国中に芽生えているだろう。それを叩きのめすなり解消するなりしなくてはいけないのだが、どこにあるかが分からない。


 ニコラに気づかれないように、そっとため息をつく。


 前の人生で私は、何も考えずに過ごしていた。灰色の日々を、ただ無気力に。そのことを、今さらながらに後悔する。


 あの頃、もっときちんと頭を動かしていたなら。もっと色々なことに、目を向けていたなら。そうすれば、今のこの状況を打開する手を思いつくことができたかもしれないのに。


 すっと目線をそらしたその時、ガブリエルの姿が目に入った。さっきまで彼はニコラの後ろに隠れていたのだが、ニコラが書類仕事に取り掛かってしまったせいで、一人取り残されてしまっていたのだ。扉のすぐ前に立ち、もじもじと居心地悪そうにしている。


「……それで、ガブリエルは何の用なのかしら」


 小首をかしげながらそう尋ねる。よほど驚いたのか、ガブリエルはびくんと身を震わせ、つっかえながら答えた。


「あ、あの……その、僕にも何か、お手伝いできないかなって、そう、思って。雑用とか、でも」


 思わぬ申し出に目を丸くする私に、ニコラが冷静に言葉を添える。


「私としてもガブリエル様をここにお連れするつもりはなかったのですが、しつこく頼み込まれてしまいましたので」


 そう言う彼は、どことなく迷惑そうな目をしていた。ガブリエルがさらに身をすくめる。


「ですが、今のリーズ様は猫の手でも借りたいのではないかと、そう思いました」


「ええ、まあ、それは確かにそうね。……分かったわ。ガブリエル、あなたも手伝って」


 ガブリエルは青い瞳を潤ませて、ぺこりと頭を下げた。


「は、はい! 頑張ります!」


 元気よく答えた彼の声には、涙がにじんでいた。ニコラの琥珀色の目に、一瞬だけ鋭い光が宿ったように見えたが、次の瞬間には、またいつも通りの無表情に戻っていた。





 そうして私は、改めて書類の山と立ち向かうことになった。今度は、ニコラとガブリエルを従えて。


 ニコラは手慣れたもので、手早く書類を片付けている。私が剣の家の当主として執務を行っていた頃から、彼はこうやって私を手助けしてくれていた。


 剣の家というのは、王の下でこの国を治める三つの大貴族の一つだ。私は五年前、十二の時にそこの当主となった。ニコラとは、その時からの付き合いだ。彼は当時二十一歳で、一族の中でも飛びぬけて優れた知性の持ち主だった。


 せっせと書類を片付けながら、改めてニコラをじっくりと見てみる。短い黒髪に琥珀色の目の、冷静さと鋭さを漂わせた美形だ。細身のしなやかな体つきだが、こう見えて武勇にも長けている。剣の腕など、そこらの騎士顔負けだ。


 彼は表情をほとんど変えないので、周囲からは感情が読み取りにくいと言われがちだ。しかし五年間を共に過ごした私には、彼の微妙な表情の違いが読み取れるようになっていた。


 そして今、彼は少しばかり戸惑っている。なにかをいぶかしんでいる、そんな目つきだ。


 彼がそんな顔をしている理由が気になったが、今はとにかく仕事を終わらせることが最優先だ。


 手を動かしながら視線を動かし、ガブリエルの方を見る。彼はどこから手をつけていいのか分からないといった顔で、書類の山を前に右往左往していた。


 それも仕方ないだろう。今までずっと、剣の家の当主、そして女王である私の右腕を務めてきたニコラと違い、彼が実務にたずさわるのはこれが初めてなのだから。


 少し考えて、彼に声をかける。放っておけばニコラが何か指示を出すだろうが、それまでうろたえさせておくのもかわいそうだ。


「ガブリエル、私たちが処理し終えた書類の整理を頼めるかしら。後で大臣なり小姓なりが取りにくるから、まとめておいてくれると助かるわ」


 そう声をかけてやると、ガブリエルは嬉しそうに笑って大きくうなずいた。また、ニコラが意味ありげにこちらをちらりと見る。どうも先ほどから、彼の様子は何かおかしいように思える。後で、一度それとなく尋ねてみようか。


 首をかしげている私の目の前で、ガブリエルはせっせと書類をより分け始めた。とても真剣な顔で、大いに張り切りながら。


 どうして彼は、こんなにやる気に満ちているのだろう。今まで私は、ずっと彼を放置してきた。それなのに彼は、なぜか私のことを慕っているように見える。今も、あの時も。自分の命をなげうってしまうくらいに、懸命に。


 いくら考えても、答えが出ない。せっせと書類をより分けているガブリエルの横顔に目をやった拍子に、またあの内乱のことを思い出した。あまりに哀れで、それでいてひどく幸せそうに見えた、彼の最期の姿も。


 あの動かない微笑みが、頭から離れない。内心の困惑といらだちに負けて、とうとう声を上げた。


「ねえ、ガブリエル。どうしてあなたは、そんなにも一生懸命なの?」


 ガブリエルのみならずニコラまでもが、手を止めてこちらを見る。無言の二人には構わず、さらに問いかける。


「ずっと私は、あなたのことを無視して、遠ざけていた。それなのにあなたは、私に近づいてくる。おびえながらも、懸命に。それはどうして?」


 私の言葉に、ガブリエルは驚いたようだった。けれど彼はおびえることなく、深い青の目でまっすぐにこちらを見返してきた。


「それは……姉様は僕にとって、とても大切な人ですから」


 あまりにも予想外の返事に、今度は私が驚く羽目になった。彼が私のことを大切に思うようなきっかけが、何かあっただろうか。まったくもって、身に覚えがない。


 私とニコラのもの言いたげな視線を受けながら、ガブリエルはゆっくりと言葉をつむぐ。


「……ひとりぼっちだった僕に……姉様は、声をかけてくださいました。あの時のことは、一生忘れません」


 ガブリエルは私の義理の弟ということになっているが、正確には私の父の後妻の連れ子だ。私と血のつながりは一切ない。


 一応彼は下位の貴族の血を引いてはいるが、それでも彼を剣の家の一員とすることについて、親戚たちはこぞって反対していた。


 父はすっかり後妻の色気に目がくらんでいたが、彼女の息子であるガブリエルについてはおまけ程度にしか考えておらず、彼がどうなろうと構わないという態度を貫いていた。


 後妻は後妻で、ガブリエルのことをあまり好いてはいないようだった。詳しくは知らないが、彼女と彼女の元夫との間に、色々あったらしい。


 そして私も、彼には興味がなかった。既に剣の一族はたくさんいる。さらに一人増えたところで、何も変わりはしない。そう思っていたのだ。


 そんなこんなで、彼はずっとほったらかしにされていたのだ。私は彼と同じ屋敷で暮らしてはいたけれど、こちらから彼のところを訪ねていったことはない。


 いや、一度だけあったような気がする。具体的に何をしたかは、やっぱり思い出せないけれど。


 眉をひそめて首をかしげる私を見て、ガブリエルは照れ臭そうに微笑んだ。


「姉様にとっては、とてもささいな言葉だったのだと思います。でも僕にとっては、あの言葉は一番の宝物なんです」


「……そうだったの。変なことを聞いて悪かったわね」


「いいえ、聞いてもらえて嬉しかったです」


 ガブリエルは顔を輝かせ、それからにっこりと微笑む。その笑顔があまりにも可愛らしくて、つい私まで笑ってしまった。


 その時、ニコラと目が合った。いつも無表情な彼は目を大きく見開いて、食い入るように私を見つめていた。

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