19.隠し事と探し人
次の日の昼過ぎ、いつものように執務の残りを片付けていると、ミロシュが足音もさせずにやってきた。彼にはそれとなく、アネットの動きを見張ってもらっていたのだ。
「たった今、アネットが出かけた」
彼のその声に、執務室に緊張が走る。手にしていた書類を机に置いて、立ち上がる。
「分かったわ。それでは行くわよ、ミロシュ。ニコラ、ガブリエル、後はお願いね」
真剣な顔でうなずくニコラとガブリエルに見送られ、執務室を後にする。そのまま大急ぎで王宮を飛び出した。
全速力で駆けたおかげか、王宮を出てすぐにアネットに追いついた。ミロシュが私の手を引いて、うまいこと彼女の死角に誘導してくれている。おかげで彼女に気づかれることなく、後を追い続けることができた。
アネットはためらうことなく城下町を突き進み、やがて人気のない公園にやってきた。その真ん中に立って、何かを探すようにきょろきょろしている。
私とミロシュは公園を取り巻く生け垣の陰にしゃがみ込み、木々の隙間からそんなアネットをのぞき見している。正直、今の私たちは不審者にしか見えないだろう。誰も通りがかりませんように、と心の中でそっと祈る。
「誰かを探しているように見えるけれど……」
「周囲に人の気配はない」
「待ち合わせ、という感じでもないし……」
「やけに必死だ」
私たちがこそこそとそんなことをささやき合っている間も、アネットは途方に暮れたような顔で辺りを見回し続けている。見ているこちらまで辛くなるような、そんな顔だ。
出て行って、声をかけてやろうか。何を探しているのか知らないけれど、手伝ってやれないだろうか。
ちょうどその時、私の鼻先をそよ風がふわりとくすぐった。鼻がむずむずして、止める間もなく小さなくしゃみが出る。
しまった、と思ったその瞬間、アネットがくるりと振り返った。
「誰? もしかして、エルデ?」
アネットの水色の目は、私たちが隠れている生け垣にまっすぐ向けられていた。
「つまりあなたは、一度だけ会った男性にもう一度会いたくて、こうして毎日城下町をさまよっていたのね?」
うっかりアネットに見つかってしまった私は、仕方なく姿を現すことにした。ミロシュは元の隠れ場所に留まったまま、周囲を警戒してくれている。
アネットは私の姿を見て大いに驚いていたが、割とあっさりと事情を打ち明けてくれた。というよりも、彼女のほうから進んで口を割ったのだ。
彼女はある人を探してここに通っていたのだが、どうにもうまくいかず、すっかり手詰まりになっていた。困り果てていたところに私が現れたので、わらにもすがる思いで相談することにしたらしい。
「うん。どうしてもあの人……エルデに、もう一度会いたいな、って」
かつて私たちが玉座をかけて競い合っていたあの頃、アネットはこの公園で不思議な男性に出会ったのだそうだ。彼女は彼のことが気になっていたのが、それっきり彼と会うこともないまま、彼女は盾の城で暮らすことになってしまった。
「ここを離れている間は、あきらめもついたんだけど……こうして王都に戻ってきたら、やっぱり会いたくなっちゃって。でも、どれだけ待っても会えなくて」
そう語るアネットは、いつになくしおれて元気がない。そんな彼女の肩に手を置きながら、必死に頭を働かせる。どうにかして彼女をその男性に会わせてやりたい。うちひしがれたアネットを見ていたら、そう思わずにはいられなかったのだ。
考え込んでいる私の耳に、小鳥たちの可愛らしい鳴き声が飛び込んできた。その声に、ふと思いつく。
「……ねえ、探し人なら『冠』を使ったらどうかしら。小さな動物たちに頼めば、城下町じゅうを一気に探すこともできると思うのだけれど」
近くの生け垣にひそんでいるミロシュの方をちらりと見ると、彼はアネットに気づかれないようにうなずいてきた。今のところ、この近辺に人はいない。
「ここなら誰もいないし、こっそり使ってもばれないわ。今のうちよ」
私の提案があまりにも予想外のものだったのだろう、アネットは目を丸くしてこちらを見た。
「……リーズ、聖具って、そういう使い方をしてもいいの?」
「大丈夫よ、ばれなければ。私も、ナイフの代わりにちょくちょく『剣』を使っているから。どこでも引っ張り出せるし、切れ味は最高だし、使った後洗わなくてもいいし」
小声でそんなことを白状すると、アネットはぷっと吹き出した。
「分かった、やってみるわ」
それから彼女は姿勢を正し、『冠』を呼び出した。彼女の額にはまった金色の輪が、日光を受けてまばゆく輝く。
「みんな、ちょっと集まってくれないかな。探して欲しい人がいるの」
彼女の呼びかけに応じるように、小鳥やリスがわらわらと集まってきた。みな行儀良く、周囲の生け垣や椅子などに止まっている。
そんな彼らに、アネットが探し人の特徴を伝えている。話が終わると同時に、彼らは一斉に飛び出していった。
「本当に、見つかるかなあ……」
「あとは、あの子たちを信じましょう。きっと大丈夫よ」
二人で一緒に見上げた空は、気持ち良く晴れ渡っていた。
やがて、一羽の小鳥が戻ってきた。アネットの目の前の地面に降りてぴいぴい鳴く鳥の声を聞いて、アネットは血相を変える。
「えっ、見つけたの!?」
小鳥はふわりと舞い上がると、少し先の木の枝に止まってこちらを見た。ついて来い、ということだろう。
二人で小鳥を追いかけて、城下町を走る。やがて私たちは、城下町の反対側、崖の上に位置する別の公園にたどり着いた。
晴れ渡った青空が一面に広がり、崖の下では海がきらきらと輝いていた。とてもさわやかな風が、穏やかに吹いている。
「……エルデ!」
そこにいた人影を見て、アネットが歓声を上げる。
落ち着いた動きで、ゆっくりとその人影が振り返る。優しげに下がった目元が特徴的な、若い男性だった。砂色の柔らかな髪を風になびかせ、金色に縁どられた深い茶色の目は、とても温かく、穏やかだった。
飾り気の少ないこざっぱりとした服も落ち着いた茶色が基調となっていて、その姿は周囲の風景によく溶け込んでいた。
そんな彼の姿を見て、私はすぐにあることに気がついた。けれどひとまず口を閉ざしたまま、様子を見る。
「やあ、アネット。久しぶり」
その声は柔らかく、親しみやすさにあふれていた。日だまりのような温かな笑顔を向けられたアネットが、感極まったようにうっとりとため息をつく。エルデは私を見て、少しだけ目を見張った。
「アネット、そちらの子はあなたの友達?」
「うん。彼女はリジーよ」
「いいえ。私は彼女の友達だけれど、本当はリーズっていうの」
あっさりと本名を名乗った私に、アネットが目を真ん丸にする。そんな彼女に笑いかけて、もう一度エルデに声をかけた。
「……エルデといったかしら。あなた、精霊でしょう?」
この国には、人や動物たちの他に、精霊たちも住み着いている。人そっくりの姿をしているということもあって、時折彼のように人里をふらついていたりもする。
しかし精霊たちは、根本的に人とは違う。人の決まりも、思惑も、彼らには無縁のものなのだ。当然ながら、政治やら陰謀などとは縁がない。
そして彼らは、他者に害意を持つことはまずない。ちょっとしたいたずら心を起こすことくらいはあるようだが、誰かを憎むようなことはないし、誰かと敵対するような状況はひたすらに回避しようとするのだ。
だから精霊相手になら、私が女王だとばれたところで問題はない。むしろ、彼らはあざむかれたり、誠意のない対応をされることを嫌う。だから、ここではさっさと本名を明かしてしまうのが正解だと思ったのだ。
「ああ、そうだよ。ぼくは精霊。良く分かったね、リーズ」
エルデは嬉しそうににっこりと笑った。一方のアネットはさらに目を見開いて、ぽかんとしている。大きな水色の目が、こぼれ落ちてしまいそうだ。
「えっと……精霊? エルデが? 不思議な人だなって思ってたけど……」
私たちが持つ聖具には、もう一つ能力がある。それは、ぱっと見は人間そっくりの精霊たちを見分けることができるというものだ。アネットもそのことについては説明を受けているはずなのだが、どうもこの感じだところっと忘れてしまっているらしい。
けれど私は、エルデを見た時にぴんときた。彼は人間ではない、と。そしてエルデは、正体を見抜かれたことをまったく気にしていないようだった。
「アネットは、ぼくが精霊だと困るのかな?」
「ううん、そんなことない。ちょっと驚いただけだから」
「それなら良かった」
エルデは無邪気に、そう言って笑う。私たちよりもちょっとだけ年長の外見とは裏腹の、幼さすら感じさせる笑顔だった。しかし、それがちぐはぐに見えないのが何とも面白い。
ぼうっとしながら彼の顔を見ているアネットを引っ張って、耳元でささやきかける。
「ほら、次会う約束をとりつけておかないと」
アネットはまだ夢見心地ではあったが、こくこくと大きくうなずいた。それを確認してから、笑顔でこちらを見守っているエルデに笑いかける。
「ところで私、そろそろ家に戻りたいのよ。アネットを一人にするのもどうかと思うし、あなたに彼女の相手をお願いしてもいいかしら?」
「ああ、いいよ」
突然かつ不自然な申し出にも不審な顔一つせず、エルデは笑顔で即答する。頬を赤く染めているアネットの背中をぐっと押して、彼の隣に並ばせた。
「それじゃあアネット、頑張ってね」
二人に背を向けて、悠然とその場を歩み去る。口元に、自然と笑みが浮かぶのを感じていた。
「もう出てきてもいいわよ、ミロシュ」
人通りの少ない静かな通りを歩きながら、ぽつりとそんなことをつぶやく。すぐに、どこからか姿を現したミロシュが、私の半歩後ろについた。
「話しにくいから、隣に立ってもらえないかしら。ほら、さっきみたいに」
そう頼むと、彼は無言で隣に移動する。それから目を伏せて、ぽつりとつぶやいた。
「あれが、精霊……初めて見た」
「私もよ。私に宿る『剣』が、彼の正体を教えてくれた。でもそれがなかったら、きっと気づかなかった。それくらい彼は、自然に人々の中に溶け込んでいた」
「俺も、見抜けなかった。少しばかり変わった気配の男だとは思ったが。……今後のために、あの気配を覚えておくべきだな」
口調こそ真剣だったが、彼の目元は柔らかく緩んでいた。それに、いつになく口数が多い。
さんさんと降り注ぐ温かな日差しのせいか、うっとりとするほどさわやかな風のせいか、私たちの間には妙にのんびりとした空気が漂っていた。
小鳥の声に目を細めて、ふとつぶやく。
「あの二人、どうなるかしらね」
精霊が人を伴侶として生涯を共にすることは、意外とよくあることらしい。国のあちこちに、そんな伝承が山のように残っている。だからアネットの淡い片思いも、成就する可能性はまだ十分にあった。
「……アネットは、あの男に近づきたいと思っている。そうなればいいと思う」
「ええ、私も同感よ」
すこしはにかみながら答えるミロシュに、優しく笑いかける。
「それにしても、今日はあなたに助けられたわ。私一人じゃ、彼女をあそこまで追いかけることはできなかった」
「我が君の役に立てたなら、光栄だ」
「ええ、頼りにしてるわね。これからも」
とても気持ちのいい午後、私たちはそんなことを話しながら、ゆったりとした足取りで王宮に向かっていた。女王と護衛ではなく、親しい友人同士のように。